人は時として予期せぬ選択を迫られる。
たとえば、
ニューヨーク5番街を歩いていると、突然、ジョン・トラボルタの半生をテーマにしたミュージカルの主役としてスカウトされる。
(ブロードウェイに興味が無くもないが、トラボルタねえ……)
JR新宿駅で髪の短い、背の高い男からこれをピョンヤンまで届けてくれと、ズシリと重い黒皮のカバンを預けられる。
(ピョンヤン? 航空券はみどりの窓口でも買えるのだろうか?)
自宅でフードバトルを観ながら爪を切っていると、インターホンが鳴って、聖書と神について少しの間お話ししたいので、ドアを開けて欲しいと頼まれる。
(只今、たいへん重要な用件で手が放せません。最後の審判の五分前までお待ち下さい)
このように些細なものから、人類、ことによると宇宙の命運を左右するような重要な選択の積み重ね、それが人生というものの醍醐味かもしれない。
これから記すのは、ある女が21世紀最初の年に下した選択の物語である。
梅田お初天神通りの酔虎伝でのトイレで、下呂をしていたら携帯を便器に落としてしまった。すぐに家まできて欲しいと、友人から電話がきた。
(なんでわたしがいかなあかんねん)
電話を終えたとき彼女は思った。
ニュースステーションが始まる頃、受話器を取ると女の涙声が聞こえてきたとき、例によって久米宏がろくでもないニュースを伝えている最中だった。
相手は彼女の大学時代からのつきあいだった。
電話をしてきたあゆむ(仮名)はかなり混乱していた。
もともとまとまった思考をするタイプではなかったが、その時はついに脳が壊れたかと思うような話しぶりだった。
で、あやしたり、怒ったり、うながしたり、しながら三十分近くの会話を続けた後、ようやくあゆむのいわんとしていることをまとめたのが、梅田お初通りウンヌンの内容であった。
(酔っぱらい相手に、なんでこんな夜中に外へでかけんとあかんねん)
時として酔っぱらいは、理由もなく涙声になることを遅まきながら、彼女は思いいたった。
(しかも下呂してるとき、携帯落っことすなんて、そんな奴聞いたことないわ)
たしかに彼女は聞いたことはないかもしれないが、あゆむの身に起こったたぐいの、いわばIT社会特有の事故は頻繁に起こっている。
ちなみに落としたのは洋式便器の中であった。
いうまでもないが、これもまた日本社会の欧米化に伴う古くからある弊害である。
(そんな、きちゃないもん、いったいどないして持って帰ったんやろう。それでわたしがいってどないせえっちゅうんじゃ)
彼女は当然の疑問をもった。
冷静に考えて自分にできることがあるとは思えなかった。
(あほらしもない。寝よ。寝よ)
当然の結論に達したが、なぜか手は免許書と車のキーを握っていた。
それはあゆむとのつき合いのなかで培われた、条件反射であり、そもそも持って生まれた性分であったのだからしょうがない。
(あほくさ)
そう思いつつ彼女はテレビを消し、あり合わせのフリースをはおった。
ここまでお読みの関西圏以外に在住の方で、彼女の言葉に違和感をお持ちになる方もいるかもしれないが、関西の感覚でいえば上品な部類にはいることを蛇足ながらつけくわえておきたい。
問題の携帯はコタツ兼用のテーブルの上にあった。
彼女があゆむの家についたとき、その家のあるじは柿ピーをかじっていた。言い忘れていたが、二人とも独身女であり、いまは両方ともフリーだった。
「きたないもんテーブルの上に置くな」
他人のテーブルだったが、床に置いたカバンをベッドに投げ出す類のことが、基本的にきらいだった。
「だいじょうぶ。ラップしてある」
言葉通り、携帯電話はラップに包まれていた。その痛々しい姿は、スーパーで売られているカツオのたたきを思わせた。
「で、どないして持ってかえってきた?」
