甲州ファンの皆様、「日本沈没・第二部」はもう読まれましたでしょうか。
「こうしゅうでんわ」(あるいは他の媒体)での衝撃の事実発覚から発売の日を待ち焦がれていた方も多かったことと思います。発売日の六月十五日に定時退社して書店に急いだ方もいらっしゃったのではないでしょうか。
さて、この「読んだふり」では第一部の──というか何もつかない──ほうを取り上げてみたいと思います。この小松左京の書いた「日本沈没」は初版が一九七三年ですが、いろいろと版を変えて発売されつづけています(現在も小学館から出ています)ので、特に入手困難本というわけではありません。いわゆる「傑作」「名作」「問題作」「話題作」でもありますし(星雲賞をはじめとしていろんな賞を受賞しています。映画化も二回もされてますね)、今回の「第二部」とは関係なく、過去に読んだことのある人も少なくないでしょう。もちろん!?私も十五、六年ほど前に一度読んでいます。
──と、こんなふうに書いているとわざわざ「読んだふり」で取り上げる必要がなさそうに思えますが、「第二部」の話題が出たときに、ふと思ったのです。
「日本沈没」ってどんな話だったっけ…?
ちなみに私が記憶していたのは「日本が地殻変動で沈む」「潜水艇乗りと、田所博士という小松左京がモデルのような人物が出てくる」「科学者にとって最も大切なのは『カン』(田所博士の言葉)」「最後の場面ではその潜水艇乗りが列車で移動している」──とまあ、この程度です。
皆様はいかがでしょうか。「だいたい覚えている」という方は、まあ、この「読んだふり」を読む必要は特にありません。はりきって甲州さんの書かれた「第二部」を読みましょう──もう読み終えてらっしゃるかも知れませんが。しかし、そういう方に一つ質問があります。
日本列島が沈んでしまう、というこの未曾有の国難に立ち向かった、主人公──首相の名前は何だったでしょうか?
もちろん「小泉」とか「森」じゃありません。「田中」「福田」「佐藤」でもありません。これに答えられない場合はちゃんと読み直すか──以下の「読んだふり」を読みましょう…。
時の日本国政府の首相──緒形は、渡老人からの電話を受けて困惑していた。
「変わった学者じゃが、信頼できる。とりあえずできる範囲でかまわんから、極秘裏に人材と資金をまわしてやってくれ」ということだった。
「うーん。断れないよなあ…ご老人にはいろいろとお世話になったし…。しかしもう百歳か、あの人も。最後の頼みと思って聞いておくか」
こうしてD計画がスタートした。彼にとっては渡老人に対する義理を果たす程度の気持ちだったのだが、甘かった。後に彼は手記にこう記している。
「あれが(私にとっての)全ての始まりだった。しかしあの時はこんなことになるとは思ってもみなかった…」
「に…日本列島が沈没する!?」
最初にその話を聞いたとき、緒形にはとても信じられなかった。田所博士というこの学者、やっぱり山師だったのか──というのが第一印象だった。博士といってもうろんなのもいるからな…あれはドクターナカマツ、とかいう奴だったっけ…。が、よくわからないものの…いや、さっぱりわからないものの、いかにも秀才タイプの幸長助教授から詳しい説明を聞くと、どうやら少なくともまるっきりの嘘ではないらしいことが彼にも実感できたのだった。
しまった。なんて時に首相になってしまったんだ──彼が即座に考えたのはそんなことだった。これは困った。待てよ…それが本当だとしても自分の任期の後であればいいわけだ。できることは適当にやっていくとして…政府として真剣に手を打っていかないといけなくなるのはいつくらいからだろう。よし、とりあえず、今回の任期が終わったら首相の座はあいつに譲ってやろう。ずっとなりたそうにしていたし、俺よりもよっぽど適任だ、そうだ、そうに違いない。そう決めた。
そう考えて首相はとりあえずいったん気持ちを落ち着けた。しかし頻発しはじめた地震に不気味な兆候を感じつつ、覚悟を固めないといけないかも知れないな、と彼は思いはじめていた…。
「に…二年以内だと!?」
明らかに想定の範囲外だ、と緒形は思った。そんな近い将来だと自分の任期がまだ終わっていない──これでは自分自身でこの未曾有の国難に立ち向かわなくてはならないではないか。だいたい時間がなさすぎる!!どう頑張っても全員の救出は不可能なのは目に見えているのだが、少なくともポーズとしては全国民に公平に日本脱出の機会を与えなくてはならない。あちこちの国にも無理を承知で頼み込まなくてはならないし…。それにしても、近いのは中国・韓国・北朝鮮・ソ連か──よりによって…といっても、近いからこそああいうことがあったわけだし…。米国にもいろいろ頼まないといけないが、足元を見られそうな気がする…。
