甲州年譜

文責:岩瀬[従軍魔法使い]史明
協力:牧田[略称ぽち]和彦
追補:阪本[初代]雅哉


1951年
  3月30日  兵庫県伊丹市に生まれる。
1953年
  暮れ頃  大阪市内に転居、大学卒業まで在住。
1957年
  4月  大阪市立岸の里小学校入学。
 H・G・ウェルズ、ジュール・ヴェルヌでSFに接する。
  • 最近気がついたが、小学生のころは(たぶん)講談社版のジュブナイルSFシリーズを読んでいたはず。ハインラインや海野一三などの作品もシリーズに入っていて、たしかに読んだ記憶あり。図書館にシリーズが全冊並べてあったので、みんな読んでいたと思う。資料がないので確認できないが。
1963年
  4月  大阪市立花乃井中学入学
 『ボーイズライフ』を愛読し始める。(高校の途中まで購読していたはず)
1966年
  4月  大阪府立市岡高校入学。
 入学時には吹奏楽部に入部。中学の時からやっていたのだが、高校では2か月程度でやめた。
  6月  山岳部入部。
 この頃から本格的にSFを読み出す。
1967年
  夏休前  山岳部退部。
  夏休  SFマガジンを購入し始める(98号位から)。
 早川SFシリーズを読み始める。
 ショート・ショートを書き始め、150枚程度の山岳SF冒険小説を書き『ボーイズライフ』に投稿するが、掲載されなかった。青年海外協力隊の事もこの雑誌で知る。
1968年
  夏休  文化祭でクラスが劇を上演することとなり、脚本を書く。
 題名:『西暦維新』
 内容:アーサー.C.クラークの『幼年期の終わり』のパロディ。ただし演じていた人間もみていた人間も、誰もパロディとは気づかなかった。文化祭にて上演。何も考えずに書いたらクラスの人数より登場人物の方が多くなってしまったくらい、やたらとキャラクターの多い作品となった。
1969年
  4月  大阪工業大学土木工学科入学。
 ワンダーフォーゲル部に入部。
 同期入部に『柊たんぽぽ』こと『児島信雄』氏がおられ『チャチャ・ヤング』のことを知り、投稿コーナーに投稿、何作か放送される。
1972年
 ワンダーフォーゲル部を現役引退。(卒業研究が忙しくなるための慣例)
 『銀河村の衆』(大工大SF研の前身)を始める。
 ガリ版刷りの会誌『銀河の星』に短編『朝の散歩』を発表。
1973年
  4月  大阪工業大学土木工学科卒業。
 佐伯建設入社。銚子(の田舎)で宅地造成工事の現場で働く。
 10月  『甲州 冬』を自主出版。
1976年
  2月  『甲州 春』を自主出版。
  秋  東京蒲田にあった下水工事現場に転勤になり、地元と警察から苦情をいわれまくりながら仕事をする。
1977年
  4月中旬  第一回奇想天外新人賞に応募。
 作品のタイトル『国後島』。北方領土問題の既成事実を創るために、日米ソのタイムパトロール(という名前は使わなかった)が18世紀の東部蝦夷に派遣されて、そこでアイヌによる目梨暴動の真相を知る、という話。原稿はいまだに引き出しの中。いまのところ発表する気も予定もない。
 青年海外協力隊に願書を提出。
  9月  佐伯建設を退社。
 10月  青年海外協力隊の派遣前訓練に参加(〜1978年1月末)。派遣前訓練の一巻としてネパール語等を教わる。
1978年
  正月  派遣前訓練の正月休暇を利用して御獄山に登る。この頃、正月はいつも南アルプスや八ケ岳を(たいていは単独で)縦走していた。ちなみに、青年海外協力隊の二次試験も、上高地で下山した後の夜行列車で帰京してから受験したとか。
  2月中旬  青年海外協力隊の隊員として、ネパールに赴任。
 現地到着後最初の1ケ月は、田舎の村で日本人は自分一人きりの生活をする(「現地語学訓練」と称されるもの)。
  3月  カトゥマンドゥに着任。後の甲州夫人との馴れ初めはこの時だが、実はそれ以前に東京で……(以下略)
  4月  アフガニスタンに「4月革命」、共産主義政権誕生。国内混乱は続き、ソ連の政治介入が強まる。
  7月末頃  カトゥマンドゥで『137機動旅団』を書き上げ、第二回奇想天外新人賞に送る。
  暮れ頃  日本から手紙、内容は「新人賞に佳作入選したので受賞の言葉と略歴を送れ」。
『あーとか、へーとか、うーとかいう言葉しか口から出て来ず……』
1979年
  3月  『137機動旅団』が第二回奇想天外新人賞の佳作に入選、掲載される。奇想天外1979年3月号)
 インタビューによればネパールは「残業がやりたくても出来ないので本を読むか書くしかすることがない」とのこと。
  8月  カトゥマンドゥ在住中に『ガネッシュとバイラブ』(奇想天外1979年8月号掲載)処女長編『惑星CB−8越冬隊』(初出は奇想天外1980年11月〜1981年1月号)を書く。なお、デビュー当時のペンネームは「甲州」。
