比良山地・釈迦岳・武奈ヶ岳

中野[日本以外全部沈没]浩三

 農繁期も一段落し、来週から梅雨入りだと天気予報は告げていた。梅雨入りする前に山へ行きたい。テントを担いで、また比良にやって来た。
 比良山に関しては、このコラムの十四回目で取り上げているので省略する。
 夏山は雪山と違い、装備が大幅に軽減でき、その分食料にまわしても一三〜四キロの装備で済むので助かる。
 JR湖西線北小松駅で下車する。交通費が京橋からここ迄一四二〇円。
 駅から楊梅の滝を目指して歩きだす。登山の注意書きがいくつか書かれている。「単独行はやめましょう」とある。はいはい、なんでも好きなこと書いて下さい。山で遭難したくなければ、山に行かないこと。いっそのこと「登山はやめましょう」と書いた方がよいのでは?
 楊梅の滝の隣には、シシ岩と呼ばれる花崗岩のクライミング・ゲレンデがあり、湖西線からでも樹林から突き出したその白い岩肌が目に付く。二、三年前にここ訪れたこともあり、懐かしさから立ち寄ってみたかっただけだ。クライミング・ゲレンデと言っても、休日でも訪れるクライマーもほとんどいない静かな(マイナーな)ゲレンデである。上迄二ピッチあったと思う。当時登ったとき、連打されたピトンとRCCボルトが錆びて大量に残置されており、時代を感じさせられたものだ。
 歩いていると、二名のクライマーがシシ岩に取り付いているのが確認できた。有料キャンプ場げんき村入口前を通過して林道の終点まで来ると道が二つに別れている。尾根に沿って左を行けば展望台、谷に沿って右を行けば楊梅の滝やシシ岩を経て展望台。谷に沿って沢を渡り、楊梅の滝に着く。楊梅の滝は「ようばい」とも「やまもも」とも呼ばれている比良山系随一の滝で五つの滝から構成され、下から四番目の雄滝は四〇メートル程ある。クソ暑いときでも、滝の水しぶきの為にたいへん涼しく一息入れるにはお勧め。
 谷側のルートは熟練者向きとあったが、一〇メートル程の鉄梯子が掛っているだけだった。展望台でシシ岩を眺めながら遅い昼食を取っていると、大学生の五人パーティーに追い越された。八雲キャンプ場でテントを張ると言っていた。
 展望台から五〇分程尾根に沿って登と涼峠に着く。ここは寒風峠とヤケ山への分岐点となっている。その昔、北小松から涼峠、寒風峠を経て高島町黒谷を結んだ道は、荷物を積んだ牛が通った生活路でもあったらしい。その為にしっかりとした道になっている(登山道なので舗装されているのではなく、車が走れるわけではない)。しかし今回は、尾根に沿って直接ヤケ山を目指した。ガレ場のような道を歩いて、掘割り(トレンチ)状の一般道を歩く。初夏の新緑美は認めるが、蝿やブヨ、ヤブ蚊が飛んでいてまとわり付いて来る。あらかじめ防虫スプレーを大量に振りまいてあるので大丈夫だが、よく雑誌に紹介されている新緑のハイキングの実体なんてこんなものだ。防虫スプレーを忘れていたら悲惨なものである。
 ヤケ山の標高は七〇〇メートル位だろうか?あえぎながら頂上に着くと二〇名程のパーティーがくつろいでいた。ヤケオ山と釈迦岳がそびえているのが見える。釈迦岳を見上げながら「あれが釈迦岳ですね」と言うと「そうですね」とパーティーの一人。「かなりの坂道ですね」「そうですね」「さあ帰ろ」パーティー一同爆笑。 ここから釈迦岳までは一旦最低コルに下りて、続くピークのヤケオ山へ登るが、この登り坂が比良三大坂の一つに数えられる急登である。高度を一気にかせぐ。本当にかなりキツイ登りだ。頑張るんだ、労働1号は男の子(おっさんである)。登に連れて展望が開ける。ガレ場を登っているとオレンジ色に咲いたレンゲツツジが目を楽しませてくれる。鴬がやかましいほど鳴いていた。振り返ると奥比良やリトル比良が一望できる。この山の斜面にピナクルのような花崗岩が露出していた。
 ヤケオ山の頂上は広く、ケルンが立っていた。見晴らしは抜群に良い。フジハゲと呼ばれるコブを越えて釈迦岳まであと一息。フジハゲと釈迦岳の間から、カラ岳の頂上に建っている関西電力の比良無線中継所のパラボラが見える。ヤケオ山の標高は九八〇メートル程だろうか。頂上と寒風峠や釈迦岳を示す導標が立っていた。
 五分の小休息の後、釈迦岳を目指した。フジハゲを過ぎると痩せ尾根を通過する。木が生えていないと恐いだろう。標高一〇六〇メートルの釈迦岳の頂上はちょっとした広場のようでガレ場になっているが、木に覆われて見晴らしはまるでない。陽は既に西に傾き涼しくなって来た。
