谷甲州は無謬である
第七帖<宇宙戦争論・その7>

岩瀬[従軍魔法使い]史明

 前回と前々回は、人類文明が、まだ当分は緊密な一体性をもった社会を維持し続けるのではないか、という前提で論を展開させていたのだった。今回は、人類の「分邦化」をも視野に入れて論じてみよう。

 近未来人類社会の分邦化と戦争。こう掲げると、まず惑星植民や宇宙植民島の独立戦争、という構図が思い浮かぶ。
 しかし、こういった場合にまず思い浮べられるアメリカ独立戦争の構図を、近未来の宇宙植民にそのままあてはめるわけにはいかない。
 つまり、地球外居住圏と地球、或いは地球外居住圏同士が政治的に対立したとして、それが軍事的対決に直結するという考えは短絡以外の何物でもない。今日の人類が保持している技術から考えて、また地球外居住圏の生存基盤の脆弱性からしても、「戦争」という選択肢は大変危険かつ不経済なものになるだろうことは目に見えている。
 それでもなお、「戦争」……単なる外交的対立や「冷たい戦争」でなく、本格的な軍事対決としての「戦争」は起こりえるだろうか。
 起こりえるとすれば、その前提としては、思想やイデオロギー、或いはなんらかの宗教的熱狂。そういった背景が不可欠ではないだろうか。地理的要因だけでは、もはや「戦争」の要因としては弱すぎるように思われるのだ。
 現代の延長としての(つまり破局的断絶を考えない)近未来を考えた場合、地球外植民都市が成立すれば、そこが「政治的自治を獲得できない未来」を考えるのはけっこうむずかしいように思われる。
 たとえば、今日のような、地球上での国家分立と国家間の競争的対立が存続したままの未来を考えよう。その場合、地球外植民都市が、どこか特定の国家の政治的支配を受ける……という状況は、パワーバランスの面からこそ、むしろ考えにくい。自治が妥当な規模や経済的自立性を達成するまでは中立的な国際機関が管理し、そのあとは自治権を徐々に委譲していくという状況の方がはるかに自然だ。
 また、地球的規模の政府が成立し、それが極めて強権的な性格を有していて、地球外の開拓を地球への資源供給のためだけに行い、その収奪構造を固定化しようとしたとしよう。この場合はどうか。
 ここで思い起さなくてはいけないのは、今日の延長上の世界で収奪的構造を維持するためには、収奪される世界の知的水準を低くとどめる必要があるだろうことだ。柔軟な知性と勤勉さがかなりの度合いで報われる世界でなければ、大破局に至ることなしに今日の文明を維持・発展できるとは考えられない。そして、知的水準が低ければそもそも、地球外世界の開拓などできはしない。むしろ、地球の平均よりも、地球外開拓者たちは、高水準の教育を受け、かつ柔軟な知性と困難に挑む勇気や気力に富むだろう。また、人口爆発対策としての棄民的移民は、地球の重力井戸を脱出させるコストの高さにひきあうとは思えない。
 これらを考え合わせると、たとえ強権的地球政府による強圧的開拓及び支配の試みがあったとしても、独立「戦争」にまで至る前に自治を段階的に達成してしまうと考える方が自然な成り行きであろう。
 また、自治を達成した諸惑星や植民都市間、或いは地球との間に、政治的あるいは経済的対立が深まったとしても、それだけで戦争になるとは考えにくい。おおがかりな戦争が経済的にひきあう状況は、けっこう想定することがむつかしいのだ。(ありえないとまではいわないが)
 だとすれば、さきに述べた、「思想やイデオロギー、或いはなんらかの宗教的熱狂」という背景には、社会主義への幻想が崩壊した今日、どんなものがありえるだろうか。
 とりあえず、SFの世界で説得力のあるものを捜してみよう。
 航空宇宙軍史もまた、その一つのヴァリエーションといえるかもしれない。航空宇宙軍史における戦争の、最大の根幹は、航空宇宙軍の(そして地球−月系の一部の)首脳陣にどうやら根強く巣くうらしい、「汎銀河人への人類の敗北」の恐怖……といえるだろう。その恐怖が、航空宇宙軍をして急激・強引すぎる太陽系開発を行わしめ、その矛盾が最初に吹き出したのが第一次外惑星動乱だった。そしてそれは、汎銀河人たちの星々への侵略と支配、その結果としての独立戦争、さらには汎銀河連合VS航空宇宙軍の全面戦争にまで至らしめたのだった。
 航空宇宙軍史は、航空宇宙軍とその特異な脅迫観念の存在を前提とするという意味では、特殊解の一つといえるかもしれない。
