KOSYU,FILE : INS/001

甲

 

SEINEN JINGAI KYOURYUKUTAI INDONESHIA OFFICE

JAKARUTA, INDONESIA

 


甲州 Annual Report 1991

Ref.No:INS/001-JAK/91/004

発信日: 1991年09月02日
発信地: いんどねしあ駐在事務所
発信者: じゃかるた駐在員[地球征服先遣隊長兼任]
川崎[漁師]博之

 標記報告書は、1990年3月隠れ青年人外協力隊隊員としてここジャカルタに潜入して後の1年半の活動を振り返り、地球征服先遣隊長を命ぜられてからの1年間の活動を1991年度年次報告としてまとめたものである。このいんどねしあ駐在事務所は1992年2月には閉鎖される予定であるところ、人外協海外駐在事務所の数少ない活動記録として提出する。

 

1.活動概況

 『こうしゅうえいせいさん』の各 人外協国内支部・支部史 を参照し、ここ海外駐在事務所史の概略を記す。海外駐在事務所とは言え駐在員1名の零細事務所であることから駐在員の個人史と重複することをあらかじめおことわりしておく。

1989年8月?
 この頃リベリアから本邦帰国し、人外協隊長とふぁーすとこんたくとする(面接なし)。密かに人外協隊員となる。と同時に再再度海外脱出のための準備にとりかかる。これから約半年東京で過ごしたのだが、1度だけ東京支部例会1次会?に顔を出す(日時は覚えていないが甲州組長と大場[ディズニーランド担当・みんなで幸せになろうね]惑隊員がおられたことは確かである)。この間、某協力隊にて臨時職員として身を隠す。

1990年3月
 インドネシアに入国。表向きはUNVとして公用ビザをもらって正式にUNESCO事務所に赴任。人外協隊員であることは秘匿。在イ日本大使館への在留届に関しても、身分は国連関係と届ける。

1990年6月
 初めて人外協隊長宛てに、ジャカルタより私信形式による報告書を送付(月間甲州画報第27号に「 ジャカルタからの手紙 」掲載)。この掲載時に隊長より「地球征服先遣隊長」を命ぜられる。これを機に秘密裏にまた勝手にUNESCO事務所内に人外協いんどねしあ駐在事務所を設置。

1990年8月
 人外協「御迷惑おかけします 」Tシャツ8枚入手。なにも知らない人間を勝手に人外協の同志にしてしまおうと、無差別Tシャツ配布作戦を敢行。この途中経過に関しては、甲州画報30号「 ジャカルタからの手紙2 」にて報告済み。この報告書作成時点の配布結果は次の通りである

  1. Dr. ロビン・ハーガー(ニュージーランド)
  2. Ibu ヌーニン・ウィリアトモジョ(インドネシア)
  3. Ms. ドナテラ・ロッシ(イタリア)・・・現在ローマ
  4. Mr. ヘイン・ヤコップ・ワッセル(オランダ)
  5. Mr. キム・ウォーム・ソレンセン(デンマーク)
  6. Ms. ジェーン・レイリィ(イギリス)
  7. Mr. シンイチ・マツウラ(日本)・・・現在ナイロビ
  8. Dr. ゲーリー・キャナナン(アメリカ)・・・現在メリーランド(米)

1990年11月
 「 ジャカルタからの手紙4 」甲州画報31号に掲載。

1991年1月
 「 ジャカルタからの手紙5 」甲州画報33号に掲載

1991年4月
 「 ジャカルタからの手紙6 」甲州画報35号に掲載。

1991年7月
 「 ジャカルタからの手紙7 」甲州画報38号に掲載。

 以上がこれまでの活動概略である。なお前記した人外協Tシャツグループについては残念ながら隊員として入会するまでにはいたらなかった。これはひとえに地球征服先遣隊長としての私の外交能力不足であることは明白である。しかしながら彼等のうち、イブ・ヌーニンを除く7名のうちにはすでにジャカルタを離れた者もおり、また残りの者も1992年あるいはその翌年にはそれぞれの本国に帰国したり他の任国に赴任する予定になっている。世界のどこかの街角でばったりあのTシャツを着た人にあうかもしれない、そう甲州組長がオランダはバーグで出くわしたような出来事が起こり得る可能性が高まったということで、当初の無差別Tシャツ配布計画の目的は達したと思われる。

 

2.海外SF事情

 「海外SF事情」といっても、ここインドネシアにおけるSF関係出版の状況やら欧米翻訳物の状況を調査したものではない。海外において日本の出版物の入手が限られた状況にあって、どのように日本のSFを読むか、特に甲州作品を読むかをジャカルタでの私個人の読書記録を例にして考察してみたい。

