ジャカルタ・ジャッジメントの取りを追う

川崎[漁師]博之

 海外において日本のSF小説を読む、谷甲州を読むのはなかなか困難である。しかしながら海外ならではの”甲州する”楽しみが無いわけではない。つまり甲州作品に取り上げられた「御当地小説」(これはいわゆるハード・ボイルド系及び冒険小説系の作品に限られるが)を実証体験する、作品の主人公の足取りを辿るといった、現地にいるからこその楽しみ方(隊員によっては「甲州は間違っている」ネタ探しと言ったもの)が出来るといえよう。
 それらの楽しみ方が出来る作品の代表例といえば、「遥かなり神々の座」、「低く飛ぶ鳩」、「マニラ・サンクション」などであろうか。今回は「マニラ・サンクション」中の[ジャカルタ・ジャッジメント]の武田の足取りを辿ってみたい。

 まず、武田は白石裕美の依頼によりジャカルタに来ることになったが、当初高校生である白石裕美本人も同行する予定であり、そのための費用を正月休みから春休みまでの休日をアルバイトして捻出したという事から、当然出発したのは学校が春休みになってからという事で3月下旬。その頃ジャカルタも終り頃ではあるが雨季である。

 武田、白石とも標準語で喋っているので、彼は東京およびその近郊に住み仕事をしているであろうから、一般的に見て海外へは成田国際空港を使うものと思われる。成田から直行のここはガルーダ・インドネシア航空を使ってみたい。GA873便としよう。毎日フライトがある。日本発11:00時。

 約7時間のフライトでスカルノ・ハッタ国際空港16:05時着(現地時間)。空港からタムリン通りのある街の街の中心まで、道路状況にもよるがタクシーでまあ50分(早ければ30分で行ける)。料金は有料道路の料金を含め約20000Rp。これなら空港についてホテルに直行しチェックインし街に出ても、まだしばらく夜までの時間はある。
 タムリン通りに面したホテルは、プレジデントホテル、サリパシフィックパシフィックホテル、グランドハィアットホテルがあり、タムリン通りの南端のロータリーに面してホテルインドネシア、ホテルマンダリンオリエンタルがあるが、いずれも5つ星、4つ星の高級ホテルであり現在では一泊US$120以上かかる。武田が泊まったのは安ホテルということであり、またホテルから表通り(タムリン通り)に出たところで雨宿りしていることから、タムリン通りの一つ東隣を並行しているハジアグスサリム(旧サバン)通りに面したサバンメトロポリタンにチェックインしたことであろう。一泊US$30程度。もうひとつ東にはジャクサ通りという安いロスメン街があるが、ここは主に各国のバックパッカー旅行者が利用するところなので、武田はここには泊まらなかったと思われる。

 タムリン通りは記述にあるように両脇はビルの立ち並ぶビジネス・官庁街であり、片側5車線の大通りである。現在はタムリン通りの南につながるスディルマン通り、その東側に並行するラスナサイド(旧クニガン)通りもタムリン通りのようにビルが立ち並ぶビジネス街になり南へ南へと都市化が進んでいる。さてタムリン通りでタクシーを拾い北に向かった武田であるが、細かいことではあるが、インドネシアは左側通行であり、サバンメトロポロタンからはタムリン通りの東側に出てくることになり、ミナミに向う車しか拾えない。タムリン通りはUターンできないし、南端のロータリーも夕方の時間帯はUターン出来ないので、北に向かうにはかなり大回りしてこなければならず、また夕方はかなりの交通渋滞になる。でここは武田はタムリン通りを横切り西側でタクシーを拾ったと思われる。

 タクシーに乗った武田は、タムリン通りを北上し、続いてインドネシア独立のシンボルであるモナスの塔を右手に見ながらムルデカバラット通り抜け、大統領宮殿を右手に見ながら左折しマジャパィット通りに入る。そのまま北上し運河沿いのガジャマダ通りに入る。このあたりになると中国人系の人々が多いクロドック、旧市街のコタと呼ばれる地区になる。路地は込入ってくるし、ベチャ(三輪自転車)、バジャイ(オート三輪)などがちょろちょろと走り回っている。ワルンなども多い。このあたりで日本人が屋台で飯を食っても、中国人系の多いところだからさほど目立たない。しかしこの手の風景は、大通りを外れるとかなりありふれた光景なので特定する事は難しい。飲み屋街をうろついたのならマンガブザール通りだろうかとも想像できるが、武田はウスマンにすげなくされてからあたりをうろついても飲み屋がすぐに目につかなかったようであるし、そのうち市場の中心から離れたということからみて、彼がタクシーを降りたのはガジャマダ通りもぬけ、ピントブサールスラタン通りのはずれぐらいであろうか。そしてウスマンの家はパサールピサン(パサールは市場、ピサンはバナナの意)の知覚であろうか。

 この後武田は、ムルデカ師団のモハメッド少佐達に拉致され何処かの倉庫に連れ込まれることになった。20分程車に乗せられていた、町の騒音が遠いということからジャカルタの海の玄関口であるタンジュンプリオク港近辺の倉庫に連れ込まれたのではないだろうか。距離的にいいところだと思われる。

 結局、武田は拉致された場所にもう一度戻され、ウスマンの家に泊ることになる。

 最後に武田とウスマン、アミンとで街に食事にでかけるのだが、車を使っていないようであるから、雨の中1時間程うろついたとしてもクタ、クロドックの何処かであろう。ここは独断でマンガブサール通りのギョウザの旨い店「3・6・9」に入ったことにしよう。この通りであれば、白石裕美が夜一人で出歩いてもまあ大丈夫だと思われるから。ただ「3・6・9」の店内から外が見辛いのが決め手にかける点ではある。

ジャカルタの地図

 以上、勝手に武田の足取りを追ってみた。

 ところで甲州組長が実際にジャカルタを訪問したのは、JICA専門家としてマニラに赴任中のことであるから5年以上前のことであろう。現在では当時より物価は当然上昇しているし、タムリン通りなどもかなり様変わりしていると思われる。在イ大使館内にあったJICA事務所は今ではプレジデントホテルの横に自前のビルができ、そごうやグランドハィアットができ、国連ビルの横にも銀行が建ち、現在建設中、取壊し中のビルがいくつかある。ジャカルタは南へ南へと膨張し続けている。変貌し続ける都市。小説の舞台を追憶することなど無意味なことか。




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