堂満岳(暮雪山)

中野[日本以外全部沈没]浩三

 京阪電車のスキー場の積雪情報をみていると、比良山スキー場の積雪が二〇〇センチとなっていた。銀嶺か・・・。
 比良山とは・・・滋賀県の琵琶湖西岸に位置し、標高一二一四メートルの武奈ヶ岳を最高峰に千メートル前後のピークがY字型に南北に三〇キロメートルほど連なった小さな山系を総称した山のことである。琵琶湖国定公園に属するこの山系は、JR湖西線からのアプローチが容易で、リフトやケーブルカーもあり、日帰りのファミリーハイキングからキャンプ、縦走、沢登り、スキー、クライミング、雪山、バリエーションルートとなんでもありで、 WVワンダーフォーゲル部員のトレーニングにもよく利用されている関西では人気の高い山である。
 行き先が決まると、地図をみてアプローチと金と体力と装備やコースをはじき出し、計画をたて、準備するのにさほど時間はかからなかった。いくら単独行だからといっても、無計画で雪山へ出歩くほどの度胸もなければ、根性もない。
 と、かっこつけても始まらん(ドジでもしない限り遭難できるような山じゃない)。装備をできるだけ切り詰めてコンプレッサーで圧縮し、コンパクトにしても二五キログラムになってしまう。真っ先に削ったのは食料だった。重い。当たり前のことだが、単独行は重装備にならざるをえない。
 出発の当日、さっさと出発してしまえばよいものを、大沢在昌の「毒猿・新宿鮫U」を読みたいが為に本屋が開くのを待って、曽根崎の旭屋書店で買ってからの出発になった。「ト・ロ・ル」や「サージャント・グルカ」だとかさばるので。
 京都駅で湖西線に乗り換えて比良駅で下車。バスに乗って「イン谷口」で下車。
 イン谷口から金糞峠を目指して歩きだす。金糞峠までは谷底を歩くことになる。軽装で無積雪期であれば二時間半程度で到達できるが、この重装備だ。暫くはアスファルト舗装された林道を歩く。二〇センチ程の積雪だが、春を思わせる陽気の為か、腐った雪の上を歩かなければならない。大山口まで来ると、腐った雪もなくなり積雪が増してきて、スリップしだしたのでオーバーヤッケを着て、アイゼン、ロングスッパッツを装着する。止まったついでにパンを取り出し遅い昼食にした。熱い珈琲を飲みたいところだが、テルモスを装備から外してしまったのでそれは望めない。
 暫く歩きだすと、林道がなくなり、一般登山道となる辺りからブナや石楠花の枝が行く手を阻む。落石注意と書かれた標識があった。
 擦れ違った人に挨拶をし、情報を収集する。「どちらまで?」と聞かれ「金糞峠で今夜一泊しようかと」と応える。「金糞峠まではトレースついているけど、中峠から先トレースはないで」「いや、武奈ヶ岳までは行きませんから」と筆者。けっ、胸まで雪に埋ってラッセルなんかやってられるかよ。「ピッケルのプロテクター、枝にとばされるから気を付けたほうがいいよ」との忠告。ザックにピッケルを刺したままだった。「どうも」と言って別れた。
 ピッケルを取り出だす。何故ストックではなく、ピッケルを装備しているのかといえば、滑落停止の為である(笛が鳴るまで滑落停止しなかったりして)。
 積雪は既に一メートルを越え、いたるところで小規模な雪崩の後があった。この積雪で、この陽気だから気を引き締めなければヤバイ。
 歩いていると二五キログラムの重みで、じわじわと締め付けられるような感じだ。汗だくになる。青ガレで川を渡る。川によってトレースは消えていたので、降りて来たパーティーにルートを確認した。向こう岸にトレースが付いている。「ここは速く通過せなあかんで。この斜面みてみ、雪崩で一人死んでるから」と注意される。その話は聞いたことがある。三〇度程の急斜面にほとんど木がはえていない。この陽気にこの積雪。三〇度の斜面というと、たいしたことがないように思われるかもしれないが、かなりの急勾配である。話が脱線するが、大阪府の宅地条例によると三〇度以上の自然斜面を「崖」と定義している。四五度の斜面になると直立二足歩行は困難・・・無理だろう。
 何はともあれ、急いで通過するにこしたことはない。しかし、思うように進めない。トレースを踏み抜いて腰まで雪に埋ってしまう。足下が崩れる。
