谷甲州は無謬である
第四帖<宇宙戦争論・その4>

岩瀬[従軍魔法使い]史明

 「航空宇宙軍史」の前提は航空宇宙軍だ。

 どわぁ。いざ書いてみるとなんともミもフタもないよなぁ。
 しかしこれって、昔「えいせい正誤」に寄せた記事の要点だったりするんだよね。おれもよぅやるなぁ。
 いや、しかしだな。一見当たり前のようだけど、世の中、名が体を表すものばかりではない。
 甲州先生の作品にしてからが、「軌道傭兵」シリーズがぢつは「軌道傭兵」の誕生史だったんだ! なんて、完結するまで作者自身だって判ってなかったではないかぁ。
 だからですね。
 冒頭の一文の意味は、航空宇宙軍史の世界は、単なる近未来の演繹でも戦略シミュレーションでもなく、「航空宇宙軍」という異形の存在と谷甲州の堅牢な世界構築力が出会って初めて出来上がった世界なのだ、ということなのです。はい。
 いま、航空宇宙軍を「異形」と呼んだが、これはちょっと先走った表現だったかもしれない。航空宇宙軍史をごく表面的に読み飛ばして図式的に解釈してしまうと、いまもっとも詳しく描かれている「第一次外惑星動乱」の表面的な枠組みから、航空宇宙軍イコール地球、或いは地球を代表する勢力、と単純に誤解されかねないが、もちろん分別のある読者はまったく違うことにお気付きだろう。
 航空宇宙軍は、考えるほどに、「なんだかよくわからない」組織なのだ。
 まず第一に、特定の地域の利益を代表していない。地球=月連合と航空宇宙軍は、外惑星連合と地球=月連合よりは親密な関係ではあるらしいが、公的にも実質的にも、地球=月連合が航空宇宙軍の上位機関であるわけでもなく、その逆でもないことは、「カリスト−開戦前夜−」などからはっきりしている。
 もちろん、航空宇宙軍は人類全体を代表する機関というわけでもない。もっとも、どうやら航空宇宙軍最高指導部は、自身が「人類政府」のつもりではないにせよ、「人類にとってもっとも重要な機関」「人類の未来を衰亡から恒久的な繁栄にかきかえるべき使命を負わされた機関」のつもりでいるらしいことは「索敵」から判るが、少なくとも第一次外惑星動乱前後の航空宇宙軍には、公的にそんな権限をどこからも委任されたわけではない。公的な権限としてはあくまで第一次外惑星動乱前後の航空宇宙軍は、「太陽系の治安維持」が最大の存在意義であるに過ぎないようだ。(付け加えるなら宇宙探査も正規任務といって良いようだ。しかし宇宙の「開拓」「開発」については、本来の主導権は「惑星開発局」にあり、航空宇宙軍はその装備と組織力によって実権を奪い取っていったらしいことが「星空のフロンティア」から伺える)
 また、航空宇宙軍は、特定の「国家」(日本やアメリカや中国のような、近現代的な意味での主権国家がどうやら第一次外惑星動乱前後にも存続しているらしいことが「星の墓標」や「星空」などから伺える)あるいは特定の民族、あるいは企業や秘密結社(……)の代表でもないようだし、特定の一つのイデオロギーや思想を担っているわけでもないらしい。にもかかわらず、航空宇宙軍には高い組織統合性があり、一貫した戦略を長期間にわたって遂行したことがいままでの作品からうかがうことができる。これはいったん疑念を持ちはじめると、大変不思議なことのように思える。
 谷甲州はなぜ、航空宇宙軍の最高指導部をかかないのか? また、その組織の総体を描かないのか? これは明らかに作者の戦略的恣意であり、その恣意の意図を読み取ろうとすることは航空宇宙軍史の魅力に迫る重要な因子に違いない。
 筆者の結論を、もう、いってしまおう。
 航空宇宙軍は、ヒトの「文明」の体現者なのだ。
 西欧を起源としつつもたちどころに世界化し、地球的規模に普遍化しつるある現代文明。人類の数百万年の歴史上からも、いや地球の生物史上、ひょっとしたら宇宙的規模からしても(これは数多の異星文明と接触してみなければ確認できないことだが)「異形」であるかもしれない、「現代文明」を、その無意識の根源的情動まで含めて体現した存在。ヒトの自ら変化し(敢えて「進化」とは呼ぶまい)、拡張し膨張しようとする、我々ヒト自身にも正体が判然としない、われらの「文明」。谷甲州は、航空宇宙軍を、そのような人類自身の見えざる「意志」の総体として描きたかったからこそ、敢えてその組織的実態を明瞭にしすぎないようにしているのではないだろうか。だからこそ、詳細に明瞭に描いてしまうことによってかえってもたらされる卑小化を回避しようとしているのではないだろうか。
 だとすると、航空宇宙軍の「戦争」はまさに必然的なものになる。
 前回述べたように、人類史を特徴付けてきた戦争といえる、動物の縄張り争いとも自然淘汰とも根本的に違う種類の戦争……「文明」の膨張・侵略に伴う戦争。それは、航空宇宙軍が「文明」そのものの体現者であるがゆえに、航空宇宙軍史においては起こらずにはいられないものなのだ。(ほっ。これでようやく前回と繋ぐことが出来た)
 だからこそ、航空宇宙軍史における戦争は、善や悪で割り切ることなど決してできない。航空宇宙軍史における「戦争」は、基本的に、ヒトという生き物の本質に伴う「現象」なのだ。もちろん、だからといって航空宇宙軍史に善や悪がひたすら相対化されて消失している、ということにはならない。なぜなら、ヒトという生き物は、少なくとも個人においては、「善」や「悪」を生まずにはおれない生き物だからだ。「戦争」という現象に関わるにおいて、喜怒哀楽・幸不幸・真偽誠淫他のあらゆる人間的な事象とともに善悪もまた生まれずにはおれない。その総体を描いてきたのが航空宇宙軍史なのであり、そこもまた、航空宇宙軍史世界が衆に抜きん出ている所以の一つなのだろう。

 さて、航空宇宙軍史だけが甲州作品ではないし、「文明の膨張・侵略」型だけが戦争なわけでもない。この連載では、もう一つ、宇宙戦争論について重要な柱を語り残している。
 それは何か……ということを端的にいうと、「オリンピック」と「テロ」だったりするんだよな。(七月末日現在では、五輪公園の爆弾テロ事件は政治テロではなくヒーロー願望の昂じた警備員が犯人か?てな報道がなされているが、画報配付時にははっきりしているかな?)
 もっと外道な言い換えもできる。
「ガンダムふぁいと」と「ウイングがんだむ」だ。
 わけわからん、て? いいんです。これ、次月への引きだから。
 ちょっと短いけれど、これ以上書くと見開き二頁に入れるにはどうしても中途半端になるんだな……ってことで、また来月、よろしくね。



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