谷甲州は無謬である
第一帖<宇宙戦争論・その1>

岩瀬[従軍魔法使い]史明

 で、甲州原論、なのだが。
 そろそろ谷甲州だけを論じるだけでは谷甲州を語れなくなってしまったのだった。
 というのも、どうもわたしの小説観、SF観、歴史観というのは、少しは変ってるらしいのだ。別に自分では変なつもりはまったくないのはたいていの人外協の隊員と同様である。もちろん変なのは世間の方なのだが、しかしわたしはとても謙虚な人間なので、世間サマと違ってるかもしれないところについては懇切丁寧論理的演譯的帰納的に説明した方が良いと認識している。
 ということは、谷甲州について論じるためにはその辺のところから解説しなくてはいけないのだが、わたしはあまりに科学的論理的合理的真実一路人生はワンツーぱんち的な人間であるため、必ずしもそうでないたいていの読者はついていけなくなってしまうらしい。
 ところで、語りえないものを語る幻想文学の基本的なテクニックは、「語りえない」当の事柄の周辺を緻密に描写することによって、白紙に白竜の輪郭をなぞることによって、読者の想像力に最後の仕事を任せることにある。
 甲州原論の完成形を目指す叩き台として、しばらくその方法でもって、谷甲州の魅力の周辺を語ってみたい。

 で、「戦争」なのだが。
 SFが描いてきた宇宙戦争というのはけっこう少ない。
 いや、SFの定義を広めにとって、ライトノヴェルやSF風アニメを含めればこれはもう物凄く膨らんでしまうのだが、そういったSF周辺作品の描く「宇宙戦争」となると、これはもう、軽い軽い。宇宙だから重量がほとんどゼロになるのは当然だが、作品の質量までカルい。(もちろんそれは必ずしも作品の価値が低いといっているわけでない。わたしはGガンダムもガンダムWも銀英伝も東方不敗大先生も好きだ:-))
 この一見相反する現象は、考えてみると、その根幹は同じなのだった。
 つまり、星間戦争というのはけっこう成り立ちにくいものなのだ。少なくとも、アクション・エンターテインメントにふさわしい<戦争>は。
 甲州画報の読者にとっては蛇足であろうことを敢えて確認させてもらうと、戦争とは外交の一手段である。そして外交とは、国益(その定義は政府当局によるものだから、本当に国民全体の利益になっているとは限らない)の維持ないし拡大を国家主権の及ばない勢力に対して図ることである。
 当たり前のことなのにしばしば忘れられることは、戦争の目的は「敵」を「破壊する」ことではない、ということだ。戦争の目的は、軍事力を行使して、「国益」を得ることなのである。
 古代においては、戦争は時には民族や国家の存亡がかかっていた。ローマは第三次ポエニ戦争において国家としてのカルタゴを抹殺してしまったし、モンゴルは以後の征服をやりやすくするための見せしめに、しばしば抵抗したオアシス都市の住民を大量殺戮し、城郭を破壊することによって都市国家自体を消滅させることがあった。
 しかし、近代以降の戦争は、「敵国」の抹殺という命題はもはや非現実的なものだ。長期的な外交関係を鑑みれば、敵対国の抹殺は明らかに国益を損う。そもそも「非人道的」と非難される戦闘行動からして大きな外交的ダメージを伴うことも留意されなくてはならない。(あくまでパワーゲームの観点から留意されるので、「バレなければノープレブレム」「隠しきれるなら隠す」ということになるのも普通だけど)
 だとすると、戦後処理という命題はしばしば敗戦国の「経営」という困難な課題をもたらす。おそらく現代は、有史以来住民の支持を得ない政権の維持がもっとも困難な時代ではないだろうか。情報や武器の流通がこれほど活発だった時代はかつてなかった。その結果、ゲリラ的抵抗の持続もまた、有史以来もっとも容易な時代だともいえるかもしれない。湾岸戦争において多国籍軍がサダム・フセイン政権の排除にまで踏込まなかったことの理由の一つは、その困難を避けるためだっただろう。
 星間戦争が現在の延長として考察されるのなら、その状況が根本的に変るとは思えない。
 そして、よほどの超科学的未来社会を想定しない限り、地球外空間の生活基盤は地球上のそれよりもはるかに脆弱なものだ。居住施設を直接攻撃されればその被害は時にはその居住空間、都市国家そのものの滅亡につながる。そもそも地球上においてすら、近代戦争においてごく普通に見られる後方破壊をも含む「全面戦争」は、人類の破壊能力の巨大化に伴い現代に於いては避けられるようになっていったのだ。それが逆転する未来は、まぁないとはいえないでしょ。だけど大抵は御都合主義の産物だよな。
 しかし。星間戦争そのものがありそうにもない、とまではいえない。
 エイリアンとの戦争というハナシは今回はさておくとしても。現代の人類社会をみるかぎり、国家間・地域間・民族など大規模人間集団間の深刻な対立がそう簡単になくなるとは思えないし、人類の居住圏が地球外に拡大すればその対立もまた地球外に拡大するだろう。戦争は全面的相互破壊にまで至らなくても、発生しまた収束しえることを人類は地球においてすでに経験してしまっているのだ。
 未来の星間戦争のありえるモデルを、航空宇宙軍史の第一次外惑星動乱から抽出・考察してみよう。
 外惑星連合の戦略目標は、緒戦においては軍事施設の攻撃によって航空宇宙軍の戦闘能力を著しく低下させ、それによって独自武装の公認や、外惑星開発計画の作成・実施における大幅な発言権の増大などを目指している。緒戦の奇襲に失敗してからは、重水素無人コンテナの破壊という形での事実上の通商破壊を行なうことによって、航空宇宙軍の継戦能力を奪おうとしている。
 つまり、外惑星連合は、航空宇宙軍という、後背国家から独立性の高い軍事組織のみを敵と宣言し一貫して攻撃することによって、国家(ここでは権力機構ではなく住民及び可居住空間)の安全保障を行なっているのだ。それに対して航空宇宙軍も、トロヤ群経由で土星を制圧して大勢を決せしめた後は、戦後の外惑星経営を睨みながら以後の戦略を進めていく。
 となると、第一次外惑星動乱が事実上の星間戦争としてリアリティをもつ背景には、一貫してリアルな可能性の範囲で描かれる技術と規模のみならず、<航空宇宙軍>という設定が不可欠だということになる。
 そうでないモデルはいかにありえるのか……云々については、次回とさせて貰おう。宇宙戦争論、あと2,3回くらい続ける予定です。



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