愛の仕掛け人・第38回

第三勢力(臨時隊員):花原[まちゅあ]和之

外惑星聯合のなりゆき前主席、という私の立場からすれば、このような所に駄文を寄稿するくらいならちゃんと外聯のページに何か書くべき、というような気もしないでもないのですが、これも有望な新人を外聯に迎え入れるため、とあっては仕方ありません。タダほど高いものはない、と言いますからね…。それはともかく、新戦力である作家志望の安道君には外聯としての活動を大いに期待しているのでそのつもりで。まあ、今回のこのタイトル「愛の仕掛け人」ですが、現時点で人外協きっての新婚である*1 私にふさわしいと言えなくもありません。
 さて、「愛の仕掛け人」ということですが、これでも私、これまでに二組の夫婦が形成される直接的要因となったことがあります。関節的には知らないうちにいろいろあったりするかも知れませんが、まあそれはともかくとしてちょっと紹介してみます。

1.河豚ふぐにあたる
 これは確か十年以上前のこと。私が所属していた某SF大会系団体の忘年会が道頓堀の河豚料理店(たしか「づぼらや」だったと記憶している)で行われることになったのでした。その話を、これも私が当時所属していた、とある別のごった煮系同人系団体の、ロック少年がもう青年を過ぎつつあるぞ風知人(当時名古屋在住)にしたところ、「そんな面白そうな面子が集まるのなら呼んでくれ」ということになったわけです。そこには、そのSF大会系団体の、デザイン業界ラップ系でもSF好きよディックだって読んでるわお姉さん(こちらも当時名古屋在住)が来ており…そこから紆余曲折があったりなかったりしてSF大会でバンドを組んで云々という話になったりして*2 、まあ、いつのまにかくっついちゃったわけです。
 きっかけが河豚だったもので、当時はよく周囲の人間が「河豚はよくあたる〜」と言っていたものです。本人達も「河豚にあたった〜」とか言っていたような。
 ちなみに、私の手元にある例の「お言葉リスト」を「河豚」で検索すると、こんな「お言葉」が引っ掛かりました:

 うそは河豚汁である。
 その場限りでたたりがなければ
 これほどうまいものはない。
 しかしあたったが最後
 苦しい血も吐かねばならぬ。
 ──夏目漱石『虞美人草』

さすがは明治の文豪、含蓄のあるお言葉です。まあ、夫婦の場合の「うそ」は内容によってはあたった場合に苦しい血を吐く程度ではすまないかも知れませんね(まだ経験ないですが)。なお、あたったあたったと言いつつも、上記夫婦の場合には今のところ特にたたりもないようです。

2.合コン
 私、いわゆる合コンというものに(普通の意味で!?)参加したことはありません──たしかなかったはず──ですが、一度だけ主催したことがあります。これも確か十二、三年ほど前、まだ学生だった頃になりますが、高校時代に所属していたクラブ*3の四つほど下の後輩(女性)から依頼を受け、当時の研究室の後輩達との間に合コンをセッティングすることになったのです。
 工学系の研究室、それも機械系となれば、女子学生は本当にまれです*4。当時研究室の最年長学生であった私としては、後輩達のためにこういうこともしてやらねば…などと!?(自分のことは棚に上げて)考えたりもしつつ、諸々の調整をしたのですが…。結果としては二人×二人(と私)という非常にこじんまりとしたものとなりました。おまけに当日はどういうわけか台風が直撃に近いコースでやってきており(ってそれだけが理由でもないのかも知れませんが)、女性二人は一次会であっさりと帰ってしまいました…。
 私はまあ、こりゃだめだな…と思ったりしていたわけです。…が、翌日、研究室の後輩二人のうちの一人(当時修士課程二年次)が私の所にやってきました。
「アフターケアしましょ〜よ」
「どっちの娘?」
「○○さん(私の後輩のほう)がいいな♪」
「じゃあ、電話番号教えるからあとは自力でね」
 その後、紆余曲折があったのかなかったのか(たぶんあったんでしょうね)、とにかく二年後だか三年後、私は彼らの披露宴でスピーチをすることになりました。その時に話のネタ探しのために二人にアンケートして明らかになったのですが、彼は彼女に、あれからずっとほぼ毎日電話していたのだそうです。現在と違って携帯電話も普及していませんし、彼女は実家の両親と一緒に住んでいましたから、彼の熱意のほども知れようというものです。二次会で「まめさの勝利〜」と誰かが言っていたのが印象に残ってます。
 ちなみに「お言葉リスト」を「電話」で検索すると、こんなのが出てきました:

 「電話」 気に食わぬ奴を
 寄せつけないでおく便宜の
 一部を放棄せざるを得ぬ
 悪魔の発明品。
 ──ビアス『悪魔の辞典』

うんうん…。ビアスが『悪魔の辞典』の「携帯電話」の項を書いたらどんなのになったでしょうねえ。さぞかし辛辣なものになったのではないかと思うのですが。

河豚 さて。うちの場合はどうだったかといいますと…。
 二○○一年の九月末頃、国際ビール麦酒サミットというのがキッカケとなり、某MLでオフをしようという話が持ち上がりました。しかしこのオフ、当初予定では、同時期に行われる米国ニューヨーク州での学会に出席しなければならなかった私は不参加のはずだったのです…。
 世の中にはしかし、突拍子もないことが起こるものです。私がその学会の準備のためにじたばたしていた九月十一日、みなさんもよくご存じのああいうとんでもない出来事がありました。その結果…直前になって、学会は延期ということになりました。
 まあ、あとは書くまでもありませんね。私は不参加のはずだったオフに参加し、そこで運命の出会いというのをすることになったわけです…。
 ちなみに「お言葉リスト」を「出会」で検索すると、こんなのが出てきました:

 未知の存在に出会った際に
 まず第一になすべきことが、
 ほかならぬ「喰ってみること」である
 ということを、
 中国の神話は教えているのだ。
 ──武田雅哉『桃源郷の機械学』

私はさすがに、未知の存在に出会ったからといって「喰って」みたりはしませんが、まあ、それはさておき。
 我々の場合、「愛の仕掛け人」は誰になるんでしょうかね?


*1しかし私の知る限り、隊員で一番最近に挙式したのは林夫妻だったような気がする。…まあ、うちの場合、結婚にともなう公式行事!?で実施したのは新婚旅行と二次会(正規の披露宴もないのに二次会だけ、というのも変ですが、まあそれに類する宴会)くらいですが。入籍は林夫妻のほうが先だなあ。でも新婚旅行はうちのほうが先だ。まあ、お互いまだ新婚ということでよしなに。

*2実際にMIG-CON(二十七回大会)とかDAINA☆CON EX(二十八回大会)でライブをやっていた。

*3理科研究部という名称だった。私はそこの物理班というところでTK−80をいじったりしていた。私が現役だった頃からよくOBも遊びに来る風潮があり、ちょっと光画部(「究極超人あ〜る」参照)に近い雰囲気だったような。

*4私のいた基礎工学部機械工学科では、当時、女子学生の割合は一学年八十人中に一人以下の程度でしかなかった。ちなみに、私の一年下にたまたま一人いて、彼女は「機械科始まって以来の美女」と言われていたが、二十五年の歴史上でまだ三人目の女子学生だったそうだ。それでも彼女の美貌は工学部(バスで三十分かかる別キャンパスにある)の機械工学科にまで鳴り響き、そこから見に来た人が実際にいたらしい。なお、本人の名誉!?のために付け加えるならば、彼女は客観的に見ても十分美人であった。最近は以前に比べて工学系の女子学生もかなり増えているようである。



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