A.ジャカルタに於ける谷甲州作品読破リスト

低く飛ぶ鳩(徳間文庫) ・・・プレジデントホテル内ジャカルタ書房
(購入価格:18000Rp)
「血」日本冒険作家クラブ編(徳間文庫)☆作品名「マクダレーナ」・・そごう内紀伊國屋
(購入価格:15600Rp)
小説すばる6月号(集英社)☆作品名「七ツ針」 ・・・そごう紀伊國屋
(購入価格:21700Rp)
 以上は現地購入である。
マニラ・サンクション(双葉社)
遥かなり神々の座(早川書房)
 以上は某協力隊を通じた日本からの本邦購送である。
ヴァレリア・ファイル5(角川スニーカー文庫)
軌道傭兵1(中央公論社)
 以上は甲州組長の御好意により無料送付されたものである(インドネシアからの付届が効果的であったものと思われる)。

B.ジャカルタにおける日本書籍店

 ここジャカルタに於いて日本書籍を購入する場合は、主に市のほぼ中心に位置するタムリン通りに面した日航系のプレジデントホテル3F内にある「ジャカルタ書房」(現在ホテル内の改装のため3Fの客室をしようしているが、改装がほぼ終了したのでいずれ移転するものと思われる)と、そのプレジデントホテルのタムリン通りをはさんだ向かいにある<そごう>2F内の「紀伊國屋」である。<そごう>はインドネシアプラザと呼ばれるショッピング街とグランドハィアットホテル(1部屋US200$という話である)と合体しており、上流家庭向きのショッピングセンターを構成している。つまりすべて高価格ということである。
 まず、「ジャカルタ書房」であるが、現在シングルの客室を使用していることもあるだろうが、室内は狭く、文庫本・新書本に関しては品揃も少なく、新規納品もまた少ないようである。ただし、漫画・週刊誌・新聞に関しては定期的に入荷されているようである。OCSを利用した日本からの定期刊行物の購入を依頼しているビジネスマンが多いようで、ここの利用客はほとんどそういった人々のようである。ここでの漫画・週刊誌の平均価格は19000Rpほどで、これは「紀伊國屋」でのそれらが11000Rpであるのに較べると明らかに高すぎる。「紀伊國屋」ができた現在、少ない品揃、高価格といったこれまでの安易な経営戦略では先行きが他人事ながら危ぶまれる。ここは、「紀伊國屋」の仕入れない新書・文庫をより早くより安く取りそろえる、もちろん谷甲州コーナーを設ける、SF関係を充実させるなど、独自の経営方針を打出してもらいたいものである。
 次に「紀伊國屋」であるが、もちろん日本の本店並みの品揃は望むべきもないが小さな街の本屋さん並みにはそろっている。敷地内の半分が洋書・インドネシア書籍である。現在の日本の出版状況を把握していないので不確かなことしかいえないが、「紀伊國屋」の文庫本に関しては、講談社、新潮社、角川、早川、徳間、双葉、中公、集英、文春、旺文社、光文社、廣済堂、天山、二見書房など、ほとんどの文庫が入荷されていると思われる(ただし創元社はない)。月刊誌・週刊誌類も豊富であり、女性雑誌・ビジネスマン向け雑誌が中心である。新刊書日本国内でのいわゆるベストセラーランキングに応じたような入荷選択がなされているようである。ビジネス書、インドネシア・東南アジア関係書籍も多い。そうした傾向から、月刊誌においてはSFマガジン、SFアドベンチャーなどのSF月刊誌は当分入荷される見込はなく、新刊書においてもSF関係書籍はほとんど入荷されず、90年日本SF大賞を授賞したといわれる椎名誠「アド・バード」なども、彼の他の著作はかなり入荷されているにもかかわらず店頭に並ぶことはない。筒井康隆は結構ある。これまで新刊書で入手出来たSFといえば、半村良の「岬一郎の抵抗」上下(毎日新聞社……各35900Rp)のみである。またSF文庫本に関しても、特に早川SF・JA文庫の品揃は全くみすぼらしいと言わざるを得ない。100冊ほどのSF・JA文庫のうち5/4はペリー・ローダンシリーズで、ほとんど冊数、品目の入替わりがない。これまでに早川文庫で購入できたのは、草上仁「ラッキー・カード」、神林長平「完璧な涙」、東野司「つかのまの間奏曲」、イワン・ワトソン「スロー・バード」、ドナルド・モフィット「第2創世紀」、デヴィッド・ブリン「スタータイド・ライジング」のみで、これらはこれまでに読んでいなかったということで無作為に購入したもので、選択の余地はなかった。ちなみに谷甲州作品はなんということか1冊も置かれていない。他の文庫本は結構次々と新着本が入荷し、そこそこの品揃であることから、早川文庫の惨状は「紀伊國屋」の仕入れ担当者の趣味の偏りがあるのか、早川書房の営業努力の欠如が原因と思われる。関係各位のSF関係書籍に関する仕入れ・営業方針の改善を強く要望する。

