航空宇宙軍史の社会構造

岩瀬[従軍魔法使い]史明

 谷甲州は「構築の作家」である。
 そしてその構築性は社会・経済構造をも当然柱石としている。
 そして、「第一次外惑星動乱」に至るまでの過程や、通商破壊戦とそれへの対応が主軸となる「外惑星動乱」そのものの様相などは、まさにそれらの構築性によるリアリティの成果を痛烈に意識させる。
 しかし。実は考える程不明瞭な部分が経済・社会背景に多いことが判ってくる。
 たとえば、貨幣単位は作品にまったく登場していない。地球圏において共通通貨が実現しているかどうかもわからないし、それらと非地球圏との通貨単位に差があるのかどうか。もしあるなら通貨の相互体系はどうなっているのか等はみごとなほどに言及されていない。また「外惑星動乱」背景の大きな軸である「重水素類」の「輸出」にしても、どのような形態による貿易関係なのか、実はさっぱり明瞭でない。
 これらの問題を、作品の読解からはじめ、順を追って考証していこう。

作品中で判明している背景 1:人口分布

 以下は主に「エリヌス」文庫版のP33〜47からの抜粋である。
 21世紀終わりごろの地球外人口は1億強。内9割強は地球−月系に住む。木星軌道内までなら99パ−セント、土星軌道内ならほぼ百パ−セント。つまり非地球−月圏人口は一千万人内外だが、これは火星や小惑星帯を含みそれらの内訳は不明、また土星系人口(おそらくそのほとんどはタイタン)は100万人前後ということ。

作品中で判明している背景 2:開発状況<初期>

 航空宇宙軍史における宇宙開発のテンポは我々の歴史よりずっと早い。(甲州先生が航空宇宙軍史を構想したのは十年以上前なのである)そのあたりは年表にて確認のこと。
 さて惑星開発の担い手は初めから航空宇宙軍だったわけではない。(「エリヌス」前述箇所参照)そしてこれは航空宇宙軍史を理解する上で極めて重要なことだが、「惑星開発局」(「内惑星開発局」と「外惑星−」とがあるらしい)なる組織にそれが一括されており、企業や地上の国家が個々のスポンサーとなってはいない、ということである。
 惑星開発局に関しては、川崎[漁師]氏の「惑星開発局を考える」と多田氏の「外惑星開発機構に関する考察」を紹介しておく。

作品中で判明している背景 3:開発状況<外惑星動乱前後>

 「エリヌス」文庫版P40によれば、2080年代にはフロンティアラインの停滞・後退と強引すぎる宇宙進出によるひずみが表面化し、

『開発の最前線にたっていた内・外惑星開発局の管理能力の弱体化と、それをバックアップしていた航空宇宙軍の戦略転換』

がなされる。
 航空宇宙軍という組織は、少なくとも設立当初(21世紀の早い頃? 「惑星開発局」設立と同じ頃に設立か?)は、宇宙における救難・治安維持活動による惑星開発局支援と、外宇宙探査(年表冒頭参照)を二本柱として活動していたようだが、

『ちょうどこの頃から、外惑星の都市国家群に、惑星開発局の指示による開発資材供出への忌避や拒否。航空宇宙軍のみが警察能力をもつことへの反発が大きくなっていき、そのことが逆に、警察能力しかもたなかった航空宇宙軍に<軍備>を創出・増強させる口実となっていった』

との記述がみられる(P41)
 航空宇宙軍の初期の歴史は、「謎の惑星開発局」と並ぶ、われらいびつなファンにとっての巨大な挑戦課題なのである。
 なお、ここで言及されている惑星開発局の「強引すぎる宇宙進出」の「隠された動機」こそは、どうやら宇宙開発のかなり初期に確認された「地球外知性体」の存在であり、それを接触前から「仮想敵」とおいた理由は、「敵を外に想定することによって人類の活力が維持される」とする首脳部の思想によるもののようだ(「星空のフロンティア」における示唆による)。これらこそが外惑星と惑星開発局および航空宇宙軍の対立の大きな遠因になっており、我々の世界の単純な未来外挿でないことはおさえておかれなければならないだろう。

