私と虚構・第2回

第三勢力:林[艦政本部開発部長]譲治

 「私と虚構」というタイトルからも容易に想像がつくように、ブラックホールの話。ブラックホールの存在を予言したのは、電波系の人達はノストラダムスとか言うわけだが、理論的にある程度の妥当性をもってそれを為したのはラプラスである。
 ラプラスといえばラプラスの悪魔――じつは悪魔界で最強の実力者。熱力学の第二法則に逆らえる悪魔はラプラスの悪魔だけ。しかもこの悪魔は自分の手は汚さず、分子や情報を識別するだけで最後には目的を達成してしまう。本当の大物とはこういう存在をいうのだろう――を考えたことで知られている。ただしラプラス自身はラプラスの悪魔の召喚に失敗し、いまも熱力学の第二法則の呪いにより永遠の屍体となっている。
 ラプラスが考えたブラックホールとは、「極端に重力の大きな天体があれば、その天体からの脱出速度が光の速度より大きくなり、外部からは黒い天体にしか見えないのではないか」と言うものであった。
 どうもラプラスのこの予言は、理論というよりネタだったらしい。それが証拠に彼はこれ以上の考察を行った形跡は見当たらない。きっと外してしまったのだろう。確かにこのネタで盛り上がれるのは、かなり特殊な客筋と言える。まぁ、フランス人の笑いのセンスなど、所詮はそんなものです。
 今日的な意味でブラックホールの理論的基礎を築いたのは、ドイツの黒壁(Schwarshild:Schwarは黒、Shildは壁)さん。事象の地平面、いわゆるシュバルツシルト解を発見したのが黒壁さんことシュバルツシルトその人であります。自分の名前が黒壁だから事象の地平面を導いてしまうというその芸人魂には思わず襟を正したくなるのは私だけでは無いでしょう。
 ただドイツでは、これはあまりにもベタなギャグなので、物理学会で笑いを取ることはできなかったようです。意欲の空回りだけでは笑いは取れないという、芸の道の難しさを教えてくれる話ではあります。
 シュバルツシルト解は物理学会での笑いはとるに至りませんでしたが、物理学の世界にブラックホール物といわれる一連のネタを開拓するに嚆矢ではありました。そんな訳でこれ以降、多くのネタが開拓されて行く。比較的受けたものとしてはホイーラーが唱えた「ブラックホールは無毛です」というのがある。しかしながら、下ネタで笑いをとるなど芸人としては外道であって、しかもすぐに「ブラックホールには毛が三本」という新ネタが登場し、いまはこっちの方が有名である。
 さてそのブラックホールの三本の毛とは、毛利家三本の矢の教えとはまったく無関係で、質量・角運動量・電荷についてはブラックホールのことを知ることができるという意味だ。質量・角運動量・電荷とはようするに、重いか、回っているか、ビリビリするかどうかということで、この三つに関してはブラックホールのことはわかる。ただしブラックホールがみんなオバQみたいに毛が三本――日本のブラックホールの入門書でこの辺の説明をすると、約35%の率でオバQが引用される。松田卓也博士でさえ使ってる――あるわけではない。
 実をいうとホイーラーの言う「無毛」と「毛が三本」の毛の意味は違うのだが、まぁ、下ネタで笑いをとるような奴は無視して話を進める。
 ブラックホールでは三本の毛のことはわかると書いたが、これは逆に言えばそれ以外のことはわからんということだ。ブラックホールの過去は推測するよりなく、その真相は彼の胸の奥底深く事象の地平面の彼方にしまわれている。
 ただ人に個性があるようにブラックホールにも個性がある。特に毛が一本、つまり質量しか持っていない奴と毛が二本、質量を持ち回転しているブラックホールでは自ずと性格が異なっている。この違いをヤクザを例に考えよう。
 まず毛が一本のシュバルツシルトブラックホール。こいつは質量しか持っていない奴で、もう本当に過去のことがわからん。暗黒街とすれば九龍城みたいな奴。ドアをくぐって中に入ったらもういけない。まず堅気の世界に戻るのは不可能です。
 例えば誰かが九龍城に入って悪に染まったとする。外側の堅気の衆からみれば、「あぁ、あの人も悪の道に入って進歩が止まった」と見える。しかし、好きで悪に染まる奴はいない。そいつにだって苦悩がある。一歩九龍城に入った瞬間から彼は、「あぁ、俺は永遠に落ちるところまで落ちてゆくのだ」と悩み続けるわけですね。
 ことほど左様にシュバルツシルトブラックホールには人間性のカケラもない。恐るべき悪の親分なわけですな。
 ところが回転するブラックホールとなるとちょっと違う。このようなブラックホールはカーブラックホールと呼ばれている――このカー博士が名前で受けを狙ったかまでは存じません。
 カーブラックホールは、だいたい昔は堅気の恒星だったらしい。だから毎日平穏に自転なんかやっていた。それが何か訳ありでブラックホールになってしまったわけです。天体といえどもどこに災難があるかわからない。
 で、こいつはシュバルツシルトブラックホールのように質量以外の過去を捨てるほどには悪に徹しきれなかった。昔まだ自分が恒星だった頃の角運動量なんかを後生大事に抱えていたりするわけです。なんか悪に成り切れない甘さがあるんですね。
 だからカーブラックホールの親分の縄張りは、暗黒街と堅気の衆との境界がいまひとつ曖昧です。

