《国語》子守歌を訪ねて・第42回

第三勢力:林[艦政本部開発部長]譲治

 まずね、言ってはなんだがタイトルがおかしい。なんで国語で子守歌を訪ねなければならんのだ。普通、子守歌なら音楽でしょう。どうして音楽ではなく、国語なの?
 この辺の事情を確認するために、担当者に電話したのだが、一向に通じない。メールを出しても返事もない。仕方なく自宅まで出向くことにした。
 ちょうど担当者が出勤前だったのを何とかつかまえ問いただす。
「なんで国語が子守歌なの? 子守歌なら音楽でしょう」
 この疑問、どうやら当の担当者氏も気がついてはいたらしい。なぜならば彼は私がこの件でやってくることをある程度予想していたようだからだ。
「えぇ、まぁ、音楽がやるのが筋と言えば筋なんですがね」と、どうにも歯切れが悪い。
「すいません、出勤時間だから」
 担当者は強引に車のドアを閉めると、逃げるように車を走らせた。一つ分かったのは、担当者も子守歌は音楽という割り当てが原則としては妥当な物と判断しているということだった。つまり国語で子守歌というのは何かの間違いではなく、意図して行われたということだ。
 調べて行くと、子守歌を訪ねるように依頼されたのは、私だけではないらしい。理科や保健体育にも打診があったというのだ。しかも打診された内容は、私のとは微妙に異なっていた。
「源流がついていたんですか? 」
「ええ、そうです。子守歌の源流を訪ねて。僕にはそういう話でしたが」
 理科はそう答えた。
「ようするに源流だから理科でしょう、ということらしいんですけどね」
「子守歌の源流を訪ねるですか…… 」
 なるほどこれなら理科に子守歌の依頼が来てもそれほど不思議は無い。少なくとも国語で子守歌よりは、まだ筋が通っている。
「どうして断ったんですか? 」
「いや、断ったわけじゃないんだけどね」
「というと? 」
「源流を訪ねてとは言うが、源流があるのか?って質問したんだ。子守歌の起源には二つの説があるって知ってる? 」
「いや、存じませんが」
 理科が語った内容は次のようなものだった。そもそも子守歌とは赤ん坊や幼児を寝かせるための歌である。これは世界中のどの民族にも存在するし、それらの旋律の基本形は三つか四つ程度に絞られるのだという。
 ここで話は人類の起源になる。人類はどうして誕生したのかという説には、アフリカ起源説と多地域起源説がある。ようするに一つの祖先から地球上に散ったという説と、各地の原人などから同時多発的に人類が進化したという説である。子守歌が人類固有の物であるとすると、人類の起源が同一か、他地域起源かによって、子守歌も同一起源か他地域起源かに分かれてしまうらしい。
 理科が質した点は、つまり担当者が人類のアフリカ起源説を前提にしているということだ。そうでなければ子守歌の源流を訪ねてという話になるわけがない。
 ところが担当者は慌てたように、「いや、そういうことなら結構です」と理科の元を立ち去ったのだという。おかしな話もあったものだ。
 念のため保健体育のところにも話を聞いてみる。どうも担当者が理科の次に打診したのが保健体育であったらしい。
「うん、きたけど」
「やっぱり、子守歌の源流を訪ねて、だった? 」
「いや、俺の時には子守歌の故郷を訪ねてだったな」
「故郷……源流ではなく」
「あぁ、故郷だった。子守歌の故郷ってどこだ、って尋ねたら帰っちゃったがな」
 どうして担当者はここで源流を故郷に変えたのだろう? しかも私の時には源流も故郷もなしで、いきなり子守歌を訪ねてとなっている。
 担当者の意図はおぼろげながら見えてきた。担当者は子守歌の起源について調べて欲しいらしい。ただ何等かの理由で、それを明らかにはできない。結果的に依頼した我々が自分の意思で起源を調べたという方向に持って行きたいらしい。だから国語に子守歌を訪ねてとしたのは、この意図に関しては筋が通る。
 世の中には子守歌はごまんとある。だからその中のどれかについて訪ねても、それはその歌を訪ねたということであって、子守歌という全体集合を訪ねたことにはならない。国語に子守歌とだけ指定したのは、まさに全体集合としての子守歌を訪ねよと言うことであり、それはつまり起源を訪ねろと言う意味の他ならない。
 しかし、それはそれで筋が通っているにせよ、なぜ音楽に頼まなかったのか? という問題は残る。
 そこでやはり音楽を訪ねることにした。じつはここで大きな疑問が生じたためだ。どうして音楽ではないのか?という問題と共に、担当者の考える子守歌と音楽の考える子守歌と私が考えている子守歌の定義が同じかということだ。
 つまり社会通念上の子守歌と音楽としての子守歌と、言葉としての子守歌では必ずしも同じではないかもしれないからである。
 音楽はとあるマンションに住んでいる。私がそのマンションに行くと、まず新聞であふれ返った郵便受けが目に付いた。言うまでもなく音楽の郵便受けだ。