 六、七人のパーティーと擦れ違ったので道を譲る。「済みません」先頭のSLが言う。「バテてますから行って下さい」と筆者。最後尾のPLに何処まで行くのかと聞かれ、金糞峠でテントを張って一泊する予定だ応えると羨ましがっていた。金糞峠までの到達時間を聞くと、三、四〇分位だと教えられた。
 その後、数パーティーと擦れ違った。目の前にコルが見えた。金糞峠である。結局、イン谷口からここ、金糞峠まで三時間かかったことになる。ここを縦走路が南北に走っている。南側には上り坂と下り坂があって、上り坂を行くと堂満岳、下り坂を行くと縦走路になる。振り向くと眼下に琵琶湖がみえる。西に降ると中峠を経てワサビ峠へと出て武奈ヶ岳西南稜に当る。 金糞峠から西へ五分ほど降ると、小川が流れて、フラットでキャンプに適したところに出る。三、四年前だったか、Kと二人で比良を縦走したとき、ここをキャンプサイトにしたことがある。
 積雪の為に、当時と様相が一変している。ピッケルのシャフトにスコップをつけて、二メートル四方の雪を八〇センチ程掘り下げ、周りに雪を四〇センチ程積み上げる。アイゼンを外し、底を踏み均してフラットにしテントを張った。これで強風が吹いても大丈夫だろう。雪が積もれば押し潰されるかもしれない。
 ガスストーブに点火する。コッフェルに雪を入れてストーブに架ける。燃料タンクがバリバリに凍り付いていく。既に氷点下になっているのだろう。雪を溶かす間にマットを敷き、シュラフカバーにシュラフを入れて寝床をつくる。雪は溶けて水になると驚くほど量が少なくなるので、常に補充しなければならない。沸騰させて水筒に入れて湯タンポにする。飲むと蒸留水の味がした。もう一度、雪を溶かして、夕食をつくる。インスタントラーメンにFDの具を入れる。冷えきった躰に、アツアツのラーメン。ご馳走だ。生きている実感。至福の瞬間。
 登山靴は、凍らないようにテントの中にしまう。汗や雪で濡れた衣類を乾かすのは、当然のことながら、着たまま体温で乾かすしかない。乾いたシュラフで寝たい。土曜日の午後七時、リレハンメルの冬季オリンピックが観たい。
 目が覚めると蒸発した水蒸気でシュラフの中はボタボタに濡れて、気持ちが悪い。一時間もするとゴアテックスのシュラフカバーから水蒸気が抜けた。乾燥し気持ちよくなると余裕が出て来る。ヘッドランプを点けて「新宿鮫」を読む。ハードボイルド。主人公の鮫島警部はかっこよすぎる。晶もよいが、筆者のお気に入りは「マンジュウ(死人)」とあだ名されている鮫島の上司の桃井課長と、仕事以外には無頓着な弾道鑑識の天才、薮鑑識官だ。
 二度眠って目が覚めたときは真夜中だった。寒い。足の爪先が冷たく、感覚がなくなってくる。こんなもの、冷たい「世間の風」に比べたら、どうと言うことはない。寒さに震えつつ、ひたすら夜明けを待つ。
 寒い。目が覚めたら朝だった。テントがバリバリに凍り付いている。曇空。夕方まで天気が持つだろうか。
 雪を溶かして、小キジ撃ちに出かけた。朝食はアルファ米の五目御飯。朝食ができるまでに撤収の準備にかかる。朝食を摂っていると、気の抜けたような音楽が聞こえてきた。ここから一時間程北へ行ったところにある「積雪二〇〇センチ」の比良山スキー場が営業をはじめたのだった。
 テントを撤収して、堂満岳を目指して歩きだしたときに三〇人程のパーティーと擦れ違った。「?」「ん?」「えっ?」「あーっ!」
 みたことのある面々だと思えば、某なんやら系の白峰会メンバーが数名混ざっている。「御無沙汰してます」と挨拶をする。「何処から来た?」と聞かれて「そこでテントを張っていて、たった今撤収したところ」と指を示す。「何処行くねん?」「堂満岳。東稜から下山するつもりです。皆さん、武奈ですか?」と聞くと一緒に行こうと引っ張られる。「ぜんぜん顔出さへんけど、どうしてんねん?」「実は、右腕、腱鞘炎に冒されまして、ハードフリー止められているんです」「そうか、腱鞘炎は、動かさへんことや。また何時でもいいから来いよ。電話ぐらいしてこい」と串畑氏。某なんやら系のパーティーとはそこで別れた。