 もっと一般解に近いものはないだろうか。
 例えば、ブルース・スターリングの「スキズマトリクス」を代表作とする「機械主義者/生体工作者」世界をみてみようか。
 この世界では、ハイテクによる人類進化の方向性に二つの大きな潮流が生まれ、この二潮流の激烈な抗争が近未来太陽系史の主旋律を奏でている。
 このように、科学技術文明がヒトそのものの変革を促すとすれば、その方向性を巡ってヒトの文化体系に、或いは種そのもののありように、新たな分化が生じ、それらの間に深刻な抗争が生じることは、ないとはいえないだろう。
 とはいえ、ここで一言しておきたいのは、進化と競争と淘汰についての通俗的な誤解が、この未来像の背景にありはしないか、ということだ。 つまり、唯一の支配的種族が存在する状況が進化の必然だ、という考え方だ。この考え方は、小説や科学的論文を問わず、十九世紀以来西欧で実にしばしば、ほとんど無意識に、提示される。「唯一の支配の座」を巡っての生存競争が自然の摂理だ、というこの考えは、しかし今日の目で自然界とその歴史を観察すると、どうにも奇怪な考え方である。
 例えば、恐竜が中世代の地球を「支配」していた……という言い方は、今日の人類のありようによく対置されるが、その根本的な差異はあまりにしばしば無視されているようだ。
 恐竜というのは、「一種族」ではない。体長も体形も生活形態も極めて多様多数の種を包含する、生物分類の一項目……分類学上、「竜盤目」及び「鳥盤目」に属する膨大な種の、総称にすぎないのだ。
 またかれらは、地球生態系を「支配」……意志的にコントロールしていたわけでは決してない。恐竜が地球を支配していたという言い方がもし許されるなら、その数・多様性・分布の広さと云う点で、地球の極めて長期にわたる支配者にふさわしいのはむしろ甲殻類昆虫目であろう。
 歴史上、生態系の頂点に唯一の種が「君臨」することなどなかったし、「唯一の支配の座」などを巡って生存競争が展開されることもなかった。もちろん、食性と居住空間が重なり、つまり「生態系上の地位」が他種と競合したために淘汰される種は常に存在しその数も膨大だが、「唯一の支配の座」という発想自体が極めていびつで奇怪なシロモノであることに、我々は気付かねばならない。その発想は西欧近代文明の「病気」の一つであり、我々の文明の生存・存続の為には一日も早く克服されねばならないシロモノの一つなのだ。
 つまり、ヒトという種が分化する方向を示したからとして、それらが共存し難い、或いはただちに深刻な対立を示すとは限らないはずなのだ。
 とはいえ、今日の科学技術文明自体の母体が西欧近代文明であるだけに、近未来に於いてもその歪みの痕跡は亡霊のように残るだろうし、新たに分化した生活形態ないし身体形態が地理的なものと重なるなら(地球外生活圏による重力の違いは、ヒトの体型にまで大きな差異を生むかもしれない)、それらは構造的な感情対立までもたらし、深刻な対立を生むかもしれない。
 このように、テクノロジーや居住環境が新たな生活文化の分化、ないしは種の分化めいたものを生み出すとき。それは深刻かつ悲惨な「宇宙戦争」の土壌となるかもしれない。
 他には、地球上の対立的・競争的な国家対立が、そのまま各国家や勢力の「紐付き植民都市」の乱立を生むという状況も、いちおう挙げておこう。この状況でも、本格的な戦争にはけっこうなりにくいと思われる。
 この場合、地球上の対立勢力の、代理戦争や矛盾の解消の場として、地球外植民都市群が利用されてしまう形で、戦争が起こる状況が考えられる。しかしこの場合の前提となるのは、各植民都市と本国との「紐」がよほど強力でなければならないということだ。また、植民都市間の協力・信頼関係が育たないような強力な工作が、地球側からなされ続けなくてはならないだろう。そうでなければ、本国との「紐」を断ち切って植民都市が連帯する方向に、必ず動くだろう。

 次回は、恒星間戦争、異星文明との戦争、そして「大絶滅後」について、ごく簡単に触れた後、少しだけテーマからはみだしてみる。
 ホントは前回のシッポにくっつくはずだった(手違いでオチてしまったので、今回はぢつは先月予定した内容とは変えてあるのさ)ヒキは、またまたガンダムだったりするのだな。
 「ニュータイプは種の成熟かそれとも進化か?」



back index next