谷甲州は無謬である
第六帖<宇宙戦争論・その6>

岩瀬[従軍魔法使い]史明

 前回のヒキからすると今回は「ガンダムW」にちなんだ話ということになるわけだ。観てなかったヒト、わけわからんヒキでごめんなさい。観てたヒト、もちろん五人のジャニーズ系超人的美少年が巨大ロボットに乗って戦うとか完全平和主義がどうこうとかいう話ではないです。
 つまり、「ガンダムW」の主人公たちはテロリストだったりするわけだな(社会通念上の定義では、そうだ)。巨大ロボットでテロるというのも凄い話だが、なにしろ敵役の組織だってヒロインの暗殺にわざわざモビルスーツの一連隊を出すんだからおそろい((C)でいぶ)である。
 つまり、今回のネタは広義のテロ(正確にはLIC<低強度紛争>)だからという、ただそれだけのことだった。あう。ごめん。苦しいコジツケでした……

 初めに、LICの定義からはじめなくてはいけない。もちろん先日華燭の典を挙げられた人外協隊員のことではない。そもそもあちらはLicさんですよね:-) 一緒にしてはいけません。決して。(しかしこっちも読みはやっぱり「リック」なんだそうだな……あうあう。)
 そもそも、LIC(Low-Intensity Conflict)はぢつはいまだ万人が納得する定義はないそうなのだ。術語としての歴史も新しい。一九七〇年代では「軍関係者でさえもほとんど知らない特殊な専門用語」「いくつかの文献に散見できる程度」。八〇年代になって次第に軍関係者に広まるようになり、八六年一月ワシントン郊外の米国防大学で開催された「低水準戦争(Low-Intensity Warfare)会議」がきっかけで米マスコミにおいては市民権を得るようになった……のだが、新しい術語にままあるように、その一般的な定義にはいささかのふらつきがある。早い話が、LICと通常戦争の線引の尺度に、紛争の強度・規模によるものと紛争の性質によるものと、二通りのものがあるのだ。これでいくと、前者の定義ではLICに含まれるが後者ではそうでないもの。あるいはその逆がしばしばあることになる。
 そこで、混乱を避けるために、ここでは「現代戦争論」(中公新書)において著者の加藤朗氏が提起した定義を採用する。つまり。
 LICは亜国家主体VS国家主体の紛争である。
 この定義によれば、昨今の紛争のほとんどが、LICに含まれることがわかる。
 イスラエルの政権交代をきっかけに緊迫しているパレスチナ(PLOは国家主体に近付いているがまだ亜国家主体といえよう)。先日武力による政権交代があったばかりのアフガニスタン。湾岸情勢のつい先日の緊迫はクルド族のつくる亜国家主体が焦点だったし、小康状態とはいえロシア政府内の権力闘争次第でまだまだどう転ぶか判らないチェチェン。
 日本もまた当事国の一つである尖閣諸島(釣魚台)問題では、本来国家主体同士の紛争なのに、ただいま現在の状況が、日本・台湾・中国(それも本土中国でなく香港在住者!)の民間団体が矢面になっているあたりが、実にLIC的といえるだろう。
 現代は、成熟した国家主体ほど、「古典的な意味での戦争」を出来るだけ避けたがる傾向にあるのだ。その動機の主体は決して人道的ではないが、それだけに確固とした傾向といってよいだろう。
 そして、定義上LICではない湾岸戦争すら、後述する「LIC化の原因」とその根本的な起因は一致するのである。
 つまり、LICこそ、現代の、そして近未来においても、「戦争」形態の、中心的概念ともいえるのではないだろうか。
 なぜそうなったのか。
 冷戦の崩壊で、ではない。LICは冷戦のかなり早い時期に既に、国際紛争において大きな地位を占めていた。古典的な戦争概念の呪縛(これは通俗的政治思想の世界もフィクションの世界をもいまもって呪縛している)が新しい現実の把握を曇らせたことは、ベトナム戦争やアフガニスタン紛争における米ソの拙劣な対応の一つの原因になっている。LICという概念・術語は、新たな現実に追い付くべく定義されたのだ。冷戦の崩壊は、大規模武力紛争の形態が実は古典的な状況から既に大きく変化していることを、よりあからさまにしたに過ぎないといえよう。
 ではなぜか、という問いの答を、この連載の流れの中でいえば、近現代文明の世界化・成熟化のかなり煮詰まった段階において、近現代文明のもつ矛盾が周辺地域で噴出したもの、といえそうだ。
 前掲書「現代戦争論」の言葉を借りれば、その原因は
「キリスト教西欧文明に基礎をおく近代国家、すなわち主権国民国家からなる近代世界システムの世界化にある」。それはつまり、
「……第一に、政治領域では西欧国際体系の世界化を意味する。……第二に、経済領域では、資本主義の世界化を意味する。……第三に、社会領域では西欧文明の世界化を意味する。……」
 筆者流に言い換えさせて貰えば、世界文明が実はまだまだ西欧文明でしかないために、その真の人類化・普遍化の作業が充分に進んでいないためにおこる諸矛盾、といえるのではないだろうか。
 さらにもう一つ私見を付け加えると、古典的な戦争が成熟した経済社会にとってますます不経済になりつつあることも、紛争のLIC化の進展に棹さす要因となっているように思われる。