 金糞峠から堂満岳までは、小さなピークがいくつかあるが、三、四〇分の距離に過ぎない。金糞峠をベースに軽装で堂満岳をピストンして、武奈ヶ岳まで足をのばしても良かったが、天気が下り坂なのが気になって、崩れる前に下山したかった。
 その小さなピークの一つで琵琶湖を見下ろしながら、誰もいないのを幸いに大キジを撃っていた。銀嶺の小ピークでキジ撃ちをやっていると、なんか、雄大な気持ちになってくる。ええ気持ち。快感。気分爽快。これが今回の山行で唯一回収しなかった、いや、できなかった「ゴミ」である。残置大キジ。
 堂満岳のピークに到着すると、某なんやら系かんやら会のパーティーがいた。彼らも何処かで見たことのあるような気がする。多分どこかで・・・。
 しばらくパノラマを楽しむ。今日は展望が悪い。比良から見下ろす琵琶湖は、どこか北国の寂しい湖を思わせる。静寂って言葉が当てはまる。伊吹山や鈴鹿山脈からの、ほのぼのとした暖かみのある眺めとは大違いだ。
 下山ルート、堂満東稜道についてのルート情報を尋ねた。某なんやら系のパーティーが登ったから、トレースはしっかりしているとのこと。彼らは、第Vルンゼを登ってきたと言って、そこを降りると速いと言う。第Vルンゼか。そりゃ、バリエーションルートを使えば速いだろう。単独でバリエーションルートはやらないことにしていると言うと、金糞峠までピストンして青ガレから降りろ、東稜は長いだけの単調な下りだからやめろと彼らは言う。行かないというと、どうしてだという。親切のつもりだろうが、一寸くどい。同じ道を通りたくないということで、ようやく納得してくれた。
 分れ際に「聞き覚えのある声だけれど、何処かで逢わなかった?」とパーティーの一人に聞かれた。逢ってるよ。「あちこち、ほっつき歩いてますから、多分何処かで逢っていますよ。では」そう言って別れた。最近、山へ来れば、たいてい知った人に出合う。特にこんなメジャーな山ならば。ほんと、世間なんて狭いもの。
 最初の一〇〇メートル程はかなりの急勾配だった。大勢のパーティーが列をなして登ってくる。これならばトレースを見失うことはないだろう。確かに単調でだらだらとした一般道だった。下りとはいえ二五キログラムの装備は疲れる。「こんなのでバテるな、情けないぞ労働1号」南裏氏の声が聞こえてきそうだった。
 イン谷口が近くなると腐った雪の為に、アイゼンがガチャガチャと音をたててうっとうしいのでアイゼンを脱いだ。車道に出るとスパッツや手袋、オーバーヤッケを脱いでピッケルもザックにしまう。そのまま比良駅まで歩いた。
 腹減った。ポケットに突っ込んでいたチョコレートも行動食も摂り忘れ、ひたすら歩き通すのも問題だ。少し早いが、この時間ならば人外協の二月大阪例会の二次会に間に合う。そこでまともな食料を補給しよう。あぁ、なんて計画的な・・・。
 疲れたが、楽しい山行だった。比良駅で電車を待っている間、雪の比良山系を眺めながら満足感に浸っていた。また来よう。

 さて、甲州画報六九号の川崎[漁師]隊員の疑問に対するお答えです。山型の性格となると、無計画では臨めないので、必然的に計画をたてなければなりません。勿論、アクシデントは常に考慮しておかなければならず、その場の状況に対応して行動する必要がありますが、それはあくまでも山での話であって、下界では必ずしも当てはまるとは思えません。山屋は物好きで好奇心が強く、皆とは言いませんが、どこかブッ飛んだ、つまり普通でない(時々クライマーにドラッグとかでイカレているのがいたりもするのだが、そんな本当に危ない輩は例外として)ところがあるようにも思えます。それに比べればSFファンなんて(多少の読書知識は認めますが)可愛いものだ(まとも)と言えるでしょう。計画性があるかどうかは個人によるでしょうが、結論として、これだけ肉体を酷使して満足しているのは、断言はしませんが、マゾとしか筆者には思えません。尚、筆者は山屋ではなく単なる普通の週末ハイカーです。念の為。山と下界、来たり行ったりしているのが良いのです。

堂満岳(暮雪山)



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