火事場の腑抜け哀歌・第22回

第三勢力:天羽[司法行政卿]孔明

 古道具を見るのが好きです。
 いやもちろん、見るだけではなく、手に取りたいし、モノによっては欲しい事もあります。実際、以前はなんやかんやと何の使い道もないようなモノを購入していた時期もありました。でもさすがに今は、金銭的な事と、その、購入したモノの置き場に困るので購入は控えております。が、それでも小物であったり、価格が安かったりすると・・・。いやはや、ってところですかな・・・。(笑)
 古道具以外でも、骨董とよばれるモノや、古美術なんていわれるモノも見るのは好きで、それらを販売している店や、美術館・博物館なんかにもよく足を運びます。でもこれらは、なんか気取っていて、ちょっと価格も高め(もちろん、安いモノもあるでしょうが)な雰囲気があるので、ぼくごときでは手が出そうになく、本当に見るだけでありますな・・・。
 とにかくまぁそんなわけで、骨董品屋や古美術商に行く回数よりも、古道具屋や古道具市、あるいはのみの市なんて言われている場所をひやかしに行く回数の多い天羽でございます。
 しかしまぁなんですな、ここ数年前から、テレビの「なんでも鑑定団」のおかげかどうが、古道具屋でも、妙に価格設定の高い店が増えてきました。古道具ファンが増えるのはある種嬉しかったりするのですが、価格が高くなり、手に取れる品数が減り、昨日までの古道具屋が、今日から骨董品屋と名前を改めて商売を始めるってのにいたっては、これはいただけません。いやほんと、あるんですよ、こんな店。売っている商品は昨日と同じなのに、骨董品屋と名前を改めたとたんにその商品の価格を値上げしてんでやんの。いやまったく、どうしようもござんせん・・・。
 と、ここまで書いてからではありますが、ちょっと余談で、ぼくなりの古道具と骨董と古美術の違いなんぞを・・・。え?! そんなん聞かんでいいですか? いや、まぁでもちょっとだけね・・・。
 古道具ってのは、なんていうのかなぁ・・・、生活の匂いがするような感じがあるモノ。んで、骨董っていうのは、確かに生活の匂いもあるんだけど、妙にかしこまって、使用する前に「ほほぉ〜、これはなかなか・・・」なんて、つい一言言っちゃいそうになるモノ。んで、古美術ってのは、生活の匂いがまったくせず、家庭にあっては床の間などに鎮座ましまし、美術館なんかのショーウインドウの中に収まっているようなもの。・・・って感じかな・・・。いやもちろん、それぞれが重なりあっている部分も多々あるんですがね。
 古道具屋さんと骨董品屋さんと古美術商。店の雰囲気もそれぞれ違いますよね。
 古道具屋さんは、品物が雑然と積み重なっていて、埃をかぶっているモノさえあるの。で、奥の方から「なんじゃこりゃ?」ってな変なモノ、あるいは、文字通り掘り出し物なんかが出てきたりするのです。そう、ジャンク屋ですね。最近では、リサイクルショップなんて言われている店もそう。そういや、古本屋ってのも、この感じかな・・・。
 で、骨董品屋ってのは、確かに品数はそこそこあるんだけど、それぞれの商品がきちんと並べてあって、埃をかぶっているものなんてないのです。小綺麗な箱に入っている商品もあるのですが、ここでは、それを手にとって眺めることも出来ます。古書店ってのも、この感じ・・・。(笑)
 古美術商の商品は、おおむねショーウィンドウの中にあり、商品それぞれにご立派な化粧箱がついていたりするの。んで、商品を手に取りたくなったら、店員に声をかけないと出してもらえないのよ・・・。
 ・・・んなわけで、おいらやっぱり古道具屋がいいよ、うん。
 さて、大阪・奈良・京都には、この古道具屋がけっこうあるのです。京都なら、東山界隈。奈良なら、吉野界隈がけっこういいです。
 で、大阪で一番気に入っているのは、瓢箪山稲荷の参道にある古道具屋。ここにはなんと、かの石川五右衛門が使用したと言われている煙管や、紫式部が使ったと言われている硯なんかがいっぱい置いてあるのです。(呵々大笑)
 ぼくもこのこの店では、水戸黄門が使っていた印籠ってのを、なんと3500円で買った事があります。(嬉)
 さて、今から何年前だったかな・・・。この店で、「江戸時代の旅の必需品!」と、大きく書いた張り紙の張った携帯用洗濯板ってのを発見した事がありました。直径30センチぐらいの大きさの、円形の洗濯板でした。江戸時代ってのは明らかに眉唾モノなんですが、(って、この店でいまさらそれを言ってもはじまらないけどね)板に彫った螺旋状の溝がなんかとてもいい感じだったのです。これはちょっと欲しかったのですが、たまたまその時は持ち金が少なく、断念したのです。それからしばらくしてその店に行った時には、もうその商品は売り切れていました。
 さて、洗濯板。日本にこの商品が入ってきたのは明治の半ばだったかな、で、実際に庶民がそれを使いだしたのは、大正時代になってからやそうです。テレビの時代劇で長屋のおばちゃん連中が洗濯板を使って井戸端で洗濯をしているなんてシーンを時々見ますが、あれは、時代考証的にはちょっと、って感じですよね。江戸時代なら、すりこぎみたいな棒で洗濯物をたたいて洗う。あるいは、足で踏み洗いするってのが正しいようです。そんな時代ですから、やっぱり携帯用洗濯板っなんてのはなかったはずでありますな・・・。(苦笑)
 今ならさしずめ脱水から乾燥まですべてやっちゃう全自動洗濯機ですよね。貧乏な我が家でさえ、脱水までやっちゃう一層式全自動洗濯機を利用しています。これがちょいと前なら、脱水機の付いた二層式ですか。ぼくの子供の頃にも、脱水装置付きの洗濯機がありましたが、この脱水装置ってのは、二本のゴムロールと、それを廻すハンドルが洗濯機に取り付けて有り、二本のゴムロールの間に洗濯物を通す事により、脱水さしちゃうっていうものでした。それまでは手で絞っていた事を思うと、たぶん画期的な装置だったんでしょうなぁ・・・。洗濯物は、みごとにぺっちゃんこになって出てきてたけどね・・・。
 そのぺっちゃんこになった洗濯物を、手でパンパンと叩きながら広げて物干しに干し、取り込んだ後はアイロンでしわを伸ばしていたんですな。
 そのアイロンも、最近は良くなってきています。これもぼくが子供の頃ならば、霧吹きでシュシュっと水を掛けていたのですよね。それ以前なら、電気アイロンでさへなかったんですよね。今のアイロンなら、スチームが自動で出ますか・・・。いや、形状記憶系の繊維で作られた服なら、そのアイロンかけさへ不要だったりするんですよね。
 掃除機も、時代とともに便利な物がたくさん出来てきています。
 掃除機が無かった頃は、箒とちりとりで掃除。濡らした新聞紙をちぎって畳の上にまき、埃を立てないようにしながら掃除をしている光景もよく見ました。
 とまぁ、なんか長々と今と昔の家事における状況を考えてみたわけですが、なんか昔に比べると今は色々と便利になっているわけです。今回は書かなかったけど、料理を作るための調理機や、食後の食器洗いに食器乾燥・・・。他にも、いっぱい便利になってきていますよね。でもさ、どれほど便利になっても、家事をするってのは、やっぱり嫌ですよねぇ・・・(しみじみ・・・)。



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