タイムトラブル・第27回

第三勢力:竹林[ほらふきどんどん]孝浩

 大学時代は様々なバイトをやった。特に短期のものは引越し手伝い、展示会場設営、野球場の整理員、ビラ配り、遺跡発掘・・・などバリエーションが多かった。数あるバイトの中でも一番記憶に残るバイトというとやっぱり、「時計の時間あわせ」であった。

 あれは、大学3年の夏だったと思う。確かサークルの夏合宿だったかSF大会の参加費用を稼ぐために単発のバイトを探していたのだ。学生課の掲示板に張られていた、そのバイト募集の作業内容には「発送作業」とだけ書いてあった。1日限りのバイトで結構日当が高く、私の探していた条件にぴったりだったので速攻で申し込んだのである。
 紹介状に書かれていた住所は、名古屋市の東部、東名のインター近くでたどり着いた先は某ギフトショップの配送センターであった。
 担当者に案内されて連れて行かれたのは予想に反して倉庫ではなく会議室のような部屋であった。部屋の隅には時計メーカーの社名の入ったダンボール箱が積みあがり、机の上には会議室にはそぐわない大きな目覚まし時計と、ゴム印のセットが置かれていた。積み上げられたダンボールの中にはケース入りの腕時計が入っていた。結局、私のやらなければならない作業は以下のようなものであった。

  1. 箱を開けて、保証書を取り出し販売店欄にハンコを押す。
  2. 腕時計を現在時刻に合わせる。
  3. 再度、保証書、腕時計を箱に収める。
  4. 1〜4までを約300回繰り返す。

 実に単純な作業である。しかも、この300個分のノルマをこなしたら作業は終了で、日当をもらってとっとと帰ってもOKということである。1個あたり1分で作業をすれば5時間、30秒なら2時間半ということである。かなり楽勝な仕事だと最初は思った。
 ちなみに、この腕時計はどこぞの会社の創立記念日に社員に配るためのものだということである。もちろん記念品なので、きれいに梱包する必要があるのだが、その作業は手馴れたパートのおばちゃんが後でやってくれることになっていた。
 しかし、なにも創立記念日の記念品だったら腕時計とかじゃなくもっと別なもんを配ればいいもんなのにとふと感想を担当者に話すと、
 「あそこの社長は時間に厳しい人だから、社員にも時間を守って欲しいんじゃないか。」とのことであった。さらに担当者の人は続けて言った。
 「というわけだから時間合わせは秒の単位まできっちりやってね。」
 「でも、これすぐにくばるんですか?今、秒まであわせても配るまでにはまた狂ってしまうんから意味ないんじゃないんですか?」
 「そんなことは知ったことじゃない。うちの会社は発送時には時刻は秒まで合わせるって条件で別料金までいただいてるんだから、やらないわけにはいかないんだよ。」そう言いながら、会議室の電話で時報を聞きながら机の上の目覚まし時計をきっちり秒単位まで合わすと、
 「じゃあそういうことで、この目覚まし時計は2時間置きに時報でずれてないか確認してね。昼飯とかは好きな時間に食いにいけばいいから、あとよろしく。」と言って去っていった。
 腕時計はクォーツ製のアナログ時計であった。リューズの部分を引っ張ると秒針が止まるタイプである。その時初めて知ったのだが、腕時計というものは工場出荷時にとりあえず現在時刻に調整されているらしい。したがって、出荷後の多少の時刻の誤差を直すだけでいいかと思ったら、残念ながら日付表示機能までついているタイプで、どうやら6月以前に製造されたものらしく、小の月の影響できっちり1日送れた日付を表示していたのである。したがって時刻合わせのためにはとりあえず分針を24周回転させ、日付を1日進めたのち現在時刻に合わせ、その後リューズを引っ張って秒を一致させるという面倒な作業をやる必要があるのであった。私の作業を正確に記述すると以下のとおりである。

  1. 箱を開ける。
  2. 保証書にハンコを押す。
  3. リューズをひたすらグルグル回す。
  4. 目覚まし時計とにらめっこして時間を合わせる。
  5. さらにリューズを引っ張り、秒針を止めて目覚まし時計とにらめっこを続ける。
  6. 腕時計と目覚まし時計を見比べて秒まであっていることを確認。
  7. 箱にしまう。

 実際にこの作業をやってみるとどうやっても1分以下では終わらないのである。最悪の場合は59秒間リューズを引っ張って秒針を止めたまま目覚し時計とニラメッコする必要があるのだ。しかも連続してリューズをグルグル回すものだから手袋をしていても指が痛くなってくる。おかげで昼飯前には右手の指のどの組み合わせでもリューズを回せる芸が身についてしまった。一番楽な組み合わせは親指と人差し指であるが、中指と薬指の組み合わせも意外と回せるものである。
 さらに定時前までには左手で時計を合わせるという芸もマスターしてしまった。この左手で時刻を合わせるというのは簡単なようで実は結構難しいのである。
 やってみるとわかると思うが、文字盤が正しい向きで時刻を合わせようとするとどうしても手を妙な形にねじることになるのである。この持ち方で1日も時刻を進めるようにリューズを回すとなると、どうやっても腕がつってくるのだ。結局、一番楽な方法はリューズが回しやすいように文字盤を上下ひっくり返してもつことである。ただし、この方法では時刻をちゃんと合わせるためには多少の修練がいるのだ。目の前に正しい時刻の時計を持ちながら逆向きの文字盤で時刻を合わせるというのは、なれるまではかなりややこしいパズルと化すのである。もっともひりひりした右手の指をもつという条件下では結構簡単に、マスターできることもこの時わかったことである。
 両手の全ての指がひりひりしてきた頃、担当の人が様子を見に戻ってきた。この時点で残りの時計は30個、どうやっても定時には終わりそうにない量である。
 「この仕事って残業ってつくんですか?」
 「残念ながらつかないよ。でもかわいそうだから手伝ってやるよ。」
といいながら手伝ってくれた。作業をしながら担当者は、こんな馬鹿な注文を出した人物についていろいろ説明してくれた。
 結局、この時計の発注主は日本から台湾に渡ってそこで会社を興した人物らしい。その台湾の会社の創立10周年記念だかの記念品に時計を社員に配ることにしたらしい。その当時は(今もかもしれないが)台湾あたりでは日本製というのが高級品のイメージをもっているため、社員に渡す記念品は日本製が好まれるとのことで毎年の創立記念日の記念品はこの会社に発注がくることになっているとのことである。
 定時を5分ほどオーバーした所でやっと全ての時計の時刻合わせが完了した。担当者からバイト料を受け取り、領収書に判子を押した時点で、私は思っていた疑問を担当者にぶつけてみた。
 「この時計って台湾の人に渡すんですよね。だったら台湾の時間に合わせなくってよかったんですか?」
 「うっ…台湾って時差なかったよね。」
 「たしか1時間時差があったはずですが。」
 「……えーっと明日もこれるかな?バイト料は増やしてもいいけど。」

 もちろん断ったのは言うまでもないことである。1日で300個の時計を合わせることなど人生で1度で十分だからである。

 ちなみに指のヒリヒリ感が消えるまでには二日間ほど必要とした。またこの作業以来、自分が使う腕時計は全てデジタル式のものになっている。

 一見本文と無関係に見えますが、この写真の怪しい生物は「ミナミトケイウミウシ」です。串本あたりでは春から初夏にかけてに見られます。

 

 



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