『人類新世紀終局の選択−「精神世界」は「科学」である−』(青春出版社)
◆ この本でわかった事 ◆
★栗本慎一郎はバシャールを信じているようだ。
★栗本慎一郎は自然科学の常識を知らない。
★栗本慎一郎はいかにも超科学的な論旨の張り方をする。
★栗本慎一郎は心に棚がある。
いやぁ、前から栗本慎一郎ってあぶないあぶない、と思ってたのだが、こんな見事にあぶない本があるとは知らなんだ。というわけで、この本を紹介しましょう。
先に書きましたが、なんとあの人、バシャールを信じているようなんですねぇ。
バシャールって何?という人には「アリオンみたいなもの」と言っておきましょうか。これでもわからない人には「チャネリングしてくる宇宙の霊だよ」と言っておきましょう。「チャネリング」って何だ、と言いますと、つまり宇宙の霊が降りてくる〜〜〜って奴です。宇宙の霊が人間を通して直接語りかけてくるんですねぇ、こわいですねぇ、おそろしいですねぇ。これで死人が降りてくるなら恐れ山みたいですねぇ。「宇宙イタコ」というのがよろしいでしょうか。
さて、この本の最初、第一章には何が書いてあるか。まず、宇宙存在はいるのだ、と書いてある。『多少なりとも宇宙物理学を学んでいる人間で、地球上にだけ生物がいると考えている人間は一人としていない』とある。なるほど、これはまぁ多少の例外もある筈、ということを除けばよしとしましょう。続いて、だからといって宗教的に超常現象や宇宙人の事を考えるのはよくない、と述べています。なんと科学的な考え方でしょうか。すばらしいですねぇ。スローガンとしては。
なんで、スローガンとしては、なんて注釈つけるかは、おいおいわかります。
栗本はさらに、超常現象研究の陥し穴をあげる、として、『彼らにとって第一に問題になると思われるのは、「科学ではわかりっこない」といった、科学を頭から排除しようとする体質である』と述べています。いやこれまたすばらしい。ほんとに科学をわかっている人が言ったのならば。
なんで、科学をわかっている人が言ったのならば、という注釈つけるかは、もうすぐわかります。
ここで栗本は大槻先生がミステリーサークルをプラズマで説明することに拒否反応を示す人たちを「思考停止」として批判している。『つまり、自分に不利に見える論理は頭から拒否してしまうという姿勢を取りつづけるかぎり、精神世界の人たちは児戯に等しい“超能力”とやらで戯れているしかない。』と、これまたうんうん、と頷いてしまう。しかし、その後、ちょっと頭に暗いものがよぎる文章が続いている。即ち、『そういう彼らに、人間より遥かに進化した宇宙存在が真剣に通信を送ってくることもあるまい、と感じたのである』と。“宇宙存在”って、まさか・・いやこの暗雲は今はとりあえず振り払っておこう。
さて、では、栗本のプラズマ理論に対する理解はどんなものか?
『「こういうことが起きたらこうなりますよ」というように、現象がおおよそこうなるということがわかって、それを一応「プラズマ現象」と呼ぶことにした、というもの。その現象に名前をつけておけば、次にその事を話す時に、一から説明しないですむから、ということにすぎないのである』
ちょっと待った。これじゃ、「プラズマ」というのはミステリーサークルの為だけに、大槻先生が作った言葉みたいじゃないかぁ。プラズマに関してはこれまで十分に研究されていて、ちゃんとその運動を説明する理論があって、それを使えばミステリーサークルが説明できる、と言っているからこそ大槻先生の主張には意味があるというのに。しかも、この後読んでいくとこう書いてあるのだ。
『だからもちろんよく考えれば、じつは、ちっとも説明になっていない、といったようなものだ。せいぜい一歩前進といった程度にすぎない。』
あんぐり(口を開けた音)。口をあけたまま、次へ行こう。次では超能力である。
『その現象の原理や根拠を示すことができれば、それは超能力でも超常現象でもない。』ごもっとも。『したがって、「スプーン曲げ」は超能力でもなければ、超常現象でもない。』え?・・いつのまにスプーン曲げの謎が解明されたのだろう??
