裏六甲不動岩・中央壁、重箱(5・9)。白峰会メンバーと行動を共にする。アンカー。クライミングギアを回収しながら登っていた。甘く、気持ちの悪いホールド。しかし、5・9の易しいグレイドだ。右手をアンダーに持ち変えた途端に手首に電気が走るような激痛に襲われた。次の瞬間、躰が宙を舞う。テンション。「どうしたー?!」と上から串畑氏が叫ぶ。「すんません。大丈夫です。何でもありません」宙吊りになりながら右手をかばう。久しぶりに岩場でクライミングをやったら、腱鞘炎が再発した。完治していたわけではなかった・・・shit!
それから一ヶ月半の間、酒とデスクワークですっかりサラリーマン化してしまい、何のトレーニングもせず、週末ハイキングすら行かなかった。消えていた指紋は元に戻り、腹や尻や太股には脂肪が付き、躰はブヨブヨと醜く膨らんできた。そんなとき、知り合いの細君が一度しか乗っていないMTB(Mountain Bike)を半値以下で売ると言ってきた。
「鍵だけはしっかり掛けて下さいよ。東商の東さん、買って五分しか乗ってへんMTB、コンビニに入っている間に盗難されたらしいですよ」MTBの取り扱いを一通り説明し、最後にそう注意された。忠告感謝。御丁寧にスタンドまで付いている。邪魔なので取り外した。
MTBを入れる袋を輪行袋と呼ぶらしい。MTBをバラして輪行袋に入れて電車に乗ると、京阪電車でもJR西日本でも二百六十円を荷物券として支払わなければならない。
京橋でJR大阪環状線に乗り継ぎ、天王寺でJR阪和線に乗り換え熊取(くまとり)駅に到着したのが十一時だった。出発してから二時間以上も経過している。も
っと早く出発すればよかったと後悔する筆者であった。「後悔、後を絶たず」
さっそく熊取駅バス停の片隅でMTBを組立た。輪行袋がザックになかなか収納できない。「大変やな、そのチャリンコも」バスを待っていたオッサンがひやかす。余計なお世話だ。一応、転倒した場合を考慮してヘルメットを被る。但し、急だったのでMTB用のヘルメットまでは手がまわらず、手持ちのロッククライミング用のヘルメットで間に合わせた。正直言って、なにか恥ずかしいような気がする。
「犬鳴山一〇km」と書かれた道路標識にしたがってアスファルト舗装の車道を行く。阪和自動車道の橋梁を潜って、犬鳴川に沿って道路を登って行く。観光バスの往来が激しい。この犬鳴山は行場や温泉、キャンプ場があるらしいが、詳細は筆者の知るところではない。
犬鳴山バンガロー村を通過して大阪府と和歌山県の県境にある採石場を通過し神通大橋に到着する。熊取駅からここまでが五十分。ハイキングならかなりのスピードだろうが(二足歩行ならマラソンだ)、MTBならばどうだろうか?ハイキングならばここまでがアプローチなのだが、日頃の運動不足が崇って、くたびれた。
神通大橋を渡り右折する。さて、ここからが未舗装の林道となる為に、走っているのはバギーかモトクロスバイク又はMTB位なもの。ハイキングコースとするならば、整備の行き届いた歩きやすいコースになるのだろうが、これをMTBで走るとなると辛い。MTBに馴れていないためもあって、石に車輪が捕られてなかなか進まない。二十一段のディレイラー(変速機)は伊達ではないと思う。シフトダウンしてギア比一:一の一番軽いので走ると、今度は漕いでも漕いでも前に進まない。ヤケクソで漕いでいるとウイリーになった。「白い橋」を渡ると、クタクタでMTBから降りて、押して歩くといった無様なことをやっていた。ああ、日頃の運動不足と肥満が崇る。
一二時三〇分に昼食にする。このまま下山して帰ろうかと考えていた。しかし、人間、腹が膨れると元気が出るもので、頂上まで行く気になった。降りてきたMTBと挨拶して擦れ違った。
押したり漕いだりして登っていると、バギーやバイクが追い越して行った。こちらは人力、あちらは内燃機関。所詮勝負になりっこない。
一三時三五分に「林道紀泉高原線」と書かれた標識があった。幅員四・〇〜六・〇m、延長六・五五八mとある。地図には書いていない。一kmほど前方にガードレールまである立派に舗装されたアスファルト道路が見えた。立派すぎる。確認の為に正月用のクマザサを採りにきていたオバさんに道を聞くと間違いないとのことだった。地図は間違っていなかった。いつの間に舗装されたのだろう。
舗装道路までたどり着けば、砂利にタイヤが捕られることもないだろう。
確かに、タイヤが砂利に捕られることもなかった。視界も開けて気持ち良いが、上り坂であることに変わりがない。必死でペダルを漕ぐ。やっぱり日頃の運動不足と肥満が・・・。