彼女は柿ピーの袋から、ピーナッツ以外を慎重に選びながらあゆむに聞いた。
とたん、あゆむは嬉しそうに。
(なんでやねん)
これまでの経過を話し始めた。
長くなるのであゆむの話は割愛するが。
とにかく、あゆむの知恵と勇気そしてプライドと店員達の誠意と努力によって、携帯は便器の中から便所ばさみによってサルベージされた。
そしてこれも店の好意によって与えられたスーパーの買い物袋に入れて、家まで持ち帰られた。
「ほんとにたいへんだったけど。みんな親切にしてくれて、なんとか家まで持ってかえってこれたわけなの」
あゆむの話に、おざなりにつっこみをいれながら、彼女は時計を見ていた。もうすぐ日付の変わる時間帯であった。
「んで、あたしにどないして欲しいん?」
彼女は単刀直入に訊ねた。
あゆむはそれまでの饒舌が嘘のように黙り込んだ。
(まあ、予想どおりやけどね)
柿ピーの袋の中には、ピーナツばかり目立つようになり、種だけをより分ける作業は、困難さを増してきていた。
「パソコンの設定やってくれたでしょ」
あゆむはすがるようにいった。
「そうやったね。
あの後すぐ、ウィルスメールを送りつけてきたのをよう覚えてるわ」
覚えてない、とあゆむはいった。
実際都合の悪いことは忘れてしまう、というのが歩むの処世術のひとつで、これまでの人生経験で有効であることが実証されていた。
「飲み屋の便所に落ちて、あんたの下呂にまみれた携帯を私がさわることで、なんかええことでもあるん?」
彼女は眠くなると極端に機嫌が悪くなる。
「ひょっとして、それ防水?」
彼女はなんとなく聞いてみた。
さあ? あゆむは首をひねった。
真っ黒になった液晶パネルを見る限り、生活防水程度では今回の事態には荷が重かったとみえる。
(真っ黒? 液晶が?)
彼女はラップに包まれた携帯電話の亡骸をまじまじとみつめた。
それは水死体というよりも、焼死体というほうがより適切であった。
「あんた、なにやった」
あゆむは遠い過去を想い出すような口調でいった。
「とりあえず。電源入れても音が鳴らないんで。乾かさなきゃいけないと思ったの」
(はあ、そんなもんか?)
いかにも、彼女のせいでそうなったというように、あゆむは続けた。
「あんたがすぐ来るっていうし、中まで乾かさなきゃとおもって。しょうがないからチンしてみた」
(チンした……)
彼女はその時、濡れた猫を乾かすために、電子レンジに放りこんでスイッチをいれた。という有名な伝説を想い出した。
(あない不運な死に方はしたない、とおもったもんやけど)
もう一度、電子レンジで“チン”された携帯電話を、彼女はある種の感慨を持ってみた。
「電子レンジにかけるから、ラップで覆ったわけね」
彼女は静かにいった。
「そうなんだけど……。初めのラップはなんか破れちゃったんで、包みなおした」
あゆむは得意げにいった。
彼女は黙って手近にあった藤製の鍋敷きを、あゆむに投げつけた。
「そのあと、癖になるといけないから、たっぷり説教してやった」
彼女は深夜にかかわらず不始末をした犬か猫にするように、あゆむを徹底的にとっちめたのだった。
躾は、諦めず、根気よく。というのが彼女の人生訓のひとつだった。そうしていれば、いつかは覚えるかもしれない。少なくとも飼い犬は覚えた。
「もっとも、最後のほうは笑ってしもうたけどな。よりにもよって携帯をチンするアホがいるなんて。取扱説明書にも書いとかなあかんなあ」
ところでその携帯だけど。
「店にいったら、無料で取り替えてくれた。とにかく保証期間内だったから、わたしが無理いって代えさせた」
結局、彼女はあゆむをなんとかしてやったわけだ。
「ところで水没と、涙はわかるけど、饅頭はどっからきたん?」
もちろん選択を積み重ねた結果さ。詳しいことをききたいかい?
「いらんわ。もう乾かす話は聞きたないわ」