『金属は他の物質とちがって、内部で電子がとびまわっている。(中略)そして、人間の体は微弱な磁気を持っていることは確かだ。そして、それが特別に強い人がいても不思議ではない』
これはかなり不思議ではないですか。『超能力で超常現象でもない』というのなら、その人の“特別に強い磁気”を測定するとか、その磁気があればスプーンが曲がる事を計算なり実験なりしてみせるとか、そういう事やってからにしなさい。
誰もそれに成功してないのに、そこまで言い切る根拠はどこ?
そして、この後も「ちょっと待ったぁ」が続くのである。
『今日、最先端の物理学は、振動が別の振動をよびおこす=共振によって生命現象の基礎を説明できるようになった』
いつ〜〜〜どこで〜〜〜だれが〜〜〜。
その後がまたすごい。
『たとえば、電子というものを考えると、以前は電子というのは原子核の回りを飛び回っているものだと説明された。私の少年時代はまだそうだった。ところがいまから十五年ぐらい前から、じつは、電子というのはそういう球のようなものではなく、確率だという事がわかってきた。』
電子が電子雲の状態になっていることなんて、栗本の生まれる昭和16年より前からわかってますがな。そりゃ、小学生には今でも教えないけど。ちなみにこの本の発行は1991年。つまり15年前というのは1976年です。この頃まで栗本は量子力学を知らなかったのでしょうな。そして、栗本が関知しないものはこの世に存在しないも同然なのでしょう。
で、なんでこんな話を栗本が始めたかというと・・『だから電子は常に同時には存在しない。したがって、スプーンならスプーンのある部分に、たまたま電子がそこにいない一瞬に、何かで突き通したり、曲げたりするということは理論的に簡単に可能なことなのである』なんだそうで。
百歩ゆずって、“電子がそこにいない一瞬”ってのを認めたとしましょう。スプーン一本の中にどれだけ電子があって、そのどれだけの電子を動かせば、スプーン曲がるんでしょうか。そもそも、どうやって電子のいない間に曲げるのかしらんけど。
さて、次はUFOについて。栗本はここで、『宇宙存在についての重大な誤解』というタイトルでUFOに関する話をはじめます。栗本は宇宙存在を信じています。しかし、UFO写真は信じません。なぜか。
『UFOをめぐる論争もまったく論理的ではない。
人間の知覚というのものは限定された知覚である。その、限定された知覚の間隙をぬうのがUFOだ。
となると、UFOは写真に写ったという類の話はほとんど嘘であることは間違いない。』
“限定された知覚の間隙をぬうのがUFO”ですとぉ?
誰が決めたんですか、誰が。現に写真はあるんですよ・・それに写っているのが何かは別にして。論理的に考えるなら「ではこの写真に写っているのは何か」と考えていくのが普通でしょう。で、続きを読みますと、
『となると、UFOが写真に写ったという類の話はほとんど嘘であることは間違いない。人間の知覚に合わせ、人間の目に見えるようにしたものが人間のカメラだからだ。そこに、現世の論理をこえたUFOや霊の姿が映るというのはどういうことだ。トリックである。』
UFO写真や心霊写真にはトリックで撮られたものも多くあるのは事実だが。「写真に映る」即ち「トリック」というこの論理はなんなんだぁぁ。
「何だかわからないが、写真に映るものがある」から研究を始めている人を「論理的でない」と言い切るこの姿勢の背後にあるものは何か。
つまり栗本は“UFOとはこんなもの”という自分の思い込みを持っているのである。それは何か。
う〜む。「ちょ〜」だ「ちょ〜」の匂いがするぞぉ。
そして、その「ちょ〜」が姿を現すのが、以下の文章だ。
『バシャールの例を見てもわかるように、いくらでも姿をあらわさずに通信を送ってこられるのが宇宙存在である。
ふつういわれる、かたい金属のようなものに取りまかれた飛行物体という、空飛ぶ円盤の形状についても疑問が生じる。
いくらでも、いわゆる肉体、かたちを持たないで活動できる宇宙存在がなぜ、そんな複雑な形状をした乗り物に乗ってやってくる必要があるのか。』
もうおわかりですね。栗本はバシャールを信じているので、それ以外の“宇宙存在”はいらないのでした。ありがたやぁありがたやぁ。
続いて、「ちょ〜」の得意技、相対論批判です。
『UFOを「浦島効果」で説明しようとする人たちがいるのも不思議である。
これはおそらく、UFOの議論の際、何億光年もの距離を生命体がやってこられるわけがないではないか、というような議論があって、そこから持ちだされた説明にちがいない。
マイケルソン・モーレーの公式以降、「ロケットが光の速度と同じになると、ロケット上の時間の進み方はゼロになる」ということはたしかにいえる。
しかし、時間の進行がゼロになったら、肉体が老化したり、死んだりしないか、ということになれば、これは言えない。』
小さいところをつっこましてもらいますが、「マイケルソン・モーレーの公式」って何?