 ……とまぁ、ここまで書いてから二週間この原稿は放置されていた。何でかというと早川JAの原稿が予定より遅れていたため。正確には別に遅れていたわけではない。予定よりも原稿用紙換算で300枚ほど超過してしまったためだ。
 さらに金子隆一さんとアメリカの恐竜発掘現場に一週間行くという予定が入っていた。帰国してから300枚超過の原稿を削り、さらに書き足すという作業を平行していた。削る前の原稿の枚数は715枚で、これは早川のJAの版組みにすると500ページの本になるという。文庫本としてはかなり厚い。塩澤編集長によれば、それでも600枚までなら何とかなるという。
 過去の自分の傾向から考えて、600枚ということは、500枚書くつもりで50枚超過して550枚で納入というパターンである公算が高い。ということで、この線で仕事を進めることにした。アメリカにいる間も、それなりに全体の修正点は考えていたので、具体化はそれほど困難ではなかった。
 帰国後、毎日仕事を続けながら、文字通り朝から晩まで仕事をして、それで原稿の枚数はほぼ540枚を維持していた。新規に書いた分を削ることを平行していたからだ。
 なんで朝から晩までやったかというと、朝から取りかかって気がついたら夜になっていたからに他ならない。なもので、帰国してからは食事を摂ったという明確な記憶も無い。
 かような状況であるため、他の原稿はほとんど書いていない。架空戦記を書くよりもSFを書くほうがいかに難しいかということです、要するに。
 で、先の子守歌の話であるが、じつは結末をどうするつもりだったかがわからない。メモには幾つかの単語があるのだが、断片的ななので、内容を忘れた段階で読んでも意味が分からない。
 「子守歌を歌う主体は誰か? 」というメモ書きがある。それに続いて「子守歌の子供とは具体的にどのような存在を意味するのか? 」というメモとつながっている。どうも察するに−−自分の書いたメモで察するにも無いものだが−−どうもこの先の展開として、子守歌という単語の意味を分解し、ここの単語の意味を再定義するという方向性で話を進めようとしていたらしい。
 まぁ、子守歌というからには、歌を聞かせられる子供と、歌う誰かという構造が無ければならない。誰が子守歌を歌うのかというのは、じつは子守歌を歌わないのは誰かという問いかけでもある。どうして子守歌を歌わない人物が存在するのか? その人物と子供の関係は何であるのか? 話の目指していた方向性はこういうものであったらしい。
 子供とはどのような存在か?というのは、どうもすべての子供が子守歌を歌われるのか? という疑問につながるようである。つまり共同体の中ですべての大人が子守歌を歌うわけではないとすれば、同時に、すべての子供が子守歌の恩恵を受けるという保証はないことが十分に予想される。つまり共同体の中に子守歌を軸として、「歌う」「歌わない」「歌われる」「歌われない」という四つの立場が存在するわけだ。
 しかるに子守歌の源流云々というのは、この四つの立場の中で「歌う人」「歌われる人」という関係のみを顕在化している。つまりそれ以外の立場は共同体の中では、存在さえ語られない。ただ、存在が予見できるのみである。
 で、メモには続きがある。「音楽は失踪」そして「ホラーで終わる」だ。どうも私はこの話を音楽が子守歌の源流を追求するか何かをする過程で、共同体のタブーに抵触したという展開にしたかったらしい。自分用のメモなんて分かればいいと、省略が多くなりがちだが、40を越えますと、省略のし過ぎは何がなんだかわからなくなる。
 どうやらキーワードは語られない伝承、つまり暗黙知に関する話になるはずだったようである。音楽という言葉によらない表現が失踪するというのも、それが言葉のメタファーである国語が捜すというのも、最終的に人間の暗黙知に話が収斂する予定だったかららしい。
 ただこれだけなら何となくホラーとして全体像が浮かび上がりそうになるのだが、一つだけメモには謎がある。
「小森さんに連絡。うたさんの件」
 これは何か? 子守歌を訪ねてではなく、小森うたさんを訪ねるということか? これだけはどうにもわからん。すいません、どなたか小森さんを訪ねていただけませんか?



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