 12月  アフガニスタンにソ連軍本格介入、周辺の軍事的緊張が極度に高まる。以後十年に及ぶ介入は、ソ連の衰退を早めた。
1980年
  2月  カトゥマンドゥでの任期を満了し、ネパールのど田舎に転任となる。
 『星空のフロンティア』を書き始める。
  6月頃  1ケ月ほどの休暇を利用して一時帰国。この時『惑星CB−8越冬隊』の原稿が奇想天外編集長に手渡された。
 11月  『惑星CB−8越冬隊』が奇想天外で短期集中連載。
1981年
  1月  『星空のフロンティア』を脱稿する(初出奇想天外1981年4〜6月号)。
  3月  ネパールでの任期を満了し、一旦帰国するが月末にはネパールへ折り返し、学術隊メンバーとしてカンチュンジュンガへ向かう。なお、このとき、初の単行本出版にあたり、編集長に『「甲州」だけではバランスが悪い』と言われて、ペンネームを「谷甲州」とする。
  4月20日  『惑星CB−8越冬隊』単行本出版(奇想天外社)。
  4月〜10月  カンチュンジュンガ学術遠征隊の学術班メンバーとして、同峰標高測量や周辺氷河等の測量を行なう。登攀隊の猛者と山仲間となる。
 遠征終了後、デリーで友人二人と合流し、カシミールヒマラヤのクン峰(7077メートル)を『力ずくのかなりムチャな登り方で』登頂する。全員生還。以後カラコルムあたりをうろついたりする。
 10月〜  一度デリーへ戻り、今度はパキスタン、アフガニスタン国境地域、さらにダラも行く。途中カトゥマンドゥに戻り青年海外協力隊の最終報告書を書いた後、ボンベイからタンザニアへ入り、キリマンジャロに登る。ちなみに翌年二月、タンザニアでハイジャック事件発生。さらに次の年の三月には同国でクーデター未遂。元々事の多い地域ではあるのだが。
  年末  エジプト経由で帰国。
1982年
  年頭  『エリヌス−厳戒令』執筆開始。
 『バシリスク』執筆開始(SFM1982年12月号掲載)
  4月  神奈川県横浜市在住(約1年)広尾の青年海外協力隊の事務局で国内協力員として広報誌の編集・校正などの仕事をする。
1983年
  1月31日  『惑星CB−8越冬隊』ハヤカワ文庫JAから再刊。
  4月  協力隊事務局の仕事を退職。
    30日  『エリヌス−厳戒令−』変形新書版出版(早川書房)。
  5月  結婚。
  6月  国際協力事業団派遣専門家としてフィリピン工科大学に赴任。
 外交文書による肩書きは「視聴覚教育専門家」だが、実際はプロジェクト調整員……平たくいえば雑用係の事務屋だとか。
  8月  ≪アキノ氏が暗殺されマルコス政権ぐらつきはじめる≫
 『ヴォルテ』第1話執筆開始(SFA1983年8月号掲載)
 フィリピン時代に書かれた作品は、ヴォルテ連作の大部分、ヴァルキリーの登場する短編がふたつ等。
1984年
  夏  『遥かなり神々の座』脱稿。ただし、実際に出版されるのは1990年になる。
1985年
  4月 5日  『銀河は滅びず』変形新書版にて刊行(新時代社)
     30日  『仮想巡洋艦バシリスク』刊行(ハヤカワ文庫)
1986年
  1月  ≪ボイジャーU天王星最接近≫
 『エリヌス』の実在は……以下省略。
  2月  ≪フィリピンに「アキノ革命」。マルコス体制崩壊。≫
  6月  フィリピンより帰国。
 フルタイム・ライターとなる。
  7月  《バハイブルバ》設立。
 11月  『火星鉄道一九』発表(SFM1986年12月号掲載)
1987年
  7月15日  『星の墓標』刊行(ハヤカワ文庫)
  8月25日  『ヴァレリア・ファイル 2122年』(角川文庫書下ろし)
1988年
  1月15日  『36000キロの墜死』刊行(書き下ろし単行本.講談社)
 ≪この頃から青年人外協力隊、設立準備に入る≫
  3月15日  『カリスト−開戦前夜−』刊行(ハヤカワ文庫書き下ろし)
  4月  ≪青年人外協力隊結成≫
  5月15日  『血!』刊行(徳間文庫、冒険小説アンソロジー)。
 冒頭に「マクダレーナ」収録。
  5月  ≪甲州画報創刊≫
  7月  バハイブルバ解散。個人事務所を綾瀬におく。
    15日  『火星鉄道一九』刊行(ハヤカワ文庫)
  8月  『火星鉄道一九』が、星雲賞『日本短編部門』受賞。
  9月30日  『戦闘員ヴォルテ』刊行(新書版、徳間書店)
 12月15日  『エリヌス−戒厳令−』ハヤカワ文庫に入る。 
1989年
  1月  昭和が終わる。
  2月  春季甲州祭が、奈良県生駒市の国民宿舎でおこなわれる。(平成最初のSFイベントであった(^^))
  6月  『谷甲州・野阿梓・神林長平作家生活十周年記念パーティー』が東京にて開催。