 釈迦岳の山頂に到着したのは一七時前だったと思う。樹林の中にピークがあってガレ場の広場になっているが、眺望はまるでない。一〇六〇メートルを示す導標と三角点が立っていた。日中暖められた石に暖を求めて大量の蝿がたかっているのが不気味である。蝿に防虫スプレーをかけて遊んでいた(暗い)。
 釈迦岳のピークで思ったことは、今日はこれ以上登らなくてよいことだ。カラ岳まで降るとフェンスに囲まれた関西電力の比良無線中継所があった。縦走路を南下して比良ロッジまでは、よく整備された一般道だった。閉店した比良ロッジの前の自動販売機で一六〇円のコークを買って飲んだ。水道で洗顔してさっぱりした。目の前にロープウェイの山上駅がある。この辺りは積雪期ならばスキー場、無積雪期ならばハイキングコースになっているために、少々割高だが金さえ出せば下界と変らない施設が整っている。
 当初、金糞峠でテントを張るつもりだったが、根性のない筆者はここから二〇分弱の八雲ヶ原キャンプ場で一泊することにした。キャンプ場に到着したのは一八時を回っていたと思う。リフトやケーブルカーに乗って来た家族連れやヤンキー風のキャンパーがCDラジカセなんかをガンガン鳴らしている。山屋も結構いるのだが、賑やかな夜になりそう。山屋とキャンパーの違いは一目で分かる。
 着いたのが遅かった為、管理人は既に帰った後だった。大きな声では言えないが、一六時三〇分に管理人は帰って、翌朝九時三〇分には出て来る。だから一六時三〇分以降にテントを張って、翌朝九時三〇分迄にテントを撤収すればキャンプ場の施設はロハで使い放題である(良い子の皆はまねしないように)。
 適当にテントを張って、水道で水を汲み、ガスストーブに点火。水を沸かして夕食の用意をする。蝿や蚊、ブヨなんかが飛んで来てうっとうしい。防虫スプレーが効いて刺されないだけましである。山菜おこわと缶詰、ギョウザスープの夕食。ラジオをつけるが、どこを回してもプロ野球ばかりで面白くない。NHKのナンヤラ語講座を暫く聞いていたが、さっぱり分からん。今回、照明用にEPIの自動点火式ガスランタンを新装備した。電球、約八〇ワットに相当するとあるが、伊達ではない。こんなに明るいのならばもっと早く装備すべきであった。カエル達がゲコゲコと鳴いている。なんでカエルがいるのだろう?たいして気にもせず池波正太郎の「鬼平犯科帳」を三〇ページ程読んだらランタンを消して、熟睡してしまった。
 パーン
 ヒューーーーパパパパン、パンパンパン
 なんや?北朝鮮が攻めて来たんか?と思いきや(思わない)、キャンパーの馬鹿共が花火や爆竹を鳴らし、酒を飲んで奇声をあげて騒いでいる。時計を見ると二二時を少し回っていた。ほんまに、ええかげんにしいや。
 翌朝、六時に起床。快晴。寝過ごしたかもしれない。山屋はテントの撤収作業に余念がない。チームワークのみせどころだ。筆者はトイレに行き用足しをするが、驚いたことに水洗トイレだった。どこに流しているのか気にはなるのだが。朝食を済せて、飲料水を補給し、食料、地図、コンパス、雨具等をサブザックに詰めて、武奈ヶ岳を目指してスタートしたのが七時だった。キャンパーの馬鹿共は年に一度使うか使わないかの立派過ぎるテントの中でおやすみである。昨夜のお礼に連中のテントに火でも点けてやろうかと本気で思ったが、やめた。
 ここから金糞峠迄は、尾根コースと谷コースとがあるが、かつて縦走したときに尾根を通っているので、谷側を通る事にした。ヤクモ池を通って、金糞峠を目指す。沢を何度か渡って、三〇分程降ると金糞峠に着く。正確にはここから五分程尾根に登ったコルが金糞峠なのだが。このコラムの十四回目で筆者がテントを張ったのがここ。テントが二張りある。昨夜の馬鹿騒ぎを思えば、ここにテントを張った方が正解だった。
 金糞峠とは反対方向、中峠からワサビ峠、西南稜そして武奈ヶ岳のコース。ここから中峠までは一時間程の距離である。暫く沢に沿って歩いていると、女子大生のWVパーティーが休憩していた。下界と違い、スッピンだ。「お先」と言って追い越す。装備が軽いと歩行速度も速くなる。沢を何度か渡って山腹を巻くように樹林帯に入って行く。樹林帯の中はよく踏まれた迷うことのない道がしっかりついている。金糞峠から中峠迄は高度差にして二〇〇メートル程の登りだった。
 中峠でチョコレートを食べて休憩していると、追い越した女子大生達がやって来て休息を始めた。PLがバナナを食べる指示を出すと、バナナを担いでいたSLが「バンザーイ、重量物が減る」と喜んでザックからバナナを取り出した。「バナナ、ドーナッツ共に原形を留めていません」と叫んだ。そらそうだ。話を聞くと、テントを担いで縦走中とのこと。(関係ないけど、就職を控えた今年の女子大生は物知りですね。羽田内閣閣僚全員の名前が漢字で書けるは、セイラームーンの登場人物が分かるはで、ちょっと不気味。筆者はどちらも全滅。短命内閣にもマンガにも興味がないとはいえ、勉強不足。ホソカワモリヒロって漢字で書ける?)
