《理科 2》生殖・第47回

第三勢力:黒川[師団付撮影班]憲昭

♂(男)
♀(女)
*(誕生)
+(死亡)
∞(そして無限)
…。

 人によって生み出されたものは、いつか死をむかえる。
 それは有機物、無機物あるいは情報といった、すべての事象において定められた理である。
 著名な外科医であるケーシー高峰は、自然界についてこう述べている。

 二〇〇四年一月三十日。
 この日の終電をもって、東急東横線の横浜−桜木町は廃線となり、その間にある高島町駅、桜木町駅は七十二年の生涯を終えた。
 縁あって、東急東横線を利用することになった私は、これまでに一度しか利用したことがなかったとはいえ、長年にわたって働き続けた老いたる駅に敬意を表すため三十日の夜更け、桜木町行きの東急線にのりこんだ。
 駅とはいえ、ただ独りで最後をむかえるというのはあまりに不憫とのおもいからだった。
 そして運命の最終列車が桜木町駅を離れる時がきた。数人の駅員と、地元の老夫婦とその孫が最終列車を見送る。
 ホームが寒い。
 心づくしの花束を、女の子から受け取った運転士と車掌がすこしはにかみながら列車に乗り込むと、数人の乗客をのせた列車のドアがしまる。
 いつもより少し長い汽笛のあと、静かに最終列車は桜木町駅を離れた。
 東急東横線、それは青春の幻影。
 さようなら8000系車両。
 私はその姿を忘れない。
 列車の明かりがホームから見えなくなるとき、もう一度汽笛が冬の空に響いた。
 …。
 なんか、途中から電波が入って、文章が乱れたような。というか、そして運命のウンヌンからが完全に妄想だ。というかSFファンの奥底に眠る鉄道マニアの血がそうさせたとしか思えない。
 うちのお客さんで、特に男は鉄道ファンが多い。と、あるアニメグッズショップの偉い人から聞いたことがあるが、たしかにオタクと鉄道というものの間にはなにか深いつながりがあるのだろう。
 それはさておき、三十日の夜、桜木町駅にいったのは本当だ。
 桜木町駅についたとき、警備員がロープで場内規制をしているのを見て、嫌な予感がした。
 ホームは深夜にもかかわらず混雑していた。改札に向かう階段を見ると、記念の切符を買う人の列で埋め尽くされていた。なんというかまるで初詣の神社のようだった。
 その間、桜木町駅に到着する列車には、日付も変わろうという時間にもかかわらず、多くの乗客があり、ほとんどが、デジカメか携帯で駅のあちらこちらを撮影していた。
 もちろん、一眼レフに望遠、あるいはデジタルビデオ、集音マイクといったしっかりとした装備を持った、鉄ちゃんも大勢いたが、女性を含めた一般ピープルの数のほうが遙かに多かった。
 最終列車がでる頃には、ホームから押し出されかねない。危険を感じたので、桜木町駅に着いてから10分も経たないうちに、折り返しの列車に逃げ込んだ。
 桜木町駅を列車が離れるとき、盛んにフラッシュがたかれ、なにか有名芸能人にでもなったような気がした。
 東急東横線は、みなとみらい計画の一環として、ランドマークタワーをへて、中華街まで延伸することに決まったのが十数年前。
 その際、横浜市から、支線ではなく東横線との直通運転を強く要望され、検討の結果、横浜−桜木町間を廃線、反町、横浜の両駅を地下駅として、横浜から中華街までの地下鉄みなとみらい線と直通運転とすることに決定。
 渋谷から中華街までが特急で30分ほどでむすばれることとなる。
 横浜桜木町間はJR根岸線、横浜市営地下鉄と競合しているので、経営にも、利用客にもあまり影響はあたえず、むしろ今回の延伸でより西まで路線が延びる利便性の方が高い。
 といった事情からか廃線といっても、それほど悲壮な感じはなく、むしろみなとみらい地区、中華街への新たな乗り入れといった、わりと明るいニュースの一面として受け取られているようだ。