  8月  夏期甲州が、第二八回日本SF大会(ダイナ☆コンEX)の自主企画としてとりおこなわれる。
1990年
  6月25日  『軌道傭兵1−衛星基地爆破−』刊行。(中央公論社 Cノヴェルズ)
  8月31日  『遥かなり神々の座』単行本、早川書房
 12月初め  小松に事務所を移す。
1991年
  2月  家族引っ越し。
  5月  新居に引っ越し。
    25日  『覇者の戦塵1−北満州油田占領−』刊行。(角川ノヴェルズ)
1992年
  5月  SFMに『終わりなき索敵』連載開始。
1993年
  8月31日  『終わりなき索敵』単行本、早川書房
  9月  《人外協の有志が、『火星鉄道一九』を英訳》 《CONFRAN で配布》
1994年
  1月30日  『サージャント・グルカ』単行本、角川書店
  7月11日  『天を越える旅人』単行本、東京新聞出版局
  8月  『終わりなき索敵』が、星雲賞『日本長編部門』受賞。
 10月  『凍樹の森』単行本、徳間書店。
1995年
  4月30日  『白き嶺の男』単行本、集英社
1996年
  5月  『白き嶺の男』(より、「白き嶺の男」、「沢の音」、「頂稜」)が第15回新田次郎文学賞を受賞。
  9月  《人外協の有志が、『砲戦距離12000』を英訳》 《LA CON III で、発表を行う》
1997年
  2月  SFMに『エリコ』連載開始。
  4月  ヤマケイJOYに『地図の彼方へ』連載開始。
 デビュー前の登山、海外生活の秘密が明かされる連載。今では信じられない、痩身の写真が掲載されている。
1998年
 10月17日  「作家を囲む会」、寺井町立図書館で講演。
1999年
  1月  SFMに『果てなき蒼氓』を水樹和桂子との合作で連載開始。
  4月    『エリコ』単行本、早川書房。
  8月14日  「青年人外協力隊」主催による『谷甲州二十周年記念パーティー』を開催。
2000年
  6月  韓国で『エリコ』が出版される。
  6月25日  初のエッセイ集『彼方の山へ』、中央公論新社。
  9月  『軌道傭兵シリーズ』が中公eブックから電子書籍で出版開始される。
 10月  幻冬舎の広報誌(pontoon)に『紫苑の絆』連載開始。
2001年
  1月  SFMに『パンドラ』を連載開始。
  3月  『果てなき蒼氓』単行本、早川書房。
2002年
  5月  『覇者の戦塵』が中公eブックから電子書籍で出版開始される。
 10月  『遠き雪嶺』単行本、角川書店。
2003年
  9月  『紫苑の絆』単行本、幻冬社。
 11月 9日  NHK『週刊ブックレビュー』出演。
 「谷甲州 冒険小説の大作『紫苑の絆』について語る」。
 いつ頃か?  秘密プロジェクト(「日本沈没・第二部」)が開始されたらしい。
2004年
  3月14日  「作家・谷甲州と語る読書会」、小松市立図書館で講演。
 12月  『パンドラ』単行本、早川書房。
2005年
  1月  SFMに『霊峰の門』を連載開始。
  5月  『星空の二人』文庫、早川書房。
  9月  『航空宇宙軍史シリーズ』が中公eブックから電子書籍で出版開始される。
   日本SF作家クラブの会長就任。
 10月  小松左京が小松左京マガジンで、「日本沈没・第二部」を谷甲州が執筆中であることを暴露。
 11月22日  「わが青春の山と文学と」、大阪工業大学(中央図書館 開館25周年記念)で講演。
2006年
  5月  本の時間に『法皇の親衛隊』を連載開始。
  7月  『日本沈没・第二部』を小松左京と共著で、集英社。
2007年
  9月  『日本沈没・第二部』が、星雲賞『日本長篇部門』受賞。
 10月  日本SF作家クラブの会長退任。
2008年
  3月  山と渓谷に『単独行者・加藤文太郎伝』を連載開始。
   ケネディ宇宙センターでスペースシャトルの打ち上げ取材、というか招待されて家族旅行か?
 10月  ネパールで家族でトレッキング(トレッキングの話は山と渓谷に掲載)。
2009年
  6月27日  「青年人外協力隊」主催による『谷甲州三十周年記念パーティー』を開催。
2010年
  1月  SFMに久々の航空宇宙軍史『ザナドゥ高地』を掲載。
2014年
  8月  『星を創る者たち』が、星雲賞『日本短編部門』受賞。
 11月  『加賀開港始末』が第8回舟橋聖一文学賞を受賞。
2015年
  7月25日  22年ぶりの航空宇宙軍史の新刊『コロンビア・ゼロ』単行本、早川書房。
2016年
  2月27日  『コロンビア・ゼロ』が第36回日本SF大賞を受賞(森岡浩之の『突変』と同時受賞)。
  8月 5日   航空宇宙軍史完全版の1として「カリスト−開戦前夜−/タナトス戦闘団」が刊行される(以下続刊)。

