GWに大峯山脈の弥山から釈迦岳を経て前鬼まで、二泊三日の縦走を計画していた。ところが、連休直前になって、昨年暮れに弥山で行方不明になっていた二名の兵庫県警職員の遺体が発見された。そのニュースを見た親父殿が、弥山=遭難=死亡=危険と勝手に思い込んでしまった。こうなると手に負えないのが年寄りである。ルートとシーズンを考慮して、危険はないと説得を試みたが、徒労に終わった。親不孝もしたくもないし。(このコラムの初回でも取り上げましたが、あの皇太子さんですら、登っている山ですよ)飛行機ほど危険やおまへん。
この計画は、何れほとぼりが醒めた頃に実行するとして、今回は日帰りで大台ヶ原(大台ヶ原というピークの山は存在しない)に計画変更した。きっかけは、ヤマケイの5月号に「今年の連休あなたが行くのはこの山だチャート式ガイド20」をみて、スタートが「GWは山ですごしたい」YesかNoでYesとやって、たどり着いたのが4番目の大台,三津河落山(経ヶ峰から大和岳、名古屋岳のルート)だった。名古屋岳なんて山があって話のネタには面白かろうと思ったからだった。
大台ヶ原といえば、深田百名山の一つで年間五千ミリの雨とトウヒや苔の原生林に妖怪「一本タタラ」が有名。黒潮の影響で日本でも有数の降雨量を誇っているが、これに勝る所は屋久島の山岳地帯の年間八千ミリだろう。隆起準平原で頂上付近は平らである。5000ミリといえば、雨ばかり降っているように思われるかもしれないが、降り出したら一度に二百ミリ、三百ミリと降って、晴れるときはカラッと晴れ上がる。だから「大台のキチガイ水」と呼ばれている。
五月二日、朝六時に家を出て近鉄(近畿日本鉄道)大和上市駅で下車。奈良交通バスは「経ヶ峰」では下車出来ないのでタクシーを使った。タクシーの運転手が今年になって大台ヶ原に行くのは初めてだと言う。大台ヶ原ドライブウェイを走っていると登山口が見つからない。運転手が「確か、この辺に登山口が在ったけど」と言って捜してくれるが無いものはない。「捜しながら歩くから」と言って下車した。タクシーは大台ヶ原駐車場に向って走って行った。
歩きながら登山口を捜したが、やはり見つからない。1500メートルの標高だから涼しいと期待していたが、蒸し暑いばかりである。暫く歩いていると、先ほどのタクシーが帰って来た。「今、上のビジターセンターで聞いたら、そのルート廃止されて廃道になってんねん」と運転手。新しく林道が出来るので登山道が廃道となったとのこと。現在、どこからも三津河落山へは登れない。ヤマケイの最新情報も開発のスピードには追い付けなかったのだ。ケッ、また山に逃げられたか・・・
大台ヶ原駐車場までタクシーで運んでもらって、タクシー代一万四千円を支払った。バスならば二千円で済んだのに。いや、こんなことならばいっそのこと、車かバイクで来たほうが良かったかも知れない。アプローチに五時間。こうなれば周遊ハイキングコースで我慢するしかない(嗚呼惨め)。
駐車場から日出ヶ岳をめざして歩きだす。休日となると観光客で混雑するためか、歩道がコンクリート舗装されている。日当たりの悪い斜面に泥だらけの雪が残っていた。階段を少し登りコルに着くと道が左右に分岐している。左に二百メートル程の所が奈良県と三重県の県境にある日出ヶ岳の山頂である。駐車場から歩いて三十分、標高差百メートル程、海抜一六九五メートルの三重県の最高峰である。三六〇度のパノラマで、天候が良ければ富士山も見えるが、春霞がかかって熊野灘すら見えなかった。イトザサが密生していて、気象観測ロボットとコンクリートの展望台と一等三角点が設置されている。ロボットは分かるが、うっとうしいだけの展望台は何の為にあるのだろうか。山頂と言うよりは、丘としか思えない。少し早いが、日出ヶ岳山頂で昼食にした。
