読んだふりをするための
「日本沈没・第三部」

花原[私を「まちゅあ」と人は呼ぶ]和之

 例会の際に強い要望があったのもあって「日本沈没・第三部」の「読んだふり」をお届けする。
 社会現象ともなった「日本沈没」から33年の時を経て執筆された「第二部」における、未曾有の大混乱からの日本民族の立ち直りの描写はまだ記憶に新しいものと思う。
 これを受けて書かれる「第三部」では、こうして国土である日本列島の喪失を生き延びた人々による宇宙への挑戦を描くことになる──という展開が一部のファンの間で噂されていた。たしかに「第二部」に携わり、「航空宇宙軍史」を書き、「軌道傭兵」シリーズを書いてきた谷甲州ならではの宇宙への挑戦の描写は「第三部」としてもっとも予想された展開ではあった。
 しかし多くの読者が驚いたように──私ももちろん驚いた──実際に書かれた「第三部」は日本文化の変容を描くものとなっていた。
 読み始めて違和感を感じた方も少なくなかったに違いない。宇宙に行く話を期待して読み始めたら、いきなり「こんなのは日本酒じゃない」という展開…。中にはそのまま本を閉じてしまって、もやもやと未読のままにしている方もおられるかも知れない。
 本稿は、そういった方や、諸般の事情でまだ入手されていない方が「第三部」を読んだふりするために書かれた。この「読んだふり」を通じてそういった方々に「第三部」の魅力を少しでもお伝えできれば幸いである。

あらすじ

 どうにかこうにか日本列島沈没後の混乱を生き抜き、その後の世界に政治面・経済面である程度の影響力を残しつつ暮らしている日本民族。総体としてはかつての繁栄をある程度取り戻しつつあるように見えたが、個々の人々は日常的に様々な問題を抱えていた──。

 ボルネオ島北岸のビントゥル近郊にある比較的小さな日本人居留地。ビントゥルは小さいが、異変前にも木材や資源の取引のためにわりあい頻繁に日本の商社マンが訪れていた町である。そういうわけでこのあたりは元々ある程度日本人に対する理解もあったためか、この頃ではかなり落ち着いたたたずまいを見せていた。
 その居留地の中に、繁盛している海鮮料理屋があった。近隣の海で獲れる新鮮な海産物を扱っており、居留地内外の日本人のみならず、近隣のマレーシア人住民にも人気があった。
 「俺は日本酒を頼んだはずなんだがな」
 見慣れない日本人客が、やや大きな声でカウンター越しに店員を呼んだ。左手には徳利、右手にはぐい飲みを持っている。額に刻まれた深い皺と頬の傷が、彼が異変前の日本人で、苦難の時代を生きてきたことを示していた。
 少し間をおいて店主が出てきた。まだやや若い日本人男性だ。一見して異変の後の生まれであることがわかる。
 「どうしました? たしかに純米酒『ビン鶴』をお出ししているはずですが…」
 「じゅ…純米酒? これが?」
 「はい。このへんじゃけっこう評判のお酒で、たしかに地元の米を100パーセント使ってます」
 「地元の米…」
 「そうなんですよ。実は私の友人が作ってるんです。彼の父が日本酒が好きだったらしく、なんとかここの米で日本酒を造りたいといって頑張ってたんです。そうはいっても、彼も私も異変前の日本酒を飲んだことがなくて…。でも、なんとか最近は飲んでくれる人も増えてきたところなんです。フルーティでよいお酒だと評判です。彼の父が、このお酒が完成する前に亡くなってしまったのが残念でなりません」
 「そ…そうか…。いや、悪かった。俺も日本酒を飲んだのはずいぶんと久しぶりで、どうもよくつかめなくてな。…すまないが、ビールをもう一本もらえるかな」