そうだ。少なくとも政界・財界のある程度には話を持っていって極秘裏に、でも積極的に行動を開始しないと。しかし連中は納得するだろうか。もういやだ。投げ出してしまいたい。でもそうするわけにもいかない。なんで首相になんかなったんだろう。なったらなったでさっさとやめておけば在任期間が短くても「元首相」という肩書きがつくし、それで十分だったのに…。いかんいかん。そんなことで悩んでいる暇なんかない。問題は最初に誰を巻き込むか、だが…。
彼の悩みは果てがなかった。
「あ…あと一年もない!? 場合によると、じ…十ヶ月…だと…」
首相はそれだけつぶやくとうつむいて絶句した。まわりの人間はそのまま倒れるんじゃないかと思ったが、首相はとつぜん天を仰いで叫んだ。「オーマイガッ!」──どうやら最近よく電話で話をしている米大統領の口癖あたりがうつったらしい。
もはや一刻の猶予もなく国民に全てを明らかにしなければならない。
暴動でも起きるだろうか。
私を恨みつつ死んでゆく奴も出てくるだろうな…。だが、少なくとも日本列島が沈むのは私のせいじゃないんだ。文句があるならマントルと地殻に言ってくれ。
生き残った奴でも「俺の土地が〜」とかいう奴だって出てくるだろうが、私だって「日本列島改造」ブームで値上がりを見越してたくさん土地を買ってたんだ。そんでもってその土地の処分もほとんどしなかったんだ──というよりも、する暇がなかったんだ。そういう奴は命があるだけでもありがたいと思ってくれ──…。
首相直々の重大発表後、日本国民の列島からの大脱出が始まった。ただでさえ超過密スケジュールでの航空機や船舶の運用だというのに、地震や火山活動が活発になり、脱出直前で被害に遭ってしまうケースが少なくなかった。やがて四国や九州が、そして本州の太平洋側が、徐々に海中に没し始めた。
世界中はこのスペクタクル──たしかに史上最大のスペクタクルだ、当事者でなければ──を固唾を呑んで見守っていた。また、地震学者や地球物理学者はある意味、狂喜していた。既存の理論ではありえない速度で地殻変動が進んでゆくのだ。データを取って、取って、取りまくるのだっ…!
「もうほとんど沈んでしまったな…」
大脱出計画の終了からしばらく後、米国内に設けられた亡命政府──本当は亡命ではないし、もっとちゃんとした名前があるのだが、多くの人はこう呼んでいた──の執務室で緒形はつぶやいた。もうすぐ首相の任期も切れるはずなのだが、選挙もしようがないし、何よりもなり手がいないのでなし崩しにそのまま首相生活を続けることになりそうだ。
いわゆる本当の亡命政府なら国土回復の望みもあるだろうが、今回の日本の場合、それはありえない。だいたい国民──いつまで「日本国民」と言えるのだろう!?──が散り散りばらばらになってしまっている。歴史的にはユダヤ人の場合があるが…イスラエルの場合は元々の土地は残っていたからなあ…。いっそのことなんとなく島の形とかが似ている気もしないでもないニュージーランドあたりを日本にしてしまうか──…。いかんいかん、非公式でも何でもこの時期にそんなことを一言でも口走ってしまったらえらいことになる。
なんにしても、今回の件で日本国民は経済的にも精神的にもかなりダメージを受けた。このダメージを克服して…何かコトを起こせるようになるまでに三十年はかかる。少なくともその時には私は完全に引退しているはずだ、渡老人じゃあるまいし。しかしきっと、その頃になれば、この「日本沈没」の次の展開があるに違いない──。
「日本沈没」は「沈むまで」の話です。このあとの展開は甲州さんの「第二部」にあるとおりなんですが、そのためには三十年という時間はやはり必要だったのではないか、という気がしています。三十年、というのは個人のタイムスケールでは長い期間ですが、国レベルではそれほどでもないでしょう。世代がちょうど入れ替わるくらいの年月、というのもあるかも知れません。
なお、今回は時間の兼ね合いもあって、この稿では首相以外の人の消息の詳細にはほとんど触れていません。やはりこの「読んだふり」を信頼しすぎるのは危険です。甲州作品ではありませんが、読み応え十分です。買わなくてもきっと近所の図書館にどれかの版があるかと思います。
ところで少し気になっていて、噂も聞いたんですが、「日本以外全部沈没」の第二部はいつ発表されるんでしょう…?