第三者と寝る・第13回

第三勢力:阪本[初代]雅哉

 「どうして、21世紀は2000年から始まらないんだ。」

 小学校の低学年生だった頃、図工の時間に画用紙からいろんな長さの帯を切り取り、組み合わせる作業をしていた。
 まだ数字が「1」から始ると信じていた私は、定規の目盛の「1」を原点に合わせて長さを測定していた。その結果何度作業を繰り返しても誤った結果しか得られない。しかも、相談した教師の誰一人としてこの単純な間違いに気付かなかったのだ。(作業は目盛に数字のついてない定規を使用して無事に終了した)
 まだ21世紀が遠い夢の未来だった原始の時代、一人前の人間としての知性を身につけていなかった私と、現在すでに人生の第一線を退いているであろう愚かな教師達のささやかな過ちの経験はさておき、

いまさらこんな馬鹿げた疑問を持つ人は現実には存在しないと思う。
 とは言っても一昨年末の中国やバチカンは結構本気だったようなので実のところなかなか油断はならないのだが。それに2000年を世紀の区切りとするなら、今世紀は21世紀でなく20世紀でないと辻褄が合わないことになる。

 というわけで、21世紀*1最初の第三勢力の原稿。

 今回のタイトルは「第三者と寝る」である。
 ちなみに第三勢力の原稿のタイトルは原稿が一巡するたびに、天羽[司法行政卿]孔明氏がすべてを決めている。
 このときはまだ自分が原稿を書くのは遠い未来のことなので、どんなタイトルが決められてもさほど気にしているわけではない。こうして実際に原稿を書かなければならなくなる直前までは。
 で、今回のタイトルは意味が良く分からない。
 「第三者と寝る」というのは“第三者と一緒に寝るという行為を行なう”意味だと考えるのが妥当だと思うのだが、どう考えても“寝る”という行為は個人的なものでそれに“第三者”が同時に関ってくるなんて状況は思いつかないのだ。たとえ誰かと一緒に寝るとしても、寝ている状態はそれぞれ個別の状態でしかない。当然ながら第三者どころか誰とも一緒に行なうことなどできないではないか。
 かといって天羽孔明氏ともあろう人が意味のないタイトルを付けるなどということも考えられない。きっと深遠な意図があるのだろう。
 ということは、“第三者”もしくは“寝る”のどちらか、まさかとは思うが真ん中に有る“と”のどれかが私の知らない意味を持っているに違いない。
 言葉の意味を調べるために辞書を引くことに、、、手元に辞書がない、、だが、さすが21世紀になっただけのことはある。辞書なんかなくても電話回線さえ繋がっていれば Internet で簡単に調べられる。

その結果、

【第三者】
 (1)当事者以外の者。

当然“当事者”も辞書で引く。

【当事者】
 (1)その事に直接関係のある人。

また、

【寝る】
 (1)「眠る(1)」に同じ。
 (2)寝床に入る。床につく。就寝する。
 (3)異性と同衾する。
 (4)横たわる。
 (5)資金や商品が活用されない状態にある。
 (6)味噌・醤油・などがよく仕込まれた状態である。

同じく“眠る”も引くと、

【眠る】
 (1)心身の活動が一時的に休止し、目をとじて無意識の状態になる。
 (2)死ぬ。また、死んで埋葬されている。

などとある。

 “と”に関しても調べたがあまりにも用法が多すぎて、ますます意味がわからなくなってしまったので諦めた。
 どうやら“第三者”は元々理解していた意味から外れてはいなかったが“寝る”には結構いろんな意味があるらしい。明らかにあてはまらないと考えられるものを除いてみると、「第三者と寝る」というタイトルの意味は、

(1) 「“その事に直接関係のある人以外の者”と“心身の活動が一時的に休止し、目をとじて無意識の状態になる”」
もしくは、
(2) 「“第三者”と“寝床に入る”」
(3) 「“第三者”と“就寝する”」
(4) 「“第三者”と“異性と同衾する”」
(5) 「“第三者”と“横たわる”」

などの可能性が出てきたことになる。
 このうちの「その事に直接関係のある人以外の者と心身の活動が一時的に休止し、目をとじて無意識の状態になる」は、他人と共有することのできるようなものではない(他人と夢を共有できる装置・方法などが開発される可能性は、なんといっても21世紀でもあることだし完全には否定できないが)ものの、それ以外の意味であれば他人と共同で“寝るという行為を行なう”ことは可能である。
 うーーん、「第三者と“寝床に入る”、“就寝する”、“異性と同衾する”、“横たわる”」かと、ここまで来て大きな勘違いをしていた

−最初にこの原稿を書こうとしたときに感じた問題点の本質は“寝る”という行為を他人と共有することにあるのではなく、“第三者”という言葉のもつ意味の中の“その事”が“寝る”を指しているのに、その“寝る”と直接関係の無い人と“寝ること”を共有しなければならないという、自分でも何を書いているんだかわからなくなる(なに考えているかは明快なんだが)状態にある−

ことに気がついた。
 例えば、“異性と同衾する”場合、相手は“その事に直接関係のある人以外の者”ではない。逆に、たまたま電車などで隣り合った席の人が同時に“寝た”としてもそれはたまたま近い場所で似た動作をしただけで行為を共有したわけではない。
 うーーん、“寝る”って言葉の意味はあんまり関係なかったかもしれない。
 とは言うものの、
 「私が寝ようとしているときに、寝ることと直接関係のない人と一緒に寝る」
ことについて、原稿を書かなければいけない状況からは逃れられない。
 そうだ、
 「私が“異性と同衾”しようとしているときに、そのどちらとも関係ない人(つまりは第三者)が“心身の活動が一時的に休止し、目をとじて無意識の状態になる”」というのはどうだろう。
などと考えついたことろで、今月はお終い。

*1 昨年の終り頃には、幼少時に受けた大きな心の傷のためもうすぐやってくる新世紀に期待できずに、
「こんなのは我々が望んだ21世紀ではない、来年以降は閏20世紀だ」
などと言っていた。が、なってしまえばこんなもの。2100年の終り頃にやはり「21世紀じゃなかった」と述懐する可能性は有るものの、それまで約100年の猶予期間があることだし、もはや過ぎ去った前世紀の発言は100年間棚上げとします。



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