《技術家庭》幼児との交流・第43回

第三勢力:竹林[ほらふきどんどん]孝浩

毎回の事だが、第三勢力の頁ってタイトルが本人の思惑とは無関係に決定されるので、テーマに沿って書くってのが結構つらいことだったりします。まあ、タイトルなんて無視して適当なことを書くという方法もありますが、とりあえずはタイトルに沿ってなんか書いてみようと思います。

 唐突ですが、私は爪楊枝はめったに使いません。私が爪楊枝を使う時は、マウスのローラの掃除(こびりついた汚れを削りおとすのに便利)かカメラのハウジングの清掃といった本来の用途から少し外れた使用方法を用いる場合がほとんどです。
 歯の間に挟まったものを除去するという本来の使用方法は、年に1回あるかないかです。年間約1000回程度食事をするとしても、そのうちの1回しか使わない。
 つまり1回の食事で爪楊枝を使用する確率は、0.1%程度ってことです。0.1%って確率は少ないといえば少ないですが、無視するには大きすぎる確率です。少なくとも最近の普通預金の金利よりははるかに大きな値ですし・・・。
 さらに、歯にものが挟まった状態というのは、とても嫌なものです。別に体に危害が及ぶわけでも、肉体的な苦痛が伴うわけでもないのですが、妙に気にかかりますし、イライラ度が増大し、精神衛生上好ましい状態とはとても言えません。少なくとも私には歯に物が挟まった状態には数分間程度でも我慢できないのです。
 この精神的苦痛を伴う状況から脱出するための必須アイテム、それが爪楊枝なのです。そして、爪楊枝というのは新幹線の中では非常に貴重な存在となるのです。
 仕事の関係上、東京での打ち合わせというのがちょくちょくあります。大抵の場合、打ち合わせは午後1時からで夕方には帰ってくる日帰り出張というパターンになる場合が多く、新幹線はよく利用します。またこういった場合、必然的に昼食は新幹線車内でということになります。
 この秋から品川駅もでき、ダイヤも改正されてのぞみも増発された新幹線ですが、こと爪楊枝に関しては一向に改善されていません。車内販売で売っているわけでもありませんし、爪楊枝の自販機も設置されているわけでもありません。洗面所にこっそり、爪楊枝が置かれているわけでもなく、もちろん車掌さんにお願いしたところで爪楊枝が出てくるわけではありません。
 新幹線車内で弁当を食べるという行為には0.1%の歯に物がはさまるという危険率を伴う行為です。そして不幸にも0.1%に当てはまり、歯に物がはさまった場合、その苦痛から速やかに開放してくれる最終兵器である爪楊枝というのは、非常に入手困難なわけです。
 幸いなことに、近年は弁当に付く割り箸にはほぼ必ずといっていいほど爪楊枝が同梱されているため、食事後に爪楊枝が必要になっても入手できないという不幸な状況は注意さえしていれば回避可能なのです。
 ところが一つだけ重大な問題があります。食事開始から終了までの間、爪楊枝を保管しておくべき適切な場所が存在しないということです。
 単純に考えれば、当初から爪楊枝が入っていた箸袋の中にそのまま残しておけばいいようなものですが、割り箸を取り出した後の箸袋というのは、爪楊枝一本に対しては、大きすぎます。そして邪魔です。特に新幹線車内で食事をする場合、あの小さなテーブル上には、そんな余分なものを置いておくスペースはないのです。弁当の下に忍ばせるという高等テクニックもないことはないのですが、それも妙に気になります。それよりも、爪楊枝も箸袋から取り出してしまいさえすれば、箸袋は単なるゴミと化すので、その時点で捨ててしまうことが可能ですから、どうしても爪楊枝は袋から取り出しておきたいのです。
 そして、結局爪楊枝の置き場所に困り、なるべく邪魔にならなそうな、漬物にグサッと刺してみたりするのです。もちろん漬物を食べる時には、この刺した爪楊枝が邪魔になりますから、別の場所に移動して・・・と爪楊枝の引越しを繰り返しながら食事をするわけです。
 このように苦労して爪楊枝をキープしながら食事をしても、99.9%の場合は爪楊枝を使用することなく、弁当箱の中を放浪しつづけた爪楊枝は、結局ゴミとして捨てられる運命にあるのです。
 箸袋から割り箸のみを取り出し、爪楊枝を箸袋と一緒に捨ててしまえば、こんな苦労はしなくていいのです。最初から爪楊枝がなかったと思えば、0.1%の危険に遭遇しても諦めがつくでしょう・・・・・・と思いつつも、あの物が歯に挟まった時の恐怖を考えると、捨てるに捨てられず、爪楊枝の放浪の旅を続けることになるのでした。