C.本屋以外で日本書籍に接する方法

 これもタムリン通りに面したスカイラインビル内4F「日本人クラブ」があり、在留邦人は会費(月額5000Rp程度)を払って会員になるとクラブ内の図書館、ビデオテープライブラリー等が利用できる。私は会員になっておらず、1度図書館を覗きに行ったがSF関係図書は少なかったように記憶している。またタムリン通りのJICA事務所、日本大使館およびスディルマン通りに面したスミットマスタワー内の国際交流基金事務所、「日本語文化センター」内ではそれぞれ日本書籍(主に広報)の閲覧は可能であるがおそらくSF関係書籍はほぼないと思われる。この点は再調査の必要あり。

 以上のことから、海外においてペーパーバックを原語で読むことを別にして日本のSF小説を読むというのは、その情報量において日本国内と格段の差がることを覚悟しなければならない。今後海外に赴かれる隊員におかれては、各自の書籍購入ルートを友人などを通じ日本国内に作っておく、金銭的に余裕のある人はOCSなどを通じ、定期購入、注文購入を行う措置をとることが必要であろう。民間企業の駐在で赴任される場合は、会社の福利厚生の一環として日本からの新聞・雑誌などの定期送付をおこなってくれるところもあるので確認されることをお奨めする。
 ただし、これまでの私個人の経験はフィリピン、リベリア、インドネシアでの滞在経験しかなく、いわゆる先進国である欧米諸国の大都市つまり在留邦人の多い場所では、より日本国内と直結した状況と思われ、日本書籍店もつまり日本の情報は豊富であろうと思われる。アフリカではリベリア、ガーナ、セネガル、チュニジアを見た限りでは日本書籍店は存在しない。日本書籍は日本からの購送か、OCSによるヨーロッパ経由の購入か、何かの機会にヨーロッパに出た時アムステルダム、ロンドンなどの都市で買込みしてくるしかない。それに較べれば東南アジアは在留邦人の数も段違いに多く、数多くの日系企業、大手の伊勢丹、ヤオハン、そごう、大丸などの流通業者も進出しており、シンガポール、マニラ、ジャカルタ、バンコック、クアラルンプールなど日本書籍店が経営されている場所も多い。
 いずれにせよ、海外での日本書籍の購入はその価格の高さが頭痛の種であり、活字中毒者(日本語の)にとっては時に深刻な問題となる。また日本書籍店がない場合、日本からの購送に頼るほかないが、その場合の航空便送料の高さや時に遅配、紛失、盗難などの日本に較べての郵便事情のわるさもまた頭の痛いところである。

 

3.ジャカルタで甲州する

A. ジャカルタ・ジャッジメントの足取りを追う

 

4.ジャカルタで人外協する

 ジャカルタで人外協するにしても、ここは世界征服先遣隊長兼駐在員兼事務所員1名の零細海外事務所であり、隊員の訪れることのない赤道を越えた南半球の地であり、宴会・支部例会など、日本国内支部同様の活動は催す事は不可能である。しかしながら、弱小一事務所とはいえ人外協の細胞である限りには、可能な限り‘人外協’しなければなるまい。そうするためには、日本国内とジャカルタを結び付ける人外協連絡紙である「甲州画報」ならびに「こうしゅうえいせい」に参加することであろう。残念ながら新規企画も思い付かないので、時期遅れかもしれぬが今回は次の企画に参加してみた。

A. シュミ特

B. 「惑星開発局」を考える

 

5.海外事務所活動予定

 冒頭でも述べたように、ここジャカルタのいんどねしあ駐在事務所は1992年2月末には閉鎖される予定である。これは表向きの身分であるUNV/UNESCOの任期を満了するため、ジャカルタを離れなければならないからである。
 任期終了すれば一度日本に帰国しなければならないが、そうするとせっかく隊長よりいただいた人外協の肩書きも返納しなければならない。隊員のどなたかが長期海外滞在されるのであれば、慶んでこの「世界征服先遣隊長」の名義を御譲りしたい。もちろん隊長並びに人外協各位の承認を得てからではあるが。
 ただ不確定事項ではあるが、現在このいんどねしあ駐在事務所のニュージーランドはオークランドへの移転計画を進めており、彼の地の信頼のおける筋に潜入の手引きを依頼しているところである。

 このことは、おそらく1991年中には確定できないがもしこの先、事務所移転計画が成功し、“人外協南進政策”がまた一歩全身出来得れば、世界征服先遣隊長の名に恥じない活動であったと隊長より御褒めの言葉を賜わることが出来るかもしれない。
 ひょっとすると昇格も夢ではない!!次は世界征服大魔王だろうか…


谷甲州FC
青年人外協力隊海外支部紙
「KOUSYU.FILE
 ANNUAL REPORT−1」

甲紀12年10月20日発行
発行・執筆 川崎[漁師]博之
レイアウト 岩瀬[編]史明
編集協力 落合[MSG]哲也
Web 作成 阪本[初代]雅哉

軌道傭兵




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