愛と音楽・第6回

第三勢力:山本[生物資源生産担当あるいはバイトの警備員]香月

 始まって半年になるが、このコーナーのタイトルについてお気づきの方はどのくらいいらっしゃるのだろうか?
 そう。ここのコーナーのタイトルの付け方にはある法則がある。その法則にしたがって、今回は「愛と音楽」というタイトルなのだが、私は昔から愛に疎い女だったし、音痴で音楽にも興味はなかった。だから、愛と音楽について語るほどのことは、何も持ち合わせていないのだ。それでも、今更タイトルを変えるのもなんなので、私は自分の中に落ちていたあれやこれやの断片を拾い集めてみることにした。ちょうど、女子中学生的な心理占いがあったので、それを糸口につかってみる。愛と音楽は世界にあふれているから、気づかぬうちに関わってしまっていたりすることはあるかもしれない。第三勢力:山本香月

 「心理占いか、パチくさいなぁ。どれどれ。まず
  1番は・・・人名?・・・山本かな?」
 あなたも自分の内側を振り返ってみるといい。愛と音楽は誰の人生にもさりげなく落ちている。

 女子中学生的心理占いゲームです。
 自分の結果を知りたい人は、先を読まず、一行ずつ進む事。では、ゲームを始めましょう。ペンと、紙を御用意下さい。名前を選ぶ時は、必ず自分の知っている人を選び、考えすぎずに、思ったままを書いて下さい。
  1. まず、1番から、9番まで、縦に数字を書いて下さい。
  2. 1番と、5番の横に、自分の知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味のある性別の人の名前を書く事)
  3. 2、3、4番の横それぞれに、自分の知っている人の名前をお書き下さい。
  4. 6,7、8、9番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。

[ゲームの解説]
1番に書いた人は、貴方の愛する人です。
5番に書いた人は、好きだけど、叶わぬ恋の相手です。
2番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。
3番に書いた人は、貴方の事をとても良く理解してくれる相手です。
4番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。
6番に書いた歌は、1番に書いた人を表わす歌。
7番に書いた歌は、5番に書いた人を表わす歌。
8番に書いた歌は、貴方の心の中を表わす歌。
そして、9番に書いた歌は、貴方の人生を表わす歌です。



6.雨に歌えば

(2000年。オーストラリア:ハミルトン島)

 雨が降っていた。
 二人乗りのバギーは、フロントと屋根しかない。海から吹く風は、容赦なく雨粒を私の全身に叩き付けた。
 「ぷぷう!」
 水をかけられた猫のように、私は顔をしかめた。隣で運転している山本が笑う。観光用の白いバギーはがたごとゆれながら、ゆるくカーブした坂道を下り始めた。絵の具のチューブから絞り出したような色の木々の脇をゆっくりと抜けると、前方に入り江に無理矢理作った飛行場の滑走路が見えてくる。と、不意に風向きが変わった。
 「ぷぷう!」
 今度は山本が、横殴りの雨にさらされて、さっきの私とそっくりに悲鳴を上げる。バギーは道幅いっぱいの水溜まりに突っ込んだ。
 新婚旅行の1日目。グレートバリアリーフのリゾートアイランドで、台風もどきの秋の雨にずぶぬれになりながら、私は歌いたいだしたいほどの上機嫌だった。

(1990年。岐阜大学:サークル共用棟前)

 「“しーんぎにんざれーん♪”」
 だだっ広く晴れ渡った青空の下、中央に河が流れる芝生広場の向こうに、病院のように白く輝く校舎が並ぶ。岐阜市内とは名ばかりの僻地にある岐阜大学は、交通機関には不自由していたが、おいしい空気には恵まれていた。
 「あー、いい天気だねー。“雨に歌えば”って、こう天気が良くて楽しい気分の時に、ふと歌いたくなる歌なんだよね」
 当時の私は、まだ映画にもミュージカルにもぜんぜん興味はなかったので、MGMの有名なナンバーも、ただ単に“昔、日曜日の昼間か何かに見た古い映画の歌”でしかなかった。
 SF研の先輩から“時計仕掛けのオレンジ”という映画も教えてもらってはいたが、幸いにも主役がこの歌を歌いながら暴力をふるうシーンは見逃していたので、暗いイメージは持たずにすんでいた。
 「雨の日とかのどよんとしたときより、ばかっ晴れみたいな雰囲気の歌じゃん。私、好きでさぁ・・・ただ惜しむらくは “しーんぎにんざれーん♪”のワンフレーズしか歌詞知らなくて、後は“たーりらーんちゃらららーん・・・”とかでしか歌えないことなんだよなぁ。CDとかあるのかな?」

