霧雨に火事の真実 ・第19回

第三勢力:竹林[ほらふきどんどん]孝浩

 どうも今回の甲州画報はキャンプとダイビングと渋滞で埋め尽くされているような気がする。今回もダイビングネタでも書こうかとも思っったのだが、あんまりなので、たまにはテーマに沿ったネタで書いてみましょう。

「霧雨」
 会社の近所にそこそこ旨い中華料理屋が有るんですが、ここのお勧めが「霧雨スープ」です。
 ちょっと凄そうな名前のスープですが、その実態は単なる卵の入った中華スープに春雨を細かく切ったものが入っているだけです。春雨の細かい奴だから霧雨という非常に安直な由来なんですが、味の方はかなりいけます。某社のSEさんは、わざわざこの霧雨スープを食べたいだけのために、東京から打ち合わせと称して岐阜までやってきます。まあこっちが出張しなくてすむんでいいんですが先日も、
「次の打ち合わせいつにしますか?」
「再来週は…水曜日しか空いてないな。」
「じゃあ再来週の水曜日で…」
「あ、その日はあそこの店定休日じゃないか。」
「残念ですね、霧雨スープ食えなくって。」
「うーん」
と悩んだ後、携帯で2、3箇所に電話をかけて
「OK,火曜日の打ち合わせ水曜日にずらしてもらったから、というわけで次回は再来週の火曜日ってことで…」
 中華料理屋の定休日の関係で日程調整をするSEさんはこの人ぐらいです。 ちなみにこの春雨スープですが、オプションとして、春雨の量を倍にすることも可能です。この場合は「霧雨スープ土砂降りで」という注文になります。霧雨の土砂降りって矛盾しているような気もしますが…。
「に」
 以前の職場にいたときに一緒に仕事をした外注さんに「二」さんっていう苗字の人がいた。「いちのつぎ」でも「ふたつ」でも「さんのまえ」でもなく「に」と読むという非常にシンプルな苗字の女性でした。
 もともとは「いちのつぎ」という読みだったらしいんですが、ひいおじいちゃんの代に「誰も正しく苗字を読んでくれない」という理由で、今の「に」というシンプルな読みに変えたんだそうです。もちろん「二」さんの生涯の中で未だに一発で「に」と正しく読めた人は一人もいないそうなので、このこのひいおじいさんの目論見は見事にアイデア倒れに終わっているようです。
 ちなみにこの「二」さんであるが、名前が恵美なので、メールアドレスとかログイン名には「283」を使っていました。ソース中のコメントに
    // add 1987.06.03 by 283
とかやられたりして結構謎でした。
 お兄さんは「一」(はじめ)って名前で、友人からは「さんちゃん」と呼ばれているらしい。「二一」を縦書きにすると「三」になるからなんですが、確かに縦書きにすると落ち着かない名前ですね。
 この「二」さんとやった仕事は、某パチンコ屋の情報表示システムでした。「二」さんの担当した部分がメンテナンス系の個所だったため、タッチパネルの4隅をある順序で、「2」「8」「3」とクリックするとメンテナンスモードに入るようになっています(もっともこの操作が有効なバージョンはもうなくなっているはずですか…)。
 そういえばこの「二」さん、一昨年ぐらいに結婚されたそうで、「やっと一度で読める苗字になりました。」といっていました。新しい苗字が「丹羽」さんなので、最近は
     // delete by 2[8]83
とか書いているそうですが。
「火事」
 残念ながらというか幸いにというか火事にあった経験はないが、尻に火がついた状態というのは仕事でよく経験がある。というよりもソフトウェア関連の仕事についている人だったら、大抵納期ギリギリのプロジェクト(あるいはすでに納期遅れになっていたりとか・・・)ってのは経験済みというか日常茶飯事ですよね。先日などは、納期がとっくに過ぎている仕事の依頼があったりしました。
「いや、担当者が辞めちゃって、当てにしてた外注さんもどうにも手が離せなくって・・・。納期はとっくに過ぎているんで、そちらの可能な期日を教えてくださればお客さんと交渉しますから・・・」ということだったんですが、うーむ。 ちなみに、今やっている仕事も見積りでは半年かかるところを2ヶ月でやらされた揚句、納入直前になって運用開始が延期になって、さらに仕様変更の嵐というとっても楽しい仕事でした。
「の」
 「@」。これって何て読みます。一般的には「アットマーク」「あと」。かなり特殊な所で「デンデンムシ」「グルグル」あたりなんですが、某会社では「のの逆」と呼んでいました。かなり無理がある読み方だとおもうんですが、
 「username@hostname」
を「ユーザ名・アト・ホスト名」と読むかわりに、「ホスト名・の・ユーザ名」と読めば意味が通じるじゃないかという主張で、「逆」ってのは文字の形じゃなくって単語を前後入れ替えて読むっていう意味なんだそうです。 単語を入れ替えて読むなんて強引だと思いますが、「漢文で返り点って習わなかった?」というのがその場合の反論になるんだそうです。
「真実」
 よく、小説やドラマの最後に
 「この作品はフィクションであり、いかなる団体、  個人とも無関係です。」
とか出てきたりしますが、これって「俺のことを悪くいいやがって、ゴルァ!」とかいうクレーム防止のためなんだそうです。これを書いておけば絶対大丈夫という保証はありませんが、書いておかないとかなりの確率で難癖をつけられるんだそうです。最近では韓国やら中国からクレーム付まくりの歴史教科書なんかがその典型的な例ですね。教科書の最後に、上の一文を追加しておけば、まったく問題にならなかったはずなんですがね。特に問題にされている「新しい…」とか出してる出版社なんか、そのあたりには慣れているはずなんですが、どうしてつけなかったんでしょう?
 ちなみに、この原稿はほとんど真実なんで、こういう場合には、
 「この作品はほとんど真実であり、特定の団体、
 個人と関係あります。でもあなたとは無関係です」
 と書いておくのが適切なんだろう。といっても誰も信用してくれないんだろうけど。なんか、最近私のことを「嘘つき」とか「ホラ吹き」とか呼ぶ人が増えているようだが、不思議なことです。ま、多少は原稿の都合で加工したりした部分はあることは認めますが、それを嘘つき呼ばわりするのは、よくないことでしょう。 とか、書くと「おまえの、『多少』とか『若干』ってのはかなりの分量を表すんだろう。」とか難癖をつける人までいるし…というわけで、今回は名誉挽回のために正確な数値を示そう。
「今回の原稿全体に占める真実の文章の割合は
 約93%です。」
「 」
 プログラムやデータを見ればすぐわかるんだが、印刷だとあるかないかわからないのがこの空白文字ってやつです。タイトルの後についているのってまったくわかりませんよね。もちろんここから下にもずっと空白文字が入っているんであって、空きじゃないんですと言っても誰も信じないだろうから、この下には無関係な写真でも入っていることになっているはずです。

越前の海で一人佇むコダック



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