1.ギミック
トルコ風呂での総額は入浴料の三倍。トルコ嬢には終わったあと入浴料の倍額を直接渡す。
(アサヒ芸能の全国トルコ風呂総特集より)
トルコ風呂とは現在のソープランドのことだ。
名前だけでなく時代も変わった。
ソープランドの予約は電話から、ホームページ、iモードへと変わり、現役ソープ嬢の日記がほぼ毎日メールで配信されるようになった。
もう昭和でもないし、二十世紀でもないし、ソビエトも消滅して久しいし、国際プロレスなんかそれよりはるか昔に潰れてしまった。
だが変わらないものもある。
遊びの総額はいまも入浴料の三倍だし、相手にするのは旦那であって、奥様達にまで営業の範囲が広がったわけでもないし、長州はテレビにでている。
社会基盤の最底辺を構築する思想はコンサヴァティヴであり、一見ラディカルなものもよく見れば過去の繰り返しにしか過ぎない。
UWFからグレーシー、K1に至るリアルファイトの流れだって、すべてプロレスに対する外部からの挑戦というギミックに収斂される。
ところで、ソープとプロレスがなぜ同一に語られるのか?
どちらも裸でするお仕事だから。
ちょっと違う。
すべては第三勢力上層部から「奥様トルコ」というお題を命じられた瞬間、記憶の最底辺から浮かび上がったあの男のせいだ。
アラブの暴れ獅子。
ハーレムの帝王。
オクサマー・トルコ。
またひどくマイナーな、というかターザン山本でも知らないかもしれないような、マイナーなレスラーをなんで憶えていたのだろう。
2.ロール
「猪木、シンに襲撃される」
(東京スポーツの記事から)
夕方のニュースにまでとりあげられたこの有名な事件を聞いた瞬間、ラッシャー木村はすぐさまこれがギミックであることを見抜いていた。
猪木めうまくやりやがった。
これだけ派手な騒ぎになっているのだから、これから新日のシリーズは猪木対狂虎タイガージェット・シンというストーリーで成功したも同然だ。
うらやましい。
新宿三越前で猪木が流血していたころ、同じ頃、国際プロレスは北海道で金網デスマッチを繰り広げていた。
ひとつ俺達もやってみるか。
てなわけで、ラッシャー木村はススキノの街角に立ったのだが……。
待てど暮らせど襲撃されない。
結局、三時間ほど待って、諦めて帰り、風呂に入って寝てしまった。
誤解のないようにいっておくと、これはラッシャー木村が悪いのではなく、打ち合わせていた外人が場所を間違えたのが失敗の原因だった。
思えばこれが歴史の転換点だった。
この後、テレビ局で放映されない国際プロレスは間もなく解散。レスラー達は他の団体に移ったり、リングを降りたり、外国へいったりした。
この前後のことは、夢枕獏が小説にしているので、知っている人も多いだろうが、このススキノ襲撃未遂事件は最近明らかにされた事実である。
もっとも胡散臭い事実ではあるが。
この襲撃に失敗した間抜けな外人レスラーがオクサマー・トルコではない。
この時、もう既にオクサマー・トルコは、国際プロから姿を消していた。そもそもオクサマー・トルコとは何者だったのだろう。
外人であることは確かだが、それ以外は素性も国籍もなにもわからない。
ここでいう“外人”はプロレスにおける役割のことだ。ここらへんも夢枕獏に詳しいので詳細は省くが、まあ正社員ではない、契約社員という感じで理解して欲しい。
で、なんでそんな奴にこだわるかといえば。
それが生まれて初めてみたプロレスに登場したレスラーだからという以外の理由が思いつかない。
3.ストーリー
「あなたレスラーでしょう?」
地方のソープでは絶対にばれるんだ。
(夢枕獏のあるレスラーへのインタビューより)
のちに和歌に詠まれたちょっといい話。
まあ、地方で、いちげんで、あの体じゃあねえ。
さすがに覆面してソープにいくわけにもいかないし、そっちのほうが余計に怪しい。