(1993年。シベリア上空:機内)

 「("I'm singing in the rain ...♪")」
 NHKの衛星映画劇場でMGMのミュージカルにはまっていた私は、母とイタリア旅行に出かける荷物の中に、“ザッツエンターティメント”のCDの歌詞カードのコピーを忍ばせていた。
 黒雲に微笑もう。僕の心に太陽はいる。恋しちゃったんだ。
 雨よ降れ!僕は幸せだ。さぁ、雨の中を歌いながら歩こう。
 念願の“雨に歌えば”の歌詞は、恋に有頂天になった男のあきれるほど馬鹿な戯言だった。映画の方も、改めて見直してみると、かなりしょーもないストーリーで、主人公は本当に彼女が好きという理由だけで、雨の中、踊っていた。恋をしたせいで、そこまではしゃぐ気分というのは分からなかったが、水溜まりでじゃぷじゃぷ遊ぶと楽しい気分はわかったし、この辺りのミュージカルなんて、どれもこれも、カルチャーショックを感じるほど、馬鹿な恋の戯言だったから、それはそれでそんなものなんだろうと、当時の私は納得していた。
 そう、なにせあの“ホワイトクリスマス”だって、ラブコメだったのだから。
7.ホワイトクリスマス

(1987年。西春高校:教室)

 その英語の教師はいささか変わった人で、進学校にしては授業を楽しく工夫しすぎるきらいがあった。
 「ホワイトクリスマスの歌詞を訳そう」
 12月のある日の授業で、サンタよろしく白い袋を担いで現れた彼は、ホワイトクリスマスの歌詞の書かれたプリントを配り、そういった。

(1980年。落合家:子供部屋)

 私の姉達は好きな曲を集めて、“お子様テープ”という名前のカセットテープを編集しており、休日などにはそれをかけながら絵を画いたりしていた。私は姉とは10歳ほども年が離れていたため、小さい頃から、彼女たちの嗜好の影響をもろにうけて育った。小学生にとって、身近な社会人や高校生が良いと言うものは、すべて良いものである。かくして、私はSFを読み、加藤直之さんの絵はかっこいい!と思い、ブライト艦長と真田技師長はハンサムだと思い、沖雅也のようにブーメランを飛ばす練習をした。
 そして、“スターウルフ”や“ガンダム”や“俺達は天使だ”のテーマソングといっしょに、そのお子様テープに、TV放送から録音した“ホワイトクリスマス”も入っていたのである。
 いかにも古きよき映画風の甘い歌声と、何を言っているのか聞き取れない程度にかぶって入っている台詞(アメリカドラマの色男の吹き替えに有りがちなやたら良い声の男性声優の声だった)。子供心にも「なんだかよく分からないが、この映画はいい男の出てくるロマンチックでかっこいい良い映画に違いない」と確信させるだけ説得力が、その曲にはあった。

(1987年。西春高校:教室)

 英語の教師の解答プリントに目を通しながら、私は軽い失望を感じた。
 「(こんな歌詞だったのか。ふーん。愛だの恋だのの歌じゃなかったわけだ)」
 しかし、変わり者の英語の教師は、さぁ、目を閉じてその情景を思い浮かべてみようなどとのたまった。私は、クリスマスのイメージはロマンチックであらねばならない!という世間的強迫観念に屈して、必死で“ろまんちっく”な情景を考えた。。ここで好きな男子の一人もいれば、クリスマスと聞いてもうすこし身近で具体的な絵が浮かんだのかもしれない。が、悲しいかな、レディースすがきや(男性お断りのラーメン屋)で、男と間違われて白い目をむけられるほど、がてんで色気のない高校生には、色恋沙汰など薬にしたくともなかった。
 というわけで、私の頭の中では、往年のハリウッド男優的色男が、雪の針葉樹林のロッジで、ランプの明かりを調節して、羽ペンを手に取り、クリスマスカードを書く情景が・・・。
 こうして、私にとっての“ホワイトクリスマス”のイメージは、ロマンチックで素敵な(=自分の日常からは程遠い世界の)いい男の歌でありつづけ、しかも、マザーグースとカントリーロード以外で唯一、歌詞を知っていて歌える英語の歌となった。そう、当時“ホワイトクリスマス”は、私のレパートリーの中では、かなり上等の部類に入っていたといって良いだろう。なにせ、私は音楽や歌謡にはとんと興味がなくて、知っている歌といえば、音楽の授業で習った曲か、童謡か、テレビの主題歌という、能動的に聞かなくても勝手に覚えるはめになるわかりやすい歌ばかりだったのだ。経緯からいえば、“ホワイトクリスマス”も、お子様テープと授業が由来なわけで、かってに覚える羽目になった曲の一つではあった。でも、10代後半にもなって、好きな歌が“箱根八里”という色気も素っ気もない女にとっては、ずいぶんとまっとうかつ異色な曲ではあったのだ。
8.箱根八里