 ここからワサビ峠迄は三〇分程の距離だが、一度一〇〇メートル程下りてまた一〇〇メートル程登らなければならない。緩やかな下りを降りきると口ノ深谷の源流となっている。源流を渡ると、短いが急な登りとなって、ガレ場にロープが張ってある。注意しないと危ないかもしれない。登りきった広場がワサビ峠で、ここから北に向って二、三分も歩くと、いきなり樹林が途切れ膝ほどの高さのクマザサが密生している。ここから武奈ヶ岳迄が西南稜と呼ばれている今回のハイライトコースである。見晴らしは抜群によく、森林限界を突破したような開放感があり、緩やかな稜線が武奈ヶ岳まで続いているのが見える。そこら中で鴬が鳴いていた。まさに「苦あれば楽あり」。但し、遮るものが何もないので直射日光がまとものあたって熱いのも確かだ。冬ならば風雪の吹きさらしとなる。
 比良山系の最高峰、一二一四メートルの武奈ヶ岳山頂に着いた。三六〇度のパノラマ、緩やかな広い山頂は一〇〇人程の登山者やハイカー達がくつろいで、武奈ヶ岳の人気の高さを物語っていた。まだ一〇時なったところである。キャンプ場に戻ってから昼食にしよう。暫く良すぎる展望を楽しんでいた。
 下りは岩と土が露出した急斜面のザレ場が五分ほど続く。滑らないように用心しながら歩く。急斜面を過ぎると再び樹林帯のトレイルとなる。地図にユーエンコースと書かれたコースをたどり、キャンプ場に戻る。ユーエンコースと書かれていたので期待したのだが、粘土質の掘割り状の歩きにくい道だった。クマザサや枝をかき分けながら歩くたびに大量のヤブ蚊が舞い上がる。本当に防虫スプレーがないと悲惨なものとなっただろう。どこがユーエンコースだと思って下っていると、いきなり樹林帯を出てしまった。整地された斜面にブルドーザー二台が残置(デポっているのかもしれない。どうやってここまで運んできたのだ?)されており、動かないリフトがあった。整地された急斜面を下りる。ユーエンコースとは、スキー場の滑降コースだったのだ。無積雪期のスキー場ってのは見るも情けないものがある。凄い自然破壊としか思えない。ゴルフ場やスキー場、それにキャンプ場は無制限に作るべきではないように思える(しっかり利用していて、よく言う)。
 キャンプ場に戻って管理人の所へ行き、幕営料一〇〇〇円を支払った。
 コークを自動販売機で買って、屋外のテーブルでサラミソーセージをオピネルで切ってフランスパンの昼食をとる。ソーセージもパンも原形を留めているぞ。
 昼食を食べていると三人連れのハイカーに石楠花尾根への道を聞かれた。「石楠花尾根?何ですそれ?」と渡された地図を見ると、ここから金糞峠までの尾根コースが石楠花尾根と呼ばれているらしい。道を教えてやった。「あんな所、石楠花なんて咲いていましたっけ?」と隣に座っていたオジさんに聞くと「さあ?見たことがないな」とのこと。飯を食っているとまたハイカーが道を聞く。「武奈ヶ岳はどない行くんです?」「最短コースはあっち」「ヤクモ池へはどう行けば?」「そこ真直行ったとこ」「トイレは?」「あそこ」と指を指して筆者。ブッ!切れそう。
 隣に座っていたオジさんと暫く話していた。テントかツェルトか、装備の軽量化を図るか、快適な山行を求めるかの悩む山談義。うーん、難しい問題。
 テントを撤収した後、八雲ヶ原周辺を散策する。この八雲ヶ原は近畿地方では珍しい高層湿原になっている。木の板の遊歩道が取り付けてある。ヤクモ池はヒツジ草科の植物が白い小さな花を咲かせていて、その間を全長一〇センチ程の赤い腹をしたイモリが泳いでいた。モリアオガエルがいるはずなのだが分からなかった。湿原地帯は木の板で遊歩道が作られており、湿原保護の為、中には入らないように注意書きがしてあった。研究者がボーリング調査したところによると、この湿原は数万年の間に乾燥化と湿潤化を繰り返し現在の高層湿原になったとある。
 散策も終わり、根性のない筆者は、ザックを回収してロープウェイ、リフトを乗り継いで山を下りた。たった二〇分で下界へ運ばれる。あまりにあっけない。今まで馬鹿にして乗らなかったが、やっぱりこのような乗り物を使うと山に来た気がしない。

踏査 平成六年六月四〜五日

比良山・釈迦岳・武奈ヶ岳



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