 さてここで、連載テーマに戻ってみよう。
 この状況は、人類が宇宙へ進出することによって変わるだろうか?
 いいかえれば、人類文明がある種の成熟段階に達し、より人類社会がより静態的な段階に到達しているだろうか。
 是、と答える楽観的なヒトはきっと少ないだろう。
 だから未来戦争は必然的にLIC的になる……と速断する前に、もう少し前提がいる。つまり、人類の宇宙進出が、経済的にも文化的にも独立性の高い「分邦」を形成できれば、状況はまた大きく違ってくる。
 しかし、ただ単に、月や軌道コロニーや火星に植民都市・国家ができたというだけでは、現代経済の方向性が距離を越えて関係を緊密化し、地理的境界をなし崩しにする方にただいま現在も進行中であることからして、古典的な「分邦」化にはならないように思われる。
 現代の経済・社会の延長上からすると、いまやハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」に見られるような、より卑近な例ではガンダムのような、古典的な意味での植民地独立戦争には、わたしはもはやリアリティを感じられない。
 そういう意味でも谷甲州をつい賞賛してしまうのは、しかしひねくれたファンとしてはちょっと面白くないんだが、仕方ないよな。
 航空宇宙軍史は、「航空宇宙軍」とその裏設定としての未来からの干渉という存在が、世界のリアリティをその意味で支えている。現代に直結しそうな未来からみれば、航空宇宙軍史の二十一世紀は開発状況が単線的すぎ、急進的すぎ、そのために外惑星コロニーの分邦化は不自然なほど突出しているわけだが、それにはあの世界にはちゃんと理由が与えられているわけだ。
 ついでにいうと、あの航空宇宙軍史の二十一世紀ですら、状況はLIC的である。航空宇宙軍史の(そしておそらく公的な歴史でも)定義によれば外惑星連合は正規の国家と認められていないのである。また二十二世紀に入ってからの、「エリヌス」に描かれている状況は、これこそ典型的LICといえよう。
 さらにいえば、より現実の現代に直結した未来を描く「軌道傭兵」世界では、状況はまさにことごとくLICなのである。「軌道傭兵」世界の紛争がやけにリアルなのにせこくて地味なのは、だから必然的なものなんである。これは残念ながら谷甲州の責任ではなく現実の責任である。文句があるなら現実の世界情勢にいわなければなるまい。

 前回・前々回をまとめると、こうなる。文明の世界化・成熟化の進展は既に「戦争」のLIC化をもたらし、この傾向は当分続き、もし文明が静態化に至れば最終的には儀式化へと進むのではないだろうか。
 これで「リアルでシリアスな宇宙戦争」というテーマが語りつくせた……はずはない。もちろん。
 人類社会が、宇宙進出に伴って、或いはテクノロジーの進展による人類という「種自体の分化」に伴って、本格的な「分邦化」を進行させるに至れば、状況はまた変ってくるわけだ(例えば「星界の紋章」の世界のように、或いはスターリングの「スキズマトリクス」のように)。
 また、異星文明と云う要素を導入すればこれまたおもいっきり事態は複雑化するし、近現代文明がいったん大破局を迎えた後を想定すればこれまた状況は異なる。
 というわけで、まだまだ「宇宙戦争論」は続いてしまう。

 次回へのヒキは……またまたしつこくガンダムで。
 「ニュータイプは種の成熟かそれとも進化か?」



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