おみやげを持って・第28回

第三勢力:阪本[初代]雅哉

 あれは、高専の2年の頃だったろうか。ってことは四半世紀も昔の話しになる。
 私は当時奈良高専に通っており、バスケットボール部に所属していた。
 ある日、バスケット部の一年先輩が入院したので同じ部の仲間と見舞いに行くことにした。
 知らない人はいないだろうけれど、高専というのは中学を卒業して入学する。高校と違うのは5年制なので順調に進級しても卒業するときには20歳になっている。
 学生のほとんどは未成年だが留年することも珍しくないので、4、5年生の中には喫煙、飲酒が合法な学生が結構存在している。そのためか、当時の私が通っていた高専の校風か学生の分際で喫煙している連中が結構多かった。
 見舞いに行くのに手ぶらで行くのもなんだし、なにか土産でも買って行くかと考えた我々は、入院した先輩も喫煙者だったので、病院の売店(だったか駅だったか)で煙草を1カートンだったか2カートンだったかを買って見舞いに持っていった。
 後で聞いたところによると、“ろく膜炎”だったとかで、だいたいなにを考えて病人しかも未成年相手に煙草なんか持っていったんだろう。でもあの先輩ならろく膜炎で入院中でも親や医者、看護婦の目を盗んで喫煙していたような気がする。
 しかし、これがたぶん自分で土産を選んで持っていった最初かもしれない。

 昔から「お前には常識がない」というようなことを何度となく言われたことがある。上に書いたように「見舞いに行くのに煙草を持っていく」なんてことをしていれば、そう言われてもしかたがない。
 まぁ、そんなわけで人との付き合いってのは基本的に苦手で、特に義理とか儀礼的に付き合わなければならない関係ってのはどうして良いのか判断がつかない。
 そんなわけで、実家の近所は田舎でしかも戸数も少なかったため、田舎特有の鬱陶しい近所付き合いってのが結構有ったりするんだけれど、なるべく近付かないようにしていた。そのため、顔は知っている、向こうはこちらを知っている、しかしどこの誰かがわからない人が多かった。あと親戚も特に普段から付き合いがない関係だと見分けがつかない、自分との関係がよくわからないといった状態になっていた。
 それでも、付き合いは親に任せておけば自分には無関係で済んでいたんだけど、高専を卒業し就職した年(ってことは20歳だな)の5月に父親が急に亡くなってしまった。そうして母親は健在だったけど、長男だから喪主ってことになった。
 そうすると、本当なら良く知っているはず、でも実際には顔はわかるが誰だか詳しくは分からない人(近所の人と親戚、そして父親の友人とかだけど)との付き合いが大量に発生してしまった。
 幸いというか、こちらは無知でも向こうはこちらのことを知っている。さらに少々常識に欠ける息子が居ることくらいは知っている。(まだ若かったし)実際にはたいしたことも期待されていない。父親が急に死亡したことがいいわけになる。などの状況でなんとなく過ぎてしまって特に苦労はしなかったんだけど。
 実家は奈良県橿原市で就職して配属された先が栃木県矢板市。実際にはさほどでもないんだけど実家の方ではなぜか栃木を地の果てのように感じていたた。
 そのおかげで、その後の法事などにはいっさい参加しなかった。きっと近所では忘れられた存在になってしまったに違いない。
 ちなみに実家の周囲では葬式に持ってきた土産じゃなくって御供えは近所の人が手分けして持って帰ります。

 ふと思い出したけど、たぶん幼稚園か小学生の一年生の頃の話。
 ある日、近所の友達の誕生日に呼ばれた私は土産じゃなくってプレゼントを持って(親に持たされたんだけど)遊びに行くことになった。
 当時の私はとっても気が弱かった。
 たとえば小学生低学年の頃に、近所の店に“ライオン子供歯磨き・イチゴ味”を買いにいったのに店のオバサンに“普通の歯磨き”を渡されて「僕の欲しいのはこれじゃない」と言えずに半泣きながら帰ってきたような記憶がある。
 その他にも自分が特別なことをするという状況が非常に嫌いで、実際は特別じゃないことでも勝手に思いこんで実施する直前に逃げ出したくなるって癖があった。
 そういうわけで、友達の家の前でなぜか急に“土産じゃなくてプレゼント”を持っていることが恥ずかしくなってしまった。
 なぜなら友達の家に土産を持っていくなんてことは過去に無かったし、きっと誰もそんなものを持ってこないと思いこんだからだけど。
 で、友達の家の回りを逡巡しながらしばらくぐるぐる回っていた。最後には手にした土産じゃなくてプレゼントをその辺の物陰に隠してようやく友達の家に入って行くことができた。
 いまから考えればあまりにもあたりまえだけど、誕生日に呼ばれた他の友達は当然プレゼントを持ってきている。それを見て安心した私は直に友達の家を飛びだして近所の物陰に隠した土産じゃなくてプレゼントを回収してきた。
 袋が泥だらけになっていたのは子供のことゆえに問題にはならなかったかもしれないが、急に飛びだしてプレゼントを取って来たのをみた友人の親はなんと思ったんだろう。

 旅行に行った友人などから土産をもらうことはよくある。なんらかの状況でプレゼントをもらったことも、バレンタインにはチョコレートももらうこともあった。
 だけど大抵はもらうばっかりで、自分から土産やプレゼント、それにお返しもしたことがほとんどなかった。
 この傾向は若い頃の方が強かったし、今もその傾向はあって、旅行に行ったりしても会社向けに土産を買って帰るなんてことは滅多にない。
 休み明けとか、それ以外でもたまに給湯室に行くと誰が買ってきたのか帰省や旅行の土産がおいてあることがたまにある。多くの場合私が存在を知る前に消費されつくしてしまっているんだけど。
 さすがに最近は数日休みを取ってダイビングに行ったような場合には最低限の土産を買って帰るようになったが。(もっとも、土産を買って帰ったかどうかを判別する術はないんだけど)
 あと、結婚してからは旅行に行ったときはそれなりに土産を買って帰ることも増えたけど、これはすべて配偶者のおかげなので自身が成長して少しでも常識が身についたわけではないようだ。
 結婚と言えば、「結婚式とか披露宴とかは面倒なのでやりたくない」と考えていた。これも今から思えば普通にやっていたほうが楽だっただろうけど、まぁやり直すわけにはいかないのでしかたない。
 その結婚の直後に父親の13回忌があった。そのとき夫婦で近所に挨拶してまわるように言われて、これも用意してあった土産じゃなくって御供えを持って近所をまわった。
 就職してから10数年、ほとんど実家に帰らなかったし、帰っても近所を出歩くこともなかった。だいたい学生の頃から近所付き合いなんかしてなかったのだから、こちらからすれば、家を訪ねても誰だかわからなかったりするので自分のことを説明するのが億劫だなぁと思っていたんだけど、さすがは田舎のおばさんたち。ほとんどがこちらのことを覚えていたし、道ですれちがっただけで誰だか特定されてしまたりするのには驚いた。

みそにこみとっとっと



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