「戦争とは一部の政治家と商人の悪しきバランスゲームだ」
先日、某少年マンガのクライマックスシーンに、こんな台詞があった。
格好いい、いかにも硬派少年マンガらしい台詞だが、硬派の小説(SFを含む)でならちょっと困る。どこが困るのかというと、この台詞は戦争の原因を社会の一部に囲い込もうとする考え方を無意識に反映しているからだ。筒井康隆の台詞(だったと思う^_^;)を借りれば「人間は戦争が大好きだから戦争をするのだ」という面に頬被りして平和論を解く危うさは、甲州画報の読者諸兄諸姉ならお気付きのことだろう。
なんてことが「甲州ノート」にどういう関係があるのかってことなのだが、今回は航空宇宙軍史の直接の分析からいったんん離れて、戦争という現象を巨視的に眺めてみよう。その視点はまた、硬派SFの視点でもあるはずだと思えるからだ。
まず、我々にとって身近な「戦争」から概観してみよう。
我々が普通、「戦争」という言葉でまずイメージするのは、近世西欧以降の戦争である。
戦争の端的な定義としてよく使われる、クラウゼヴィッツのテーゼからはじめてみよう。
「戦争とは、敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為である」
ここでひとまず、概観すべき「戦争」を近世以降の西欧絡みのそれに限定すれば、ここでいう「我々」とは西欧主権国家。「敵」とは同じく西欧主権国家か、非西欧主権国家ということになる。
十九世紀を典型とする帝国主義流にいえば、前者は<帝国主義列強間の戦争>。後者は<帝国主義列強による侵略戦争>(侵略される側から見れば抵抗戦争)だ。
この二大分類は、狭義には帝国主義の時代にしか成り立たない分類であるし、帝国主義という言葉を思い切り拡大解釈しても、16世紀以来の西欧の膨張、或いは「近代」の膨張にしかあてはまらない。
しかしここである観点に立つと、その姿はここ二〜三千年来の人類の戦争史の概観に援用できるようになる。
つまり、「文明の膨張」あるいは「文明の侵略」である。
有史以来、人類はいくつかの相当度の普遍性を持つ文明を生み出してきた。
例えば、お隣の中華文明もその典型的な例だ。
中華帝国は、ここ二千年来、自らの文明を人類唯一の……或いは最高の文明とみなし、国家的安定性・統合性が高まると、必ず外征を行ってきた。その結果、いわゆる東アジア文化圏が成立したわけである。
しかし中華文明は、「漢民族文明」の色彩が強いのに対して、イスラム文明圏の状況は、近代以降の西欧の膨張とより類似している。
イスラム文明は、その成立当初からインターナショナルな文明だった。
そもそも西アジアは、インターナショナルな文明の伝統が深い。
そもそも、人類史上最初の安定した多民族国家は、この地域のアケメネス朝ペルシア帝国であった。絶対君主が中央集権型官僚体制の上に君臨し、複数の民族を統治下におく、アジアに普遍的なスタイルの帝国国家の枠組みをつくったこの王朝は、またペルシア戦争という形で、最初の「文明の衝突」型の戦争をも生み出している。
さらにこの地域は、「多民族にわたる普遍性をもった文明」というスタイルでは、アレクサンドロス帝国の成立と瓦解に起因する、ヘレニズム文明をもち、またそれが「文明の膨張」という性格を帯びるという点ではローマ帝国とその文明という先駆をももつ。(ローマ帝国はギリシャ文明の、というよりもヘレニズム文明の継承者であり、西アジア文明の一員としての色彩が濃いことはもっと広く指摘されるべき事実である。ローマ帝国=ヨーロッパという認識は、文明史的には新参者である西欧人が、その唯一の正統後継者を自負することによって自らの歴史的出自を高めようと云う意識からきており、公平な歴史認識とはいい難い)
そういった地域に生まれたイスラム文明は、「アラブ人の文明」という色彩をかなり早い時期に脱却し、また急激に極めて広大な地域に広まったため、当初は保たれていた政治的統一も成立後百年余り後に分立が始まり、三百年を待たずに本格的な地域分立期に入り、イスラム帝国というよりもイスラム諸王朝というべき状況に入った。