★最後に…… 

 この年譜は、牧田[ぽち]隊員の体当り(?)インタビューと、問い合わせに対する甲州先生の懇切なお答えをもとに作成したものです。事実と反することはまったく載っていない……はずですが、真実のオモシロい側面 を特に拡大しようといういびつな意図が若干反映されていないとはいえません。

 「こうしゅうえいせい正」に掲載された『甲州年譜』を元に追加と訂正を行っています。


[インデックス]

 通称、銀背。早川ミステリーシリーズと同じ装丁で、国内外のSF作品を出版していた。

 大阪の毎日放送で放送されていた深夜番組(25:30〜28:00)
 木曜日(金曜早朝ともいう)のディスクジョッキーがSF作家眉村卓で、番組中に『ショート・ショート』のコーナーがあり、リスナーからの投稿を審査し、優秀作は朗読された。若き日の谷甲州も何作か優秀作に入選され読まれた事があるが、残念ながら番組の収録されたテープ等は現存しない(ようである)。
 投稿作品をまとめた『チャチャ・ヤング・ショートショート集1』、『チャチャ・ヤング・ショートショート集2』が出版(講談社・現在絶版)されているが、谷本秀喜(谷甲州の本名)の作品は収録されていない。

 工大SF研の前身にあたる同人サークル。
 創始者は『甲州(当時のペンネーム)』、『柊たんぽぽ』他1名の3人。
 『銀河の星』というファンジンが2冊(3冊?)出ている。

 甲州個人誌。自主出版のため、ガリ版刷りのものである。

 甲州個人誌。自主出版のため、ガリ版刷りのものである。
 『烏(からす)』は『甲州 春』の別タイトル。というより、表紙代わりに使った合成写真と本の裏表紙に『烏』の文字があったので、タイトルと混同された。

 国際協力事業団は日本政府の発展途上国への技術協力・無償資金協力等の実施等を担当する団体(略称ジャイカ:JICA)で、青年海外協力隊はその活動の一端を担う。「奉仕的精神をもった我が国青年有志を派遣することによる技術協力をおこなう」のだそうである。
 青年海外協力隊の任期は原則として2年。任期終了後は再就職等の斡旋があるが、谷甲州や川崎[漁師]博之隊員のように、派遣専門家として登録され、再度海外赴任する場合もある。(専門家派遣は国際協力事業団の活動の一つ)また、シニア試験を受けて合格すれば、シニア隊員として再び海外赴任することもある。

 決して口外しないこと、真実は墓場まで持っていくことを条件に、牧田[ぽち]隊員のみ教えてもらった (^^) ので、永久に秘密のままになる予定。

 コピー武器製造で有名な町。都市というよりも村に近いらしい。

 永瀬唯、松本富雄とともに設立した事務所。
 1986年7月東京・神保町に設立され、88年7月に解散している。
 中井紀夫が足しげく遊びに来ていた。




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