富士山にブラックホールは有りません。 渋谷駅前にブラックホールはありません。

 シュバルツシルトブラックホールを九龍城に例えるならば、カーブラックホールは新宿筋の親分に相当します。
 でこういう縄張りには堅気の世界と暗黒街のとの間に「素人衆がこんなところに来るんじゃねぇ」と言われる不思議な空間が生まれます。これをエルゴ圏といいまして、新宿で言えば歌舞伎町がそれでしょうか。歌舞伎町には堅気の衆もいれば「団体職員」の方々もいる。だから歌舞伎町をうろついている間は堅気の衆も家に帰ることができる。完全な暗黒街である事象の地平線との間にそういう空間が存在するわけですね。
 さて、一般にヤクザから素人衆が金をまきあげることは普通は無いと考えられている。それが世間の常識です。同じようにブラックホールからエネルギーを取り出すというと、不可能と考えるのが常識。ところがすべての常識には例外があるように、じつはブラックホールからエネルギーを取り出すことが出来てしまう。
 幾つか方法はあるのだが代表的なのを歌舞伎町で説明するとこうなる。
 ここに一人のコギャルがいる。「うちの子に限って」と親は言うのだが、我家や学校ではよい子でも、一歩外に出ればどうなってるかわからないのが昨今の青少年です。親から小遣いをもらっても、娘の小遣いが増えた分、親の持ち金は減る。家庭の中の現金の総額は一定です。
 だから普通に考えると、娘が、与えた小遣い以上の現金を持っているわけはないのだが、なぜか持っている。そこに非行の芽は潜んでいる。親が知らないだけなんですね。では彼女はどうやって現金を稼いでいるか?もちろん援助交際である。
 歌舞伎町でコギャルは適当なカモを見つける。もちろん相手はヤクザである。何しろカーブラックホールの縄張りだから、手下も悪になり切れない奴が多く、若い娘だと何の警戒感も抱かないんだな。
 「あたしぃ、おこづかいが、たりないのぉ」とか何とか甘えられるともういけない。この不況で、しかも暴力団規制法なんかも施行されたので、ヤクザといえども懐の豊かなのはごくわずか。だからこういう連中が何をするかといえば借金だ。自分が借金して、それをコギャルに小遣いとして渡す。
 もちろん下心があるから借金してまで小遣いを渡すのだが、コギャルの方が一枚上手で現金を手にすると、何もさせないでさっさと歌舞伎町を後にする。あとには借金を抱えたヤクザだけが残る。
 このように回転するブラックホールの中のエルゴ圏を通過することで、入ってきた時より出た時の方がより多くのエネルギーを持つ現象をペンローズ散乱という。表面的な部分だけを見れば、ペンローズ散乱はエルゴ圏に入れた粒子にブラックホールの角運動量が渡されたという解釈もできる。
 同じようにコギャルに金を巻き上げられた親分さんは、それだけ人間不信に陥り、人間性を失ってしまうわけで、大事にしていた角運動量も減って行ってしまうんですね。で、こういう事が続くとやがて完全に角運動量を失い、最後にはシュバルツシルトブラックホールにまでなっちゃうかもしれません。そうなるといままでのように歌舞伎町を安心して歩くこともできなくなりますね。
 年ごろの娘を持つ皆様には、歌舞伎町をいつまでも安心して歩ける町にするためにも、躾には十分注意していただきたいものです。

第三勢力・林譲治



back index next