浄瑠璃や歌舞伎の演目にもある、また映画や芝居にもなっているし、「四谷怪談」と並んで有名ですから「皿屋敷」って話は知ってますよね。
私も当然知っているつもりだったんですが、「番町皿屋敷」なのか「播州皿屋敷」なのか、つまり事件が起こった現場が東京(というか江戸)のどこかなのか姫路なのか自信がなくなってきました。
ところで「番町とは、千代田区一番町〜六番町の総称のこと」、なんてのは東京の人には常識なんでしょうか。田舎者の私は全然知りませんでした。
もう一方の現場である播州はもちろん姫路のことなんですが、私が住んでいる明石のあたりも播州と言われるらしいです。どうやら播州とは「あほ」の替わりに「だぼ」と言い、赤ん坊をあやすときに「おっこん」と言う特徴をもつ地域らしいです。播州の西の果てがどこにあるのかは知りません。今度乗り越しの帝王に聞いてみることにしましょう。
はい、皿屋敷がいったい「番町」か「播州」なのかに関してはInternet
にお伺いを立てることにします。つまりGoogleで“番町皿屋敷”と“播州皿屋敷”を検索してみると、7130対645で番町皿屋敷の圧勝でした。ちなみに播町皿屋敷で315件、番州皿屋敷でも3件引っかかる。こうなると、数の比で考えれば「番町」に比べれば「播州」と「播町」って誤差のうちかもしれません。
もちろん、検索で見つかった数が多いからそちらが正しいと限らないのも、この場合の常識です。数だけではなく、もう少し内容を調べてみると、要するに、、「番町」も「播州」どちらも正解だったらしい。そして、番町と播州で話の筋立てもかなり違っていて、やっぱり「番町皿屋敷」の方が有名なんですね。
そんなわけで、(どんなわけだかはInternetで誰にでも簡単にすぐに調べられるので省略します)平塚に「お菊塚」やら「お菊墓」が有ったり、姫路城に「お菊井戸」があったりするらしい、ってどちらの話も結局は創作なのになぜ墓が有ったりするのでしょう。
だいたい、「番町」にしても「播州」にしても、青山さんは最初から責め殺すつもりのお菊さん相手に、わざわざ家宝の皿を託してさらに一枚隠すなんて変ですね。というわけで、私は昔からこの怪談の筋立てには無理を感じてました。
もっとも、無理矢理にでも十枚一組の皿が一枚だけ欠けた話にしないと、夜な夜な「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚」と皿を数えるクライマックスにもっていくことができないのでしかたないんでしょうけども。
ところで、番町か播州か調べていたところ、どうやら福岡にも皿屋敷跡があるらしいことを知りました。
福岡の皿屋敷跡は看板も立っているし、祠もあって、井戸も二つ(なぜ二つも?)あるらしい。しかも筋立ても違っていて、陰謀で皿を隠されて青木さんに斬り殺されたわけではなく、誰かが皿を無くして疑いをかけられたお菊さんが自殺して、最後はお菊の元許嫁が結婚したときに嫁と皿を交換して終わるらしい。要約がいい加減なのでなんのことかよく分からないかもしれませんが、映画や芝居になるほどドラマチックではないけど、無理が少ない筋立てのような気がします。
実のところ、日本の各地でお菊さんは皿を無くした件で殺されて(自殺もあり)、毎夜井戸から現れて「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚」と皿を数えているようです。
なかには皿が見つかって命が助かったお菊さんや、皿とは関係なく殺されて井戸に投げ込まれたお菊さんも居ましたし、死後に虫になって沸いてきたり、その逆に蚊取り線香になったり(女中菊)って、まるでパラレルワールドもののSFの様でもあります。
ここまでゴチャゴチャと書いてきたけど、実は「皿屋敷」と聞いて私が最初に思いつくのは怪談の皿屋敷じゃなくて落語の皿屋敷なんです。
落語の皿屋敷は、
近所に皿屋敷が有って未だにお菊さんが出ることを知った連中が幽霊見物に行く。ただし、お菊さんが数える「九枚」って声を聞いたら命がないので七枚あたりで逃げだす。しばらくは上手く逃げていたけど、ある日逃げ遅れたら「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚」ときて「十枚、十一枚、十二枚、十三枚、十四枚、十五枚、十六枚、十七枚、十八枚」と数えやがるので理由を問いただしたら、翌日の分も数えて休みを取るって下げに至るって噺です。
上方落語では「播州皿屋敷」だから姫路の噺になるんでしょうか。それによくは知らないけど、東京や名古屋の噺の場合には舞台の場所も違うのか。
それに、この噺ちっとも怖くないけど、やっぱり怪談噺になるんでしょうか。もっとも落語なんで怖いより面白いが優先なのかもしれません。
ここで下手な要約ながらオチまで書いてしまったけど別に良いですよね。他のものと違って古典落語はすでに知ってるネタを何度も聞くわけだし、演者によるけど、オチを知ったからといって面白さが減じるものでもないですから。
さて、落語ってやつを、文章で読んでみると鬱陶しいほどにくどいです。なんせ同じネタを二度、三度と繰り返し、しかも一度はアホが間違えたりして念を押す、耳で聞く筋はこれくらいくどやらないと聴衆に通じないかららしいですけど。
それにしても、演者によるのでしょうけど、噺を聞いていてもくどいなぁと感じることがあります。
このくどい部分がネタになっているならまだ良いのですが、皿屋敷の場合には数を数えるだけです。
まぁ、皿の数が三枚くらいなら良いのですが、基本は九枚、実際は最後に十八枚数えるとか途中の七枚あたりで逃げ出すとかあるにしても、合わせると六、七回以上は皿を数えるシーンが出てきます。しかもこの部分は寿下無なんかと違って比較的ゆっくりと数える必要がある上に端折るわけにもいきません。
途中の「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚」あたりで逃げ出す所もですが、特に最後の「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚、十枚、十一枚、十二枚、十三枚、十四枚、十五枚、十六枚、十七枚、十八枚」と数える箇所は、逃げ遅れた連中が慌てたりするシーンがあるにしても単調に数を数えていくだけ。素人考えながら、このあたりをくどさを感じさせず、飽きさせずに聞かせるのはとっても難しいのではないかと思うのですがどんなもんでしょう。