作品中で判明している背景 4:開発状況<統制経済と貨幣>

 もう一つ読取っておかなければならないのは、「エリヌス」P41末などに、『「惑星開発局」が、強力な中央統制による徹底した計画経済によって運営と開発をしている』とあることだ。
 つまり、太陽系経済は自由経済ではないのだ。
 外惑星動乱の一つの焦点であった重水素類の外惑星からの輸出。
 出荷から受取りまで2年以上かかるような、しかも戦略的・経済的に極めて重要な物資のこの取り引きは、森村[主計官]氏が指摘したように、実は大きな問題点をいくつもかかえているのだが。
 これも貨幣での決済とは限らないということになる。物々交換決済(バーター取り引き)か、一種の徴税−供出義務だ、ということもありえる。
 近年の東欧やソ連邦解体の危機状況をみると統制経済でホントにうまくいくんだろか、という気はものすごぉぉぉくするのだけど。
 このあたりも今後の課題だろう。
 個人的には多田氏の「やっぱり外惑星動乱はなかった」という持論に期待しているのだけれど……多田氏だけでなく、皆さん、どうかヨロシク。
 そうそう、外惑星における通貨体制はどうなっているのだろう?
 われわれは完全統制経済にすれば経済が停滞・自壊してしまうという事実による結論をまのあたりにしているのだから、一般の交易については通貨決済が活発なはずだ(カードのようなデータ通貨がほとんどかもしれないけど)。それらの為替関係はどうなってるのか? 惑星間交易の保険はどうなってるのか? 株式市場は太陽フレアにおおきく左右される?(交易の安全度や速度がそれで左右されたりして)立入って考え始めると面白いネタがいくらでも転がってそうである。
 最後に外惑星の通貨についての田中[暗号兵]氏の一言を紹介しておこう。
「通貨ぁ? そんなの軍票に決ってるじゃないですかぁ。わははははははは」

作品中で判明している背景 5:外惑星の自給状況

 研究拠点でも前進基地でも無い、「都市」と呼べるコロニーは、最低限の物質的・エネルギー的自給ができてしかもなお余剰が絞り出せなければならない、と「エリヌス」文庫版P35にもあるように、外惑星は基本的に自給体制が存在していたはずである。そして内惑星との絶対的な時間・コスト距離の存在からして、それは必然といえるだろう。
 だとすると、ここで疑問がでてくる。例えば、
「重水素類の輸出にたいして、いったいどういうものを外惑星は輸入しているのか?」であり(これについては前述森村氏によっても論考されているので参照のこと)、「航空宇宙軍の木星系への経済封鎖は、ほんとうに深刻な事態をもたらしたのか?(もたらし得るか?)」ということである。
 本稿ではそれらの疑問にきっちりと考証する準備がまだないので、とりあえず

をここでは指摘しておくにとどめておこう。
 太陽系経済の交易構造は(甲州センセが具体的な描写をみごとに省いてくれているので)極めて興味深い命題ではあるのだが、これ以上の考察は、もっと深読みし、想像をはためかせた上で、執念深い構築をなしとげるべきであろう。

最後に

 航空宇宙軍史における太陽系社会の社会構造について興味深い命題は多々あるのだが(法体系は?自治の程度は?惑星開発局と航空宇宙軍の財源は?etc)ここでは最後に、林[艦政本部開発部長]氏の二つの論考を紹介し、簡単な解題をつけ加えて締めくくろう。
 まず、「艦隊の必然性」についてだが、谷甲州の作品においては、ごくさりげない部分まで構築された必然性に貫かれている(またはそう辻妻合せが可能である :-) )ことがここでも確認することが出来る。
 これは甲州作品におけるハードウェアにもいえることで、基本的に現代科学の延長上にありしかもかなりの程度、工学的検証にも耐える(この辺が凄い所で、たいていのSFではそうはいかない)が故に、我々も「甲州は間違ってる」だの「アクエリアス計画」だののやりがいがあるのである。
 次に「推進剤についての考察」だが、これは極めて大きな問題を秘めている。つまり地球圏における核融合の依存状況およびその種別は、太陽系内交易構造の枠組みを形成するだろうし、それは即ち社会構造背景の枠組みでもあるだろうからだ。
 ついでにいうとこれは、航空宇宙軍史から離れてオリジナルの近未来SFをきっちり構築したくなった時にも、おさえておくべき重要ポイントではあろう……




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