地図を見るのが好きだ。ユニバーサル横メルカトル図法で描かれた国土地理院発行の地図なんか。地形が精密に描写されていて、スカイラインなんか想像してみる。いろいろと善からぬ考えが湧いてくる。
裏六甲の不動岩周辺の地図を見ていて、大峰山と記された山の存在を知った。一般に大峰山といえば、紀伊半島の中枢部、女人禁制の山岳信仰の山として崇められているあの大峰山(大峯山)なのだが、同じ名前の山はどこにでもあるもので(京都の宇治にもある。多分他にもあるでしょう)、今回取り上げる山は本物の大峰山と比べれば、地元でさえ知名度は皆無に近く、標高に至っては比べ物にならない。宝塚市の裏山と書けば、おおよその位置は理解できるだろう。
しかし、いくら同じ名前だからといって、たかが標高五五二メートルの宝塚の裏山を取り上げる訳には行かない(もっとも、標高でいえば二五〇メートルしかない性崇拝の山を取り上げたこともありましたが)。いろいろと調べているとガイドブックにも出ていて、コースによっては結構楽しそうな所らしいことが分かった。
近場のハイキングだったので、のんびりとした出発になった。阪急の宝塚で下車して、十万辻の登山口までバスに乗るつもりだったが、この遊園地前のバスは昼間はろくに動いていない。仕方がないのでタクシー代二一三〇円を奮発して一一時五〇分に登山口に到着した。これならば歩いてもよかったと思った。しかし、登山口に着いてみるとゴルフ場の拡張工事で大幅に現況地形が変っていて、登山口がかなり後退していた。その為、バス亭からだと一寸分かりにくくなっている。
かつて、何処とはいわないが、六甲山地の西の隅っこ(言っているようなものだろうが)にハイキングに行った事があったが、地図にある山は既になく、かわりにニュータウンになっていた・・・なんて悲しいことがあった。あの時はガックリして引返してきたが、十年後にはこの山もどうなっているか分かったものではない。
ここから山頂まで標高差二〇〇メートル程度。移動距離にして約二キロ。三〇分もあれば頂上に着けるだろう。
平坦な林道を南に向って暫く歩くと赤いテープが貼ってある。右へつまり西側の登り道へ進めば頂上に出られる。稜線に出るまでは少し急登になる。倒木が道を塞いでいた。稜線に着くと、関西電力の送電鉄塔があった。稜線は東西に走っていて、送電線は南北に走っている。その送電線に沿うように関西電力の点検通路が通っているので、南北方向にいくらかの展望が開けていた。
稜線に沿って緩やかなコースが山頂まで続いている。一二時二〇分に五五二・三メートルの山頂に着いた。歩きだしてから三〇分しか経っていない。山頂は南側に僅かに展望があるぐらいだった。ここに来た証拠にと、ハイキングクラブの山頂を示す標識が、くどいほど掲げられている。
三等三角点の隣に腰を降ろして昼食にする。少し下の方から三人連れのオバさん達が大声で会話しているのが聞こえてきた。「・・・昨日の晩に洗濯も朝食の用意もしてから出てきてん・・・」「・・・洗濯なんか子供にさせたらええやんか。あんたとこ女の子いてるんやし・・・」「・・・あかんあかん、クラブやコンパやゆうて遊び歩いて・・・」ここに人がいるのも気付かずに、何処へ行ってもオバさんはオバさんである。なかなか熱の入った話し合いが果てることもなく続いていた。
ふと隅に目をやると、「やまきの鰹節」の空き缶が置いてあり、「きっちりと閉めるように」とマジックで書かれてあった。こんな処に鰹節がデポしてあるわけでもなく、開けてみると大学ノートが二冊とボールペンが二本入っていた。ノートをパラパラとめくってみると、ここへ来たハイカー達がいろいろと書いていた(駅のトイレのような落書きがなかったのはさすがである)。MTBで登って来たのがいたり、今日の日付を見ると六十五才と六十二才の夫婦や地元宝塚から女ばかりの十一人のハイカー達が来たことが記されていた。筆者も一言書くことにした。
さて、頂上から西へ下山すれば水上勉の小説「桜守」(読んだことがない)のモデルともなった「亦楽山荘」の小屋があるとガイドブックには書かれている。今回のハイキングの目的の一つでもあるので是非とも訪れてみたかった。どこぞのハイキングクラブの「亦楽山荘」を示す標識に従って山を降り始めた。ガイドブックと違っているが、標識を優先した。ところが、道は途切れ、テープもなくなっている。暫くウロウロすると、こんどはあちらこちらに目印のテープが巻かれている。西どころか、多分北側の斜面のおおよその位置しか推定できない。
雑木林が途切れて川に出た。水田の向こう側に農家が数軒あった。道を聞こうと思い、農家目指して畦道を歩いていると、ハイキング姿のオバさん達に出くわした。道を聞こうとすると、「済みません、ちょっと道をお聞きしたいのですけれど」と向こうから声をかけてきた。・・・こっちが聞きたいぐらいだ。
結局、農家のオジさんに道を聞くことになった。聞くところによると、大峰山から道を間違えてここに降りてくるハイカーが後を絶たないらしい。親切に道を教えてくれた。それによると、推定された場所だった。
このハイキング姿のオバさん達、十一人いる。「もしかして、宝塚から来た?」と聞くと「何で知ってるのん?」と聞かれた。山頂のノート見たことを話すと、誰が書いたということになり、一人が名乗った。山頂からここまで、知らない間に彼女達を追い越していた。
このオバさん達、女だから常に団体行動をとっているらしい。賢明だと思う。女の独り歩きは襲われる可能性が高くて危ない。独り歩きの好きな筆者は、女に生まれなくて良かったと思った。
オバさん達の歩行速度に付き合っていたら埒がないので先に行かせてもらった。
農家のオジさんに教えてもらった道を行くと家が二軒あり、そこを通過するとすぐに車道に出た。この車道に沿って僧川が流れていて、武庫川へ注いでいる。流れに沿って暫く歩くと、旧JR福知山線の高架があった。
タイミング良く歩いて来たハイカーに高架への登り口を教えてもらった。盛土に付けられたコンクリート階段を登って旧JR福知山線の線路敷を木の元まで歩く。なんで旧JR福知山線なのかというと、ここよりも西側に新線ができて昭和六十一年この武庫川渓谷に沿った線路が廃止されたとのこと。そして現在はハイカー達に開放されているが、事故った時は各自が責任を負うことになっている。
この廃線が結構面白い。鉄橋ありトンネルあり、それでいて渓流美がなんとも素晴らしく、景勝地になっている。ただ残念なことに、誰でもが歩いているので吸殻や空き缶、カップラーメンなんかのゴミが目に付く。
亦楽山荘に立ち寄るのはあきらめて、このまま歩くことにした。この廃線はトンネルがけっこうあるのでヘッドランプが必要である。
廃線で知り合ったジイさんバアさんのアベックハイカーとだべりながらJR福知山線の生瀬駅迄歩く。「マムシに注意」と書かれた看板を見ると廃線は終わり国道一七六号線にぶつかる。ここが木の元で、上を中国自動車道が東西に走っている。このアベックとは生瀬で別れた。
桜の咲く頃、もう一度ここを訪れてみよう。