(2000年。オーストラリア:ハミルトン島)

 雨はますます激しく降り出した。
 「箱根の山はてんかのけーん・・・」
 山道入り口でバギーを降りてからはや10数分、ニンジン色の上り坂はうねうねといつ果てるとも知れずに続いていた。ひまつぶしに出かけたハイキングコースは、降り続く雨のために凶悪なアスレチックコースと化していた。
 「ばんじょーのやま、せん・じーん・・・の・たに・・・」
 前にそびえ後方に誘う、というほどの坂道ではなかったが、力の入れ加減を少し間違えただけで、ぬかるむ坂に足がずるりと滑る。3歩進んで2歩下がるどころか、1歩毎に3分の2歩は滑っている感じだった。雲は山をめぐり、木々の合間から見える景色は灰色にけぶっている。昼を過ぎたばかりだというのになんだか薄暗かった。中世の旅人のマントのように頭からかぶったバスタオルが、じっとりと重い。風に逆らって傘を持つ手が痛んだ。
 「よーちょおのしょうけいは、こーけーなーめらか」
 うねる山道をさして、羊の腸とは良く言ったものだと、感心しながら、次の一歩を踏み出す。“コーラルコーブ”という名を見て、なんとなく美しい入り江のような気がするから行ってみたいと、軽い気持ちで出発した路は、運動不足の軟弱者の足には遠かった。次の角を曲がれば、この坂を越えたなら、の希望を頼りに進むことさらに数分。ついに私たちは、道標のたつ峠に辿り着いた。
 “コーラルコーブまで、ここより15分”
 「全行程片道20分という話はどうなったんだーっ!」
 泣き言を言ってもしょうがない。ここまで上った道をそのまま引き返すのは、せっかく変換した位置エネルギーが、あまりにも悔しかった。私と山本は道標に従いコーラルコーブへの道を決然と踏み出した。しかし!・・・道は、そこから下っていた。
 「よく考えたら、入り江に行くということは、今までのぼった分以上を降りるということでは?」
 「しかも、帰るためには、もう一度まるまる一山越えないといけないということだね」
 「ははははは」
 乾いているのは笑い声だけで、いまや道は、赤茶色のぬかるむ滑り台と化していた。天気さえよければ、のどかで美しいただのハイキングコースなんだよね、と己をごまかしながら、歩を進めると、踏み出す足の下で濡れ落ち葉が滑った。
 「ひゃあ」
 転んで全身赤茶色になる!というところで、山本の差し出す手が私の身体を支えた。
 「あ、ありがと・・・」
 いまだかつて、差し出された手で体を支えて、楽になったためしがなかった私だが、この時、本当にその手がありがたいと感じた。バランスを立て直した後も、私は素直に相手の手にすがったまま坂を下っていった。
 友人の結婚式で、神父がいっていた定番の一節が、ふと頭に浮かんだ。・・・なるほど、人生の困難な下り坂でちゃんと支えあっていく相手がいるというのは、確かに一人でだらだら坂を下りていくのより楽かもしれない。なんだか、他人の手に頼った上に、そんな連想をしてしまう自分が、これまでの20数年間で培ってきた自分像とあまりにもかけ離れていて、あまりにも“新婚ぼけ”していて、笑えるほどの違和感があった。
 やっとたどりついたコーラルコーブは、鉛色の空から、灰白色の砂浜へ、青灰色の波と、激しい風雨が叩き付けられている、ホテルの裏の浜とぜんぜん代わり映えのしない小さな湾だった。
 「よーし、記念撮影をするぞー!そりゃ、撮ってやるから、波打ち際までいってこーいっ!!」
 「えーっ?!」
 風に煽られて、逆さキノコになりそうな傘を持って、やけになって浜で手を振る山本にむかって、シャッターを切りながら、私はやっぱり上機嫌だった。
 晴れた日のコーラルコーブは、きっと、バナナが踊るような浜なのだろう。
9.とんでったバナナ