それを言うなら「ローレンツ変換の公式」でしょう。マイケルソン・モーレーの実験ってのはあるが。
それはさておき、なんか浦島効果は起こらない、って言いたいみたいですな。この人。ではその続きを読んでみると。
『宇宙定常状態説とかビッグバンを考える時点で、時間という概念は使えないことはわかっている。宇宙とか神とかを考える時、時間の概念はまったく意味をもたない。
浦島効果というのは、速く飛ぶ飛行機のなかでは時計の進み方が少しちがう、というような点では確実である。それをUFOまで押しひろげようとするのはムリがある。』
飛行機とUFOの違いは何?
UFOを特別視することのほうがムリがあると思うのだが。この後もハチャメチャである。宇宙人はテレポーテーションができるからそんな事考えるな、という論調なのである。
さて、結局栗本はチェネリングを信じ、バシャールを信じ、よって宇宙人は精神でやってくるからUFOみたいなぶっさいくなものには乗ってこない、と思っているわけだ。
しかし、じゃあ栗本はチャネラー(チャネリングする人)を礼賛しているか、というとそうでもない。チャネラーはもっと現代科学を勉強しろ、と言うのである。それも、『生命体をふくむすべての物質が振動とか波動だと捉えるようになった最先端の物理学からいうと、宇宙存在のメッセージは波動のようなものとしてチャネラーに伝わってくると考えられる』なんて書きながら、ですよ。自分がどれだけ現代科学を勉強しているんだぁ、と言いたくなりますな。せめて量子力学が何年にできたか、ぐらいは・・。
さて、まだまだ続くとんでもない話。栗本に言わすと、科学の世界でもチャネリングは起こっているのだそうな。よい例がアインシュタインで、特殊相対論の骨子は十六歳の時に得られていた、と言って『その結論は十六歳のアインシュタインのどこからきたのか――。チャネリングとしか言いようがない』と続けるのである。アインシュタインがいつ相対論を考え始めたか、というのは諸説あるのでつっこめないが、それが宇宙からのチャネリングだ、などとぬかすのはあんまりを通り越している。
それだけじゃない、一流の学者はみんなチャネリングしているんだよ、私だってやっているよ〜と書いてあるのだが・・まぁ、なんなとして下さい、としか言い様がありませんな。
さて、ここまでで栗本の「ちょ〜」ぶりは十分わかったことでしょう。この後も輪廻転生の話だの、ウィルスをばらまいて人の心を操作する話だの、という話が続きます。最後の章では人類が進化するためにはバシャールの言うようにワクワクして生きなさい、なんていう、わけのわからない結論めいたものが出ている。
そのくせ、『思考停止という悪魔の罠にはまらないためにも諸君の脳を鍛えておく意味は大いにあるだろう』なんて説教している。
あなたの思考、止まってませんか??