 米国ミシガン州アナーバー。ここにも日本人居留地はあった。
 かつての日本列島からの距離はかなり離れているものの、日米の交流は異変前からも活発であったため、米国本土内には各地に日本人居留地があった。ただ、大規模なものはなく、他の…東南アジア地域の居留地に比べてもさらに「居候」の色合いが濃いものであり、いわゆる中華街のような感じで「かりそめではあるものの日本の国土」といった雰囲気は全くないものであった。
 その郊外にちょっとした規模の日本食レストランがあった。昨今の健康ブームのせいか、地元の──といっても、居留地在住の人々にとってもここはすでに地元ではあったのだが──人々にも人気がある店だった。
 日本人とおぼしき老人の三人連れが店に入った。異変後に幸か不幸か米国内に移住することになり、苦労してそれなりに成功したのだろう、皆それぞれによい身なりの紳士だった。
 彼らは黒人の店員にテーブルに案内された。米国内では、たとえ日本料理店であっても、そこそこの規模になると日本人だけではなくいわゆる米国人を雇用するよう圧力がかけられるため、別に珍しくもないことだった。
 しばらくメニューを眺めていた三人はそれぞれに注文を決めた。
 「んー……マグロ?のタタキ?とざるそばを頼む」
 「じゃあ、鴨なんばんかな」
 「私はうな重にするとしよう」
 店員は去っていった…。老紳士の一人がたずねる。
 「この店は…どうなのかね?」
 「とりあえず、地元での評判はいいらしい。繁盛してるよ」
 「そういう意味でなく…」
 「まあ、食べればわかるさ」
 そうこうするうちに料理が運ばれてきた。「マグロのタタキ」を頼んだ老紳士がその一片を箸で持ち上げて見ている。
 「こ…これは……。たしかに、マグロのようなものがタタキのようになっている…ように見える」
 そしてそれを口に入れて少し顔をしかめ、つぎに「ざるそば」を少しばかりつまみあげた。
 「こっちは…たしかにそばの形でそばの色だが…これは、そばじゃない…」
 すると「鴨なんばん」をすすっていた老紳士が怪訝な顔をし、何かを発見したような声を上げた。
 「この鴨なんばんは…隠し味にワインが入っているぞ!──もっとも、全然隠れてないが…」
 もう一人の…「うな重」を頼んだ紳士は二人の様子を見たのちにおもむろにお重のふたを取って小さくおお、とつぶやいた。
 「見てくれ、これを。片隅にサフランがあしらってあるぞ!」
 彼らは笑いあい…そして小さくため息をついた。

日本食を食べよう 古代エジプトの遺物にも「近頃の若い者は…」と書かれていたことからもわかるように、嗜好や価値観の世代間の違いというのは長い人類の歴史の中で常に小さなトラブルの種となってきた。
 現在の…異変後の日本民族にとって、これはかなり深刻な問題であった。なんといっても文化の土壌である国土を失ってしまったのだ。気候も風土も…文化を育み維持する自然環境が何もかも異なってしまった。しかも、全世界に拡散した人々それぞれに、異なる環境を自らのものとして受け入れる必然に直面したのだ。
 いわゆる異変世代は…経済的・政治的な側面の問題をどうにか克服したとき、日本民族としての文化が大きく変容しつつあることを悟った。しかもその流れは止めようとしても止められなかった。文化の背景となる環境が大きく異なっていたのだ。
 もっとも大きな影響を受けたのが、食事関係の文化である。特に異変直後は食糧があるだけでもよしとしなければならなかったため、文化がどうこうと言える状態ではなかった。その後も、ある料理を作りたくとも、材料がない、調味料がない、それらを味わうのに適した季節がない…といった状況で、少しずつ日本の食文化が失われていきつつあった…。

 かつて日本列島があった場所に設置されつつあるメガフロート。これはもちろん、かつて日本のあった場所に、形式はどうあれその国土を復帰させる第一歩となるものであった。したがって最初にここに移住することになったのは地質や海域を調査するための科学者、そしてメガフロートとしての国土を随時拡大してゆくための技術者たちであった。
 ただ、あまり知られていないことだが、少なくない数の料理人──もちろん、日本料理の──もその初期の移住者に含まれていた。彼らは異変世代の強い要請を受け、日本の食文化を守るべく、日本列島が存在したまさにその場所で活動を行うことを求められていたのだった。
 彼らは自らを「美食倶楽部」と名乗った。
 後に、世界各地の日本料理店に現れては「本物の○○を食べさせてやる!」と正しい日本食の普及に努め、その存在が知られるようになった、あの団体の原点である。
 やがて彼らの活動は食文化を超えて異変以前の日本文化の継続におけるさまざまな側面に影響を与えることになるのだが、それはまた別の話である──。

あとがき

さて、とにもかくにもこの「第三部」を読むためにはまず「第二部」を──できれば無印も──読むことが望ましいのだが、場合によっては「こうしゅうえいせい空海」所収の「読んだふりをするための『日本沈没』」「読んだふりをするための『日本沈没・第二部』」で代用することも可能かも知れない。
 それはともかく、この「読んだふり」の内容は私個人の経験等を加えて若干脚色してある。当然のことながらこれのみで本当に読んだふりをすることは極めてリスクが高い、ということをお忘れなく。
 本来の「日本沈没・第三部」が入手できない場合は──あちこちに刊行の要望を出せば近い(!?)将来になんとかなる…かも知れません。




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