まあそれはそれとして、静岡にもソープはあるし、体育館もある。当然プロレスもやってくるから、こんな会話もされたことだろう。
オクサマー・トルコを初めてみた、というかプロレスを初めて見たのは、静岡市の総合体育館でのことだった。
……、もしかすると清水だったか。もっとも、静岡市と清水市は近々合併するようなので、どっちでもよくなるが。
二十数年前の話なので記憶が曖昧なところは、ご勘弁いただきたい。
何しろその頃は小学生だったのだ。
で、くだんのトルコだ。
なるほどいかにもアラビア人だった。
二階席から見てもよくわかった。
ハクション大魔王のような服にターバン。数年前の「えいせい」でアラビア焼きの記事についていたイラストの服の部分を赤く、肌の部分を黒く塗ったらオクサマー・トルコの出来上がり。
石油とラクダ、あとは砂漠ぐらいしかおもいもよらない世界の果てからやってきた、褐色の魔術師アブドラ・ザ・ブッチャーの弟子にしてもと死刑囚。
ギミックとしていかにも安直すぎるてひねりがないし、そのころトルコといえばあの風呂だ。
まあそのころは「ジャイアント台風」が実録で通った時代なのだから。典型と実物の間は観客の想像力で充分に補われていたオールド・グッド・デイズであった。
トルコの問題はもっと根本的なところにあった。
地方の体育館二階席、マイナーな団体、しかも初めてプロレスを見る小学生という要素を差し引いてもオクサマー・トルコはプロレスが下手だった。
二階席、角度にして俯角30度、距離にして10数メートル離れたリングの上で、オクサマー・トルコは、マットの上にうつぶせになった相手の背中を、激しく足でこすっていた。
時折「ハンマーム」と叫んでいた。ような気もする。というかたぶんそうだろう。
タッグマッチであったが、味方の外人と交代するたびに、ハンマームと叫びながら日本人選手に襲いかかり、押し倒し、背中をこする。
その反復。
別にコーナーから飛び降りるわけでも、隠し持った栓抜きで流血させるわけでもなく、ひたすらハンマームの繰り返し。
その姿は小学生達を引率してきた、友達のオジサンによる次の一言で表現される。
「あれじゃあ風呂屋の三助だ」
ちなみにトルコのハンマーム(=蒸し風呂)では、手で背中を流してくれる。
足でやるようなことはない。
(本音と建て前、売春の社会学より)
オクサマー・トルコの記憶は、翌日、にわかに強いものになった。
一緒に試合を見にいった友達がいった。
「あいつ捕まったんだぜ」
試合のあった日の深夜、静岡市の繁華街呉服町で、オクサマー・トルコは傷害罪で逮捕された。
飲みにいった場所で、地元の元暴力団員と口論から喧嘩となり、その際相手とその仲間数人に重傷を負わせ、駆けつけた警官にもケガをさせた。
「ヤクザ死ぬかもしれないって」
一緒にプロレスを見に行った友達がいった。
父親が医者だった。
……あるいは、警官だったか。
いずれにせよそういう噂は、地方都市ではすぐに伝わる。
「警官が何人も殴られたんだってさ」
遠かったリングが不意に近づいた様な気がした。
「やっぱりプロレスは強いんだよ」
訳知り顔の友人の言葉に、ひどく禍々しいリアリティーを感じた。
「あいつ刑務所にいくのだろうか」
刑務所は案外近くにあった。そこにオクサマー・トルコが閉じこめられる……。
「脱走するかもな」
リング・アウトして観客席で暴れ回る。
昨日見たメイン・イベントの様なことが、起こるのだろうか。
パイプ椅子で殴られたらどんなに痛いだろう。
血が流れるのだろうか。
骨が折れるのだろうか。
死ぬのだろうか。
怖かった、はずだ。
少なくとも、20数年経ってから想い出すことができるていどには。
しかしながら「奥様トルコ」とはどんな小説なのだろう? そこから、奇妙なレスラーについて想い出す人間は僕くらいなものだろうなあ。