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といった内容の記事が、96年4月18日付けの新聞各紙に掲載されました。
人外協の御本尊であらせられまする谷甲州氏が、第15回新田次郎文学賞を受賞されました。
我々人外協の隊員としても、大変嬉しいことです。
文学賞の設立を強く願っていた故新田次郎氏の遺志により設立され、氏の遺産の一部を基金として、つぎの規定によって選定され、年に一度受賞されます。
1981年に財団法人新田次郎記念会が創設され、翌82年に第1回の「新田次郎文学賞」の受賞が行われた。
山をやっている人間にとって、新田次郎氏の名前は特別な響きを持っている。もちろん山岳小説の書き手としてであり、その作品は山好きだった私の愛読書だった。その先輩作家の名を冠した賞を、こともあろうに受賞してしまった。名誉なことだが、同時に賞の重みを痛感することになった。いままでは冒険小説やSFを主にかいてきたが、これからは本腰をいれて山岳小説をかくべきではないか。そう早とちりにも考えてしまったのだ。 もっともその考えは、すぐに捨てた。新田次郎氏は山岳小説ばかりではなく、歴史小説の分野でもすぐれた作品を残している。しかも山岳小説でありながら歴史小説でもある『八甲田山死の彷徨』という名作もある。ならば私も、純粋な山岳小説にこだわることはない。たとえば山を舞台にした山岳冒険小説や、山岳幻想小説をかいてもいいはずだ。そう結論を出したが、よく考えたらそれはいままで私がやってきたことだった。ということで、これからも頑張らせていただきます。
(小説新潮6月号より、転載)
五月三一日、東京丸の内の東京会館において、第一五回新田次郎文学賞授賞式及び祝賀パーティが催されました。
人外協公式レポーターということで、わたしも何年かぶりでネクタイを締めて出席しました。人外協からの出席者はわたしのほかに、阪本夫妻、大迫夫妻、沖田夫妻、当麻隊長といったところ。
まず選考委員を代表して伊藤桂一氏による選評がありました。
ご存じのとおり、今回の賞は連作短編集『白き嶺の男』より、「白き嶺の男」、「沢の音」、「頂稜」に与えられたものですが、まず「白き嶺の男」に触れられました。
はじめにストーリーの概略が述べられましたが、ここではくりかえすまでもないでしょう(……ないですよね?)。
微妙な人間関係がある事件をきっかけに逆転するところが、リアリティーあふれる筆致で描かれ、山男らしいいい友情が描出されている点を評価なさっていました。
「沢の音」に関しては、災害の起こる場面における緊迫感、その災害によって虚偽のはいる余地のないぎりぎりの状況下での人間の行動のありかた、というようなものが評価されたようです。
伊藤氏は山岳小説が少ない、ということを嘆いておられました。山岳小説についてはあまり知りませんが、『白き嶺の男』は数少ない本格山岳小説のようです。
(どこでも事情は同じなのだよな。ただ、SFの場合は書きたい人はたくさんいるのだけれど、出版社がなかなか出してしてくれない。山岳小説のほうはそもそも書き手が少ない、という気がする……)
選評が終わると、いよいよ授賞式。新田次郎文学賞を主催する財団法人・新田次郎記念会の理事長、尾崎秀樹氏より正賞のバロメーターが谷甲州先生に授与されました。
このとき、尾崎氏は誤ってバロメーターを逆さまにしたまま渡してしまう、というハプニングがありましたが、わたしも含めてほとんどの人が気づかなかったようです。つい流れのままに、甲州先生もバロメーターを逆さまに掲げ、写真を撮られていらっしゃいました。
そしていよいよ、受賞のことば。
「ありがとうございます」を三回くりかえしたあと、小説や山との関わりを語られはじめました。
小説を書きはじめたころにはショートショートを書かれていたそうですが、はじめて書いた長い小説(二〇〇枚ほどのものだったそうです)は山岳小説でもあり、SFでもあり、冒険小説でもあったとのこと。甲州先生の原点がすでにあったようです。
意外にも、登山を本格的に始めたのは社会に出てからで、学生時代は里歩きやヒッチハイクをしていたそうです。登山を始める前に旅行を趣味としていた加藤文次郎と重なるようなことをおっしゃっていました。
青年海外協力隊に入ったときには、登山はやめるおつもりだったそうですが、なんの因果か配属されたのはネパール。かえって深みにはまってしまったそうです。
また、山岳小説を書く意味については、SFとからめて言及されました。
先生にとっては、山岳小説もSFも「見たことのない風景」を読者に提供するという点では同じものなのだそうです。
宇宙に出たことのない人に宇宙を体感させることも、山を登らない人にヒマラヤの風景を見せるのも、同じことだということでしょう。
というわけで、この受賞をきっかけにSFから離れてしまうのではないか、というSFファンの心配は無用のようですね。
挨拶が終わったあとはパーティ。個人的にはいろいろありましたが、本文の趣旨と関係ないので省略。
最後に、「新田次郎文学賞受賞」の帯が着いた『白き峰の男』をもらって帰ったのでした。
先月号の甲州画報号外にあったように、甲州先生が新田次郎記念文学賞を受賞なさいました。とてもめでたいことですので、全員、小松市の方をむいておめでとうと言うようにしましょう。