・・・と楊枝の話を書いて見ましたが、まだ、かなり頁が余っっているので、ここからは交流の話です。

 まぁこんな頁を見ている人の大半がそうだと思いますが、子供の頃は色んな物を分解しました。
 普段使用している、機械装置のたぐいがどのような仕組みで動いているのか、中身はどうなっているのかを知りたいのは、正しい知的好奇心の表れですし、それ以前に

 などというのは人間の基本的な本能ですから、子供が分解好きなのはしかたがないことです。
 しかしながら世の中の大人というのは、そのあたりの子供の欲求を理解できないので、分解・組み立てにまつわる些細な問題

  1. ケースのツメを折ったりなどの非可逆的な分解。方法を実行する。
  2. 分解手順を記憶していないため、組み立て手順がわからなくなる。
  3. なんとか組み立てられても、なぜか部品が余る。
  4. 当然のことながら分解して、再組み立てしたものは、分解前には動作していた機能が実行できなくなる。

が発生すると、烈火のごとく怒るわけです。
 結果として、分解好きな子供たちは、機械の仕組みや内部構造を覚えるまえに、分解に関する第一法則を身をもって学習するのです。

分解に関する第一法則:
分解後、現状に復元可能であることが保証されない限り、現在使用中の機械類は分解してはいけない。

 この法則は通常、飢餓への恐怖、住居の喪失、定期収入の途絶などといった日常生活を脅かすさまざまな脅迫や、局所的な頭痛などとともに強制的に学習させられます。
 この法則の厳守と分解欲とにはさまれるとかなりのストレスが生じます。このストレスを解消するのが、壊れたものや廃棄予定になったものです。そう、すでに壊れていたり、ごみ捨て場に運ばれる予定の機械類というのは「現在使用中の機械」には分類されないのです。したがって、ネジは回し放題、蓋はあけ放題、パーツは取り放題という極楽状態に突入することが可能なのです。
 ある日、私の元にもそのような幸福な状況が訪れました。そのときのブツは確かコンセント付の目覚まし時計だったはずです。目覚まし時計と同じように希望時刻に針をセットすると、ベルの代わりにコンセントに電流が流れるようになり、任意の家電製品をON/OFFすることができるというものだったはずです。
 こいつには現在電源ONかどうかをはっきり表示するために、小さなパイロットランプがついていました。今みたいなLEDとかではなく本物のランプです。これが通電時にオレンジ色に光るのは結構カッコよかったのです。
 そして、分解の結果このオレンジ色に光るパイロットランプを取り外すことに成功したのです。そのランプはちょっと細長い形状でランプ本体から足が直接生えており、、いつも遊んでいるソケットに入れる豆電球とは全く形が違います。
 わくわくしながら、これを点燈させてみようと、さっそく単一電池を取り出して接続してみました。ところが光らないのです。そこで電池を増やしました。2本、3本、4本と直列につないでもちっとも光らないのです。
 そこで私は考えました。通常豆電球がとっても明るく光る禁断の電池4個直列つなぎでも点燈しないのはなぜだろうか?それはこのランプが普通の豆電球と違うからである。そもそもこのランプはコンセントにつなぐ機械についてたものである。したがってコンセントにつながないと光らないのではないだろうか?
 この仮説は十分に正しそうな気がしました。そこで早速仮説が正しいか検証することにしました。
 コンセントの右の穴に、一方のリード線をつなぐ。左の穴にもう一方のリード線をつなぐ・・・・・
 理論上はこれで、あのランプはオレンジ色の光を放つはずです。しかし、理論と現実の間には若干の差異があったようです。もう一方のリード線をコンセントにつないだとたん、「パーーン」と破裂音とともに、目の前にあったランプは吹っ飛んでしまったのです。そして、当然のようにブレイカーは飛んで我が家は局所的な停電になったのです。
 結局「むやみにコンセントに物を突っ込んではいけない」という新しい法則を学習することができたのでした。そして、それ以来コンセントに怪しいものを突っ込むことは止めるようになったのでした。
 もちろん、怪しいものの中にテスターは含まれません。なんかテスター見るとついコンセントに差し込んで100Vの交流が来ていることを確認したくなりませんか?



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