この山頂でシンセサイザーを持ち込んで演奏しているオジさんがいた。ヘッドホンで聞かせてもらった。山頂までシンセサイザーを持ち込めるような山である。
分岐まで降りて小さな起伏を登り正木ヶ原まで歩く。絨毯を敷き詰たようにイトザサが密生して、トウヒが立ち枯れている。到るところに倒木があり、まるで木の骸骨といった感じで幻想的な雰囲気。霧でも出ていればホラーっぽい感じで尚良いのだが、無風状態で日が照りつけて蒸し暑いだけだった。
水溜まりがひからびた後に動物の足跡が大量に残されていた。猪か鹿のヌタ場だった。その近くに三頭の野生鹿がいた。人が食事をしていると寄ってくる奈良公園のお行儀の悪い御神鹿と比べると、控え目な鹿だった。看板に「鹿に餌を与えないで下さい」とあった。開発に住処を追われた鹿が大台ヶ原まで逃げて来て、トウヒの樹皮や新芽を食べてしまい、原生林の被害が無視できない状態にあると聞く。どちらも観光資源で野生保護動植物。うかつなことは出来ない。
尾鷲辻を経て牛石ヶ原に来ると、ハイカーが弁当を広げている。正木ヶ原よりも広い。ここまで多少の起伏はあったが、ほとんど平坦な道だった。牛石ヶ原も平坦なところで絨毯を敷き詰めたようなイトザサが密生していて、昼寝をするのにちょうど良い。まるでどこかの公園を思わせる。昼寝をしているところを、通りかかったハイカーに写真を撮ってもらった。Kから借りた「現場監督」を見たハイカーが「わし、土木屋やってるけど、あんた現場監督か?」と訳の分からんこと聞かれて「いや、唯の図面屋です。それは借り物で」と筆者。「現場監督」とは、土木屋さんにはお馴染みのバカチョンカメラである。
牛石ヶ原には、神武天皇の銅像と御手洗池と牛石があり、それぞれの周りには柵があった。神武天皇の銅像はかなり場違いな気もするが、この銅像を建てた政治家の名前がデカデカと彫られていたのには呆れた。これは尊皇などではない。宰相の分際で売名行為もここまで来ると滑稽である。
「御手洗池」はよく分からない。直径一〇メートル程の柵の中に、かつて水があったと思われる三〇センチ程の深さで、泥がひからびているだけだった。
この野原の名前にもなった「牛石」であるが、大阪城の天守閣の南にある「残念石」程の大きさで、魔物達をこの石に封じ込め、一匹だけ逃れた魔物が通りかかる旅人を取って食べていたとの伝説がある。
さて、いよいよ今回のハイライト、大蛇嵒(だいじゃぐら)である。牛石ヶ原から15分程歩いたところに大蛇・の展望台がある。展望台といっても日出ヶ岳のコンクリート製のような展望台ではなく天然の岩稜の先端に墜落防止の鎖の柵があり、行き止りになっている。ここからの展望が凄い。右も左も下まで数百メートルの大絶壁の先端。前方に東ノ川渓谷を隔てて竜口尾根の向こう側に山上ヶ岳から、大普賢岳、行者還岳、弥山、釈迦岳と霞んだ大峯山脈の稜線が一望できる。また、千石・の長瀑、中ノ滝も迫力。とてもとても、写真やビデオ、筆舌に尽せるものではない。絶好のビューポイント。感動的である。絶景という言葉はこの為にあるのだろう。
ここから少し引き返して分岐をシオカラ谷まで降る。シャクナゲが生い茂っているが、花の見頃は一月ほど先だろう。シオカラ谷の谷底には吊橋があり、その下を清流が流れている。熊野川の源流の一つである。シェラカップに水を汲んでガスストーブにかけて珈琲を沸かして飲んだ。目の前をティシュペーパーが流れていた。煮沸しているから、淀川の水よりは安心できるだろう。
川を渡ってコンクリート階段を登り駐車場に到着。後はバスで大和下市口へ。
今回のハイキングースは、累積標高三九〇メートル。のんびりと休息しながら歩いても3時間半もあれば大丈夫。本来この山域は渓流美を楽しみながら渓谷遡行するところであるが、結果的に(不本意ながら)今回は、山頂ハイキングになってしまった。