青年人外協力隊における年号の呼称に関する法律(甲州暦法)
以下略
これが通称 甲州暦法の条文である。
1979年を甲紀(甲州暦)元年とすれば当然今年(1999年)は甲紀21年となるはずである。しかし甲州画報の表紙を見れば明らかなように今年は甲紀20年となっている。先月の甲州電話で谷甲州氏が疑問に思うのも不思議ではない。ではこの1年のずれはどうして発生したのか。その理由はこの法律の第四条にある。
ここで誤解をしてはならないのはこの「うるう年」はあなたが考えているような2月29日のある年のことではないことである。うるう年というのは任意に追加された年のことなのである。うるう秒というのが、ときおり規定される余分な1秒のことであるからこの用法は正しいのである。
なぜうるう年が必要なのか、また隊長にその権限があるかは謎であるが、「工期が遅れるのはよくあること。それを修正するのは管理職の仕事である。したがって甲紀が遅れたら補正するのは隊長の仕事である。」という発言が非公式になされたという噂がある。
実際に甲紀(甲州暦)においてこのルールは1989年に適用されている。
つまり
1979年 − 甲紀(甲州暦)元年
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1988年 − 甲紀(甲州暦)10年
1989年 − 甲紀(甲州暦)うるう10年
1990年 − 甲紀(甲州暦)11年
となっているのである。
なぜ1989年がうるう年となったかは私の入隊以前の話のため不明である。
もちろん「こうしゅうえいせい」の1号が1989年に出版されていることとも関係はないはずであるし、「こうしゅうえいせいは甲紀10年中に発行するんだ」などという公約がなされたという事実もない。さらにその発行が1988年を予定されていたのがなんらかの理由により翌年に延びたのだなどという事実もない。「こうしゅうえいせい」1号は、たまたまうるう10年に発行されたのはきっと偶然の一致であろう。
「こうきが遅れるのはよくあること」という発言と「こうしゅうえいせい」とはきっと関連はないのであろう。
というわけでなぜうるう年が発生したかは永遠の謎であるが、今年が甲紀20年である理由はこのようなものだったのである。