汗だくになって漕いでいると、一台のバギーが寄って来て助手席の窓が開き、呼び止められた。先ほどクマザサを採っていたオバさんだった。「ちょっと、飴やろ、那智黒むいたったから食べ」と言われ、「おおきに」せっかくだからいただいた。「あのなぁ、この先行ったら、展望台や売店あるからなぁ、ここまっすぐやで」と言って、追い越して行った。
五本松に着いた。ここは和歌山県粉河町のふるさとづくり事業地になっていて、きれいに区画されていてロッジが立ち並んでいた。展望台や駐車場や売店があった。こんな処まで開発かと思うとうんざりするが、六甲山ほど無計画で下品さは感じられない。ただ、これ以上の開発は考え物だ。暫く観て歩く。
ここから暫く緩やかな下りが続く。きれいにアスファルト舗装された尾根道。漕がなくてもMTBは軽快に走り、展望は申し分なく、南側の眼下には紀ノ川が流れ、その向こう側には、奥高野の山々が遠望できる。まさに天を飛翔しているような快感。
目指す和泉葛城山の山頂にあるNTTの無線塔が見え出したころ、軽快な下り坂は終わり、上り坂となる。シフトダウンをしてひたすらペダルを漕ぐ。「松茸山につき入るな。十一月二五日まで」との看板がふと目に付いた。そうか、もう少し早い時期に来ていたら、こっそりと採りに来て...来年の松茸シーズンは逃さないぞ。来年の「アウトドア人外協」は紀泉高原に松茸を追う、題して「人外協和泉葛城山松茸密猟ツアー」・・・冗談です。犯罪になるので、立ち入らないほうが良いでしょう。
頂上を目前にして、一寸休憩。あぁ、しんど。ザックから水筒を取り出して水を飲む。ウェアから汗が湯気となってまいあがる。きれいにアスファルト舗装されている割りには交通量が少なく、六甲山のような渋滞はない。日曜日だというのに、家族連れやアベックが僅かにいるぐらいだった。ドライブでのデートコースとしては穴場だろう。
どこまで行っても山々が奥深く続いていている。これを難しい言葉で「深山幽谷」と言う(おお、浜村淳の真似)。ここから大峯山脈や奥高野の紀伊半島のどこまでも続いている山々を観ていると、深山幽谷と言う言葉がピッタリと当てはまる。わずか一千mにも満たない山からの眺めなのだが。山の魅力の一つはこれだろうな。
頂上付近の売店で甘酒を飲む。百五十円。全部十円玉で出したら、売店のオバさんに喜ばれた。釣銭が無かったらしい。
八五八mの和泉葛城山頂上には龍王神社があった。何が奉られているのかは知らないが、御賽銭をあげて参拝した。山頂にある御社で拝む事はいつも唯一つ、決ま
っている。「無事下山できますように」唯それだけ。
この辺り一帯は、ブナの原生林で天然記念物となっている。
展望台へ行き、大阪方面を観る。スモッグが立ち込めている。そう、筆者もこのスモッグの底に住んでいて、明日から又スモッグの底をウロウロする一週間が始まる。
大阪湾の泉州沖に建設中の巨大な埋立地、関西国際空港が見える。不等沈下、世界一高い利用料等に悩まされ、その経済効果、環境への影響といろいろと言われているが・・・それにしても大きい。
MTBに鍵を厳重に架けて、暫く山頂を散歩した後、一五時三〇分に下山する。アスファルト舗装された、交通量のほとんどない曲がりくねった車道を大阪方面へ向って降る。速い速い。MTBの魅力ってダウンヒルだったのだと納得した。
腕時計に付いている高度計が三分間で高度差百m以上の割り合いで降りているとカウントしていた。頂上が急速に遠ざかって行った。少々あっけない気がする。
途中から未舗装の林道になる。サドルに腰を掛けると、お尻が痛くなって、痔になるので、腰を浮かせて腕と足で衝撃を吸収しながら走る。二十分で下山できた。
岸和田市河合町で国道一七〇号線の交差点にぶち当る。このまま一気に一七〇号線を北上すれば四、五時間ぐらいで家に帰れると計算したが、ここで大ボケをやったのに気が付いた。買ったばかりのMTBだったので、まだライトを装備していなかった。なんて、おバカな・・・。仕方がない、JR阪和線の東岸和田駅まで行くしかない。
山頂から東岸和田駅まで一時間もかからなかったが、MTBをバラして輪行袋入れるのは恥ずかしいものがある。しかし、林道を降っているのは楽しかった。ジャ
ックナイフターンやウイリー、ダニエルなんて芸を練習してみようかと思うが、高度なバランスが必要だろうな。人外協でMTBを乗り回している隊員も多くいることだろうと思う。高等芸ができたら、やり方を教えて欲しい。
阪和線の車内で、腱鞘炎と肥満に脅えつつ行動食を貪り食っていた。クライマーとして再起できるだろうか。
ある晴れた十二月上旬の日曜日のことだった。