海、というわけで愛・第5回

第三勢力:阪本[初代]雅哉

 人生は短い。
 残りの期間が世の中の平均期待値の半分を過ぎたとき、今までの人生を振り返ってみると特にそう感じる。このとき残りの人生の短さを思わない幸運な人は非常に有意義な人生をおくってきたのだろう。
 短い人生の期間を生きるなら効率を最重要視しないなんてもったいない。効率を考えず無駄に時間を費やせば短い人生はさらに短くなってしまうから。
 なもんで、今回はタイトルにあわせて「人生の夢と理想」について書こうと思っていたんだが、最近「西原理恵子:できるかなリターンズ」と「鴨志田穣:アジアパー伝」を読んだせいで、夢や理想について書くのはほとぼりがさめたころに延期することにした。有意義な人生には多少無駄な時間が必須だし。

 ところで唐突だが、私の書く文章を『冷たい』と言って責める人がいる。自分では自覚していないのだが、自覚していないゆえに変えることもできない。もしこの文章を冷たいと感じ、そして冷たさを不愉快に感じるのなら各行の末尾に Hot! と付け加えて読んでもらいたい。たしかに私は他人に対して少し冷淡だし意地は悪い。他人の不幸に同情するより面白がる傾向には有る。だが決して、日常いつでも他人に冷たく当たろうとしているわけではないのだから。それが嫌なら別にそれはそれでも構いませんが。

 最初考えていた「人生の夢と理想」について書くことを延期したらなにも書くことがなくなってしまった。しかたがないから文章を書きながら考えることにした。書きながら考えているので内容も文章もまとまったものどころか論旨が途中で切れたりいきなり飛んだり、支離滅裂になるかもしれない。まぁ、これも安全と水が空気と同じくらい安い国に生まれた宿命としてあきらめてくれ。別にたいしたこと書けるわけじゃないので読まないって方法もあるけど。
 というわけでなんとなく開始。

 最近周囲に幼い子供を見ることが多くなった。もちろん以前から道を歩いたり公園や商店街を通りかかったりすれば当然子供は居るんだが、そんな見ず知らずの他人の子供は道ばたにうずくまっている犬や猫以上に無関係でどうでもいい存在にすぎないわけで、たいして珍しくもないので意識に上がることはほとんどなかったわけで。
 だけど最近の大阪例会なんかで子供の大運動会が繰り広げられているように、ここ10数年ほど前から子供の居る知り合い(甥、姪なんかも居るし)が増えると名前を知ってて個体識別ができるだけでもまったく無関係とはいえないわけで、そうなると子供の存在を意識することになってしまう。
 もしかすると知っている人もいるかもしれないが、あまり子供が好きじゃない。いや別に嫌いというわけではないし機嫌の良い子供はそれなりに可愛いとも思うけど、『言って聞かせても理解しない』とか『ウジウジした態度を取る』といった存在が嫌いなので、幼い子供に要求してもしかたがないと分かっていても好きになれないだけなんだけど。(もちろん人間以外の生物も同様にあまり好きじゃない。まして、こんな態度を取る大人は「自分とは無関係な存在」として非常に冷たい対応をすることになる)
 だから自分が飼育する責任がないなら周囲に子供が居ても居なくても構わない、構わないどころか社会を維持するためには構成する要員を再生産する必要があるのだから、安定した社会を望むなら一定の割合で子供が居る方がが健全なんだろうと思う。
 子供が居ないつまり経験がないので詳細は不明ながらも横で観察しているだけで、子供を飼育するのは非常に大変なことだということ、それをかなり長期間にわたって持続しなければならないことは容易に理解できる。だからと言って、別に社会を維持するための義務感から子供を育てているわけではなく「出きっちゃった」でも「生れるように努力した」でも、その他の場合でも喜んで、?、、楽しんで、?、、なんて言っていいのかわからないけど、幸せな感情をもって子供を育てている例が多いだろうなとも思う。でも、やっぱり大変らしく「子育てって大変ですねぇ」と言って否定されたことは滅多にない。

 ここで、いきなりだけどディベートについて、
 競技ディベートは、決められた「論題」について「肯定」と「否定」のそれぞれ立場を取り議論をして勝敗を競うスポーツのようなものだ。勝敗を競う競技だから、きちんとしたルールが有ってもちろんルールにしたがって判定を下す審判も必要、勝負に勝つためのコツとかセオリーのようなものもある。ただいろんな団体が有ってしかも統一されたルールはなく、それぞれに独自の流儀で競技しているので交流は難しいかもしれない。
 ディベートに関して、世間では、仕事に役に立つと考える人や逆にどうでも良いことについて議論のための議論をしている無意味な行為だと思う人もいるがはっきり言ってどちらも間違っている。 まず仕事の役になんか立たない。例えば、「ディベートによるXXX」とかで社員研修をする企業もあるけどこんなものに成果を期待してはいけない。つうか、ほとんどの社員研修に即効的な成果なんかないから似たようなものか。子供相手だと弊害として机上の空論だけが得意なくそ生意気なガキが出来上る可能性もあるけど、この程度は大人になればきっと直るだろう。
 はっきりしているのは、楽しいかは人それぞれだし、向き不向きもあるので万人に薦められるものではない。だから好きな人が趣味で楽しむものだ(と思う)。当然、普通の人が日常生活や仕事で役立つなんてことはあるわけないけど、好きなことは役にたとうがたたなかろうが好きでやることが趣味なんだからなんら問題はない。(一部職業の人でディベートで勝つ(勝ったと世間に思わせる)ことが自分の成績と地位や収入に関係する例が有るが、これもスポーツと一緒ですね)
 自分でも人になんの理由もなく偉そうにすることが多いよなと思うし、それ以上に根拠もなんにもなく口から出まかせで他人(人だけじゃないけど)の悪口を言うのは好きだ。それに屁理屈をこねるのも得意かもしれない。こんな性格だからディベートでもやらせたら上手じゃないかと思う人も居るかもしれない。けれど実は大きな問題があって、それは資料を集めるのが面倒だから嫌いってことで、例えば「電力が不足するから原発は廃止できない」と偉そうに言ったって「根拠は?」って聞かれたときに「そんな気がする」だったり、「どれだけ?」って言われたときに「きっと、たくさん」じゃなんの信頼性もない。
 結局はなんにしても怠け者は人に勝とうとしたって無理だってことですね。だから、ってわけでもないけど、ここ1年半ほどディベートはやってない。
 もひとつついでに、
 物を考えるときに、論理的に順序立てて考えるなんてことはできないから、あっちいったりこっちいったりして頭の中で言いあいしたりして、結局なんにもまとまらなかったなんてことが多いんですが他の人はどうなんでしょう。

 話を戻して、
 どう考えても子育てって大変ですよね。子供を育てるってのは、失敗したとしてもやり直すことのできない難しい問題なのに、実は親ってのは子供に関しても教育や躾に関しても所詮は素人。何人か育てて経験を積んだとしてもそうなった時点で次に生かす機会は滅多にない。しかもその経験も、所詮は理論的裏付けのない狭い範囲で得た応用の効かない可能性の高いものにすぎない。(ことが多い)
 しかも次世代の構成員を養成するってのは安定した社会が維持されることを望む全員が負うべき負担なのに−望まない人が多数派ならそれはそれでしかないとして−ここの構成員の負担と自覚に任せっきり。

 ちなみに、こんなもんはただの言い合いでディベートじゃありません。
 次回はほとぼりもさめているだろうから、「人生の夢と理想」について書くことにきっとなるでしょう。



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