 一月の半ば過ぎから、東白楽、反町、横浜といった駅とその周辺で、カメラを構えた鉄の人たちを多く見かける様になり、廃線と、新規開業が近いのを実感した。
 そして、当日は先ほど書いたような有様で、情緒とか、哀愁とかを求めるのには、少しばかり人の数が多すぎた。
 結局、最終列車を待つことなく帰ったのだが、途中、反町から東白楽の間で、強力なライトがいくつも灯され、大型のクレーン車が多数集結している場所があった。
 特設のステージの様な所には、多数の工事関係者が陣取っていたのがみえ、昼間のように照らされたその区間は列車の中からも、異様な活気が感じられた。
 翌日、その場所が反町地下駅への進入口になっていて、撤去されたレールが積まれているのを見えた。最終列車が通ってから5時間くらいのあいだで、高架の撤去とレールの付け替え作業が行われたようだった。
 最終列車も面白そうだったが、どちらかといえば付け替え工事の方を見たかったというのが、正直なところだ。
 東横線横浜駅は三十日までは地上二階にあったが、翌日は地下三階に移動していた。これからはさしひき、一階分早起きをしなくてはならなくなったので、あまりうれしくはなかった。
 東白楽から地下に進入していくのを楽しんでいると、向かいに立った初老の男性から声をかけられた。
「前の反町駅は同じ場所ですか」
「同じ場所の地下になります」
「高島町と桜木町が無くなったのですね」
 はい。
「以前、ずっとこの列車を使っていたのですが、そのときは、渋谷方面へ帰るのに、いったん横浜から高島町にいって、そこからだと座れたのです」
「なるほど」
「昨日は桜木町駅にゆきたかったのですが、日付を間違えてしまってゆけませんでした」
 昨日は桜木町は大混雑だったこと、などを話している内に横浜駅に到着。
 新駅は、当たり前だが、とてもきれいだった。
 その日も東急横浜駅には鉄ちゃんが多く見られた。一月三十一日は渋谷−横浜間の折り返し運転となり、中華街までの乗り入れは2月1日からだ。
 つまり、列車の行き先表示が「横浜」となるのは一月三十一日限り。こちらの方がよりマニアックで鉄の人達の嗜好にあっているのではないだろうか?
 横浜駅は、東横線の地下乗り入れを機に、東西通路を、今までの中央通路の南北に一つづつ新築し、あわせて、JRと京浜急行の改札口も増えた。
 これで横浜駅中央通路の混雑がかなり緩和されたなら、通勤も少し楽になりそうだ。
 新しく出来た、北側の東西通路では開業記念と銘打った模擬店がいくつもでていて、中に京浜急行の店もあった。
 思った通り、一月三十日まで使用していた、列車内掲示用の路線図も売っていて、一枚千円と手頃な値段だったので思わず買ってしまった。
 買ってから、部屋に飾る場所が無いことに気が付き、あわてたがまあこれは些細な問題に過ぎない。なにより、持ち帰るとき、鉄の人達からうらやましそうな視線を浴びただけで、充分元は取っている。
 我ながら度し難い。
 横浜はこれからどんどんかわるだろう。
 横浜駅もまだあちらこちらが仮設で、整備をまっている。
 人の流れも、京急桜木町駅周辺のごみごみとして、居心地のよい繁華街から、ランドマークタワー周辺へと変わってゆくだろう。
 東横線も、渋谷から地下鉄に接続し、二0一五年くらいまでには、新宿、池袋まで直通運転となる。 新宿から横浜までが三十分ほどで行き来出来るようになれば、人の流れはもっとダイナミックに変わるはずだ。
 流れの中で。
 男と。
 女が出会い。
 なにかが生まれ。
 その一方で消えてゆくものもある。
 無限というものは正直いってよくわからない。
 ただ、もうしばらくはこの東横線にのって、街と人の姿を眺めていくことになるだろう。
 とりあえずは今度の休みには、久しぶりに中華街にいって、ラーメンでも食べてこよう。



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