さらに、イスラム文明の膨張は当初の爆発的膨張期を過ぎても長期間にわたって持続し、ユーラシア大陸中央部はほぼイスラム圏といってよい状況が、17〜18世紀には現出していた。
イスラム諸王朝は、アッラーに委任された「支配の正統性」を巡って互いに争い、また「聖戦」と称して異教徒国家との戦争の正統性を信じた。かれらにとってイスラム文明の膨張は真の文明の恩恵を世界に拡大することであり、またイスラム文明の洗練はかなり長期間にわたり、世界でもっとも先進的なものであった。
これらの状況を概観しただけでも、「文明の膨張・征服」が、ここ二千来の「戦争」において、主流といっていいほどの大流を形成していることが判る。
そして「航空宇宙軍」とは、その「優越感と正統性を自負して膨張する」文明をそのまま引き継いだものであることに、皆さんは気付かれるであろう。航空宇宙軍史が社会構造の側面からも、堂々たる硬派SFであることがこの点からも指摘できよう。
もちろん、「戦争」の重要な類型はそれだけではない。
もっとも判りやすい類型、すなわち「地域覇権による利益」を求める戦争も、「国家」が成立して以来もっともありふれた、戦争史を語る上で不可欠の類型である。(「文明膨張型」の内でも、文明構成国間の戦争はこちらに分類した方がいいかもしれない)
また、先にちらりと触れた「文明の衝突型」戦争というものもある。
16世紀から19世紀におけるアジア・アフリカの状況は、巨視的にはヨーロッパ文明とイスラム文明及び中華文明の衝突ということもできよう。しかし、ここで指摘しておかなければならないのは、対峙・接触する文明間に勢力が拮抗している場合は、通常は冷戦型の膠着状況がまず生じることだ。
先に例として挙げたペルシャ戦争においても、実は有名な三次にわたる戦争以外の時期にも冷戦的対峙が続き、条約上の終戦後も、陰謀的介入という意味での冷戦は持続した。紀元前4世紀のギリシア都市国家間の対立と衰亡の背景には、ペルシャ帝国の干渉があったのである。
二次にわたる世界大戦のような、全面戦争になったことは歴史上、ない。(二次にわたる世界大戦は基本的には西欧文明の内部対立の深刻化とみなすべきであろう。これは西欧文明の人類史上極めて異常な攻撃性がもたらした破局と理解すべきではないだろうか。また、第二次世界大戦後の冷戦が、ついに最終的破局に至らずに済んだのは、西欧文明の異常な攻撃性がようやく馴化されてきたということでもあるかもしれない)
また、部族社会レベルの、安定した(大局的変化に乏しい)循環型社会にみられる、「儀式的戦争」も、或いは今後人類が突入するかもしれない安定循環型社会を考察する上には重要といえよう。
しかし今回は紙面も尽きた。これらの考察と、航空宇宙軍史の分析、冷戦崩壊後の新しい状況、硬派SFにおける未来社会の構築などに関しては、次回以降としよう。
硬派SF このコトバの響きが妙に気にいってしまったので、硬質堅牢な世界観をもつSF、という意味で以後使ってみようと思う。ハードSFと違うことはもちろん、本格SFとさえ、微妙に違うところに注意してほしい。もちろん腕立て伏せが五百回以上できなければいけないとか読者が毎朝ヒンズースクワットをしたくなる小説というわけではないので、例えば「星界の紋章」はハードSFではないだろうがりっぱな硬派SFである。
イスラム文明 本稿の論旨には直接関係ないが、イスラム文明の拡大と「聖戦」の有様は、西欧文明の膨張に比べればずいぶんと穏健なものであったことは指摘しておきたい。これは今日の通俗的世界史理解が、まだまだ西欧からみた世界観を大きくひきずっているために認識が浅いことである。新大陸における虐殺のような状況がイスラム諸王朝によって起こされたことは決してなかったし、その統治下における異教徒・異民族への公正さは、例えばオスマン朝の大臣級の高級官僚や将軍にしばしばユダヤ人やキリスト教徒(高級官僚などに就任する際にはさすがに改宗が義務付けられたが)が見出されることななどをを見ても判るだろう。