(1975年。落合家:子供部屋)

 「ワーニとバナナがおどります♪ぼんぼこつるりんぼんつるりん♪」
 私は童話集のレコードのジャケットのワニとバナナが踊っているところをいっしょうけんめい想像した。同じレコードに入っている“はしれ新幹線”、“つっぴんとびうお”と共に“とんでったバナナ”は、大好きな曲だった。なかでもこの4番でバナナがワニと踊るくだりは、バナナがとても楽しそうで好きだった。
 「あんまり調子にのりすぎてバナナはつるんと飛んでった♪」
 頭の中で、踊っていたワニの隣から、バナナが高々と青空に飛び上がる。
 一番や二番で、食べられそうになるから逃げたバナナの気持ちは想像がしやすかったが、ここで調子にのりすぎて舞い上がってしまうバナナのことは、いまひとつよく分からなかった。ワニとはあんなに気があって、いっしょに踊るのが、とても楽しそうだったのに、どうしてそのもとを飛び出していってしまわなければならなかったのか?調子に乗りすぎさえしなければ、ずっとワニと楽しく過ごせたのに。
 「バナナーはどーこへいったかな?」

(1998年。市内幹線道路沿い:カラオケ屋)

 「ばななん ばななん ば・なぁ・な♪」
 曲がさびに入ったところで、友人達はやっと得心顔になった。
 「ああ、この曲かぁー!って感じでしょ?」
 「うんうん」
 懐かしい歌の名前を見つけて、カラオケ屋でこんなもの歌うというのもどうかとは思ったが、私はつい入力してしまったのだった。長い曲だと言うのは知っていたが、なんでもありな気楽な友人達だったので、申し訳なかったが、そのまま最後まで歌わせてもらった。
 「もぐもぐもぐもぐ食べちゃった!食ーべちゃった食べちゃった!」
 ひさしぶりに歌う“とんでったバナナ”は、とても気持ちよかった。自分が歌のお姉さんと同じような、大人の声になったのだと気づくのは、不思議な感覚だった。最後にバナナを食べちゃう船長さんも、子供の頃は大嫌いだったのに、今ではそれほどいやではない。子供部屋で、レコードを一生懸命くりかえし聞いていたあの頃から、ずいぶんと歳月がたち、いろいろなものが変わってしまったと思う。 でも・・・。体は大きくなり、行動半径も広がったが、やっていることは、あのころとたいして変っていないのかもしれない。学校の用事も、家の用事も放り出して、わずらわしいことすべてからのがれて、行き先も定めずに飛び出して、くたくたになるまで友達と遊ぶ。・・・何も考えていない子供そのままだ。
 私は、計画性も人生設計も何もない、刹那的な生き方をしている。そんな自覚はあったが、だからどうという気はおきなかった。飛んでったバナナのように、調子にのりすぎるとあらぬ所に飛んで行ってしまうかもしれないが、まぁ、世の中なるようにしかならないし、そのうち何とかなるものだ。

(2000年。エアーズロック:プールサイド)

第三勢力:山本香月 「(それで結局、私はこいつがぽかんと開けていた口に飛び込んだというわけか)」
 私は隣でぐーぐー寝ている山本の顔をまじまじとみた。そういえば、口髭はないものの、この丸顔と、ポンと腹の出た体型は、昔思い描いた“とんでったバナナ”の船長さんと似ていなくもない。
 船が一艘浮かんでた。
 おひげを生やした船長さん、グーグーお昼寝いい気持ち。
 お口をぽかんと開けてたら、バナナがすぽんと飛び込んだ。
 もぐもぐもぐもぐ食べちゃった!食ーべちゃった食べちゃった!
 改めて考えてみると、昼寝中に口に飛び込んだ皮付きのバナナを食べきった船長さんって、ひょっとしたらとてもすごい人かもしれない。それに、バナナにしてみりゃ、なんだかんだいっても、ちゃんと食べられるってのは、それなりにハッピーエンドなんじゃないんだろうか。いつまでもそこいらをふらふら飛びまわってても茶色く腐るだけだし、ワニはバナナ食べないし・・・。などとあほなことを考えながら、私は目を閉じた。

(2000年。日進市役所:5番窓口)

 婚姻届を提出し、私は山本香月になった。第三勢力:山本香月



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