航空宇宙軍史では木星大気は未開発
近頃個人的にこだわっているのは、「木星の内側(カリストやガニメデにくらべて)衛星、或いは木星表層大気を生活圏にするとしたらどないなるねんやろ?」ということであります。
どーしてかというと、よーするに甲州先生がまだあんまり書いてないからなんですよね。自分である程度オリジナリティのある近未来を構築したければ、とりあえず手近な<山>である甲州先生が手をあまりつけておられないところを目指すのが常道といふものでありませう:-)。
ところで、この辺の考証を進めてみますと、甲州先生がこのあたりの開拓を航空宇宙軍史で後回しになさったのはぢつにもう適切な判断であったなあ、としみぢみしてしまいます。
何度かしばしば指摘されているにもかかわらずしばしば勘違いされていることですが、航空宇宙軍史においては、少なくとも第一次外惑星動乱時においては、木星大気の資源開発は進んでいないようです。木星大気を資源開発するには当然拠点となってしかるべき、ガリレオ衛星最内軌道のイオは人口も国力も乏しいようですし、「究極兵器ネメシス」にもイオの鉱物資源開発の話はあっても木星大気開発の話はまったく出てきませんし、なによりも「どん亀部隊」(短編集「火星鉄道一九」P59〜61)に、太陽系の大規模重水素供給源は3つしかない旨がはっきりかかれています。ちなみにその3つというのは、ガニメデ(地球軌道行き)、土星系レア(火星及び小惑星帯行き)、それに飛抜けて供給量の多いカリスト(水星軌道付近からリアルタイムの需要に応じて配分する)で、いずれも地表氷を溶かし、電気分解して得た水素から重水素を分離して得ています。
なぜすぐ近くに水素のカタマリ(木星)があるのに、わざわざそんなことをするのか。
しかも、氷をわざわざ溶かし電気分解するエネルギーと設備まで必要なのに、おかしいではないか。
その疑問への解答の一つは、位置エネルギーの問題です。
木星の強大な重力に抵抗して木星大気を汲み上げるのには大変なエネルギーが必要です。それに対して初めから木星本星よりかなり離れており、また衛星の公転速度を最大限に利用できる位置が1衛星公転周期に一度巡ってくるガニメデやカリストはその点大変有利だと言えるでしょう。
もう一つは、木星表層の凄じい電磁現象です。
木星は、地球よりもはるかに強大な磁場をもち、しかもその巨体に似合わない(というのは天体現象に対するシロウトの感想なのでしょうが)短い自転周期(約9時間50分)をもっています。
その結果、イオでは、約0.02ガウスの磁場が、イオに対する相対速度にして秒速約56qで通過する結果、1メートルあたり約0.1ボルトの起電力が生じています。ということはイオ近辺に金属を持ち込むとことごとく帯電しますし、磁力線を遮蔽しなければ人間も生きていけないでしょう。これはうまく利用すればエネルギー資源ともなりますが、支障無く建設・生産活動を行なうためのノウハウの蓄積には相当な時間と労力がかかるのではないでしょうか。
そして、自転と同期して動く木星磁力線は、木星表層から大気資源を汲みだすのには、イオ周辺で活動するよりもさらに深刻な工学的課題を提供するでしょう。木星表層の磁場は約4.2ガウス、イオの二百倍以上です。そして大気採取のために近地点で木星大気をかすめる軌道をとる採取船を考えると、単純化のために木星地表すれすれを通る円軌道速度で計算し……木星赤道部での自転速度を差引く(つまり自転方向と周回方向を一致させたとして)と、およそ秒速30q。1メートルあたりの起電力は12ボルトにも達することになります。
ここに高性能の超伝導物質で表層を覆ったものを投入すればどうなるか?内部にはマイスナー効果で磁力線の侵入を食止められるし、磁力線から受ける力をうまく利用すれば一種の磁力帆となって面白い航宙方法が可能なのではないか??などと大変興味深い方向に空想が広がるのですが……
これについての論考は次回に回しましょう。面白すぎてまだ論考がおっつかないもンですから。
木星表層の資源開拓にたちふさがる現象はもう一つあります。それは木星の風と雷です。有名な木星の縞模様は、明るい帯が下降気流を伴う高気圧帯、暗い縞が上昇気流を伴う低気圧帯と考えられています。帯と縞の間には気圧傾度力……水平方向の風を生みだす力が働き、それが自転に伴うコリオリの力によって赤道に水平方向の風を生みだしますが、その風速は帯の極側の偏西風で毎秒百m、帯の赤道側の偏東風で毎秒五十mにのぼることがボイジャー1、2の観測から判っています。木星における大気運動のメカニズムは、その熱源からしていまだに良く判っていないらしいのですが、観測データによれば、定常風といえども必ずしも安定したものではなく(特に偏東風が不安定だとか)、また拡大画像データを見ると大小無数の渦巻き=渦流大気が生成消滅を繰返しているのが見られます。そしてそこに蓄えられる電位は地球上と二ケタは軽く規模の違う雷を日常茶飯にもたらすわけです。
木星では、圏界面でもおよそ0.1気圧の大気が存在しますから、大気資源を採取するとしても対流圏にまでは下降しないのが無難というものでしょう。しかしそこに至るまでにも広大かつアブナい(粒子フラックスビームびしばし、プラズマレーザどばばば!の世界なんだそうで……)電離層をくぐりぬけていかなければいけないのですから、ううむ。空想する立場としてはワクワクしますが、費用と効率を考えなければならない現実のスポンサーとしては、必要な設備投資の規模や実用段階に至るまでのノウハウの蓄積に要する費用と時間、リスクマネジメント、メンテナンスコスト、いずれも大変過ぎて二の足を踏むであろうことが予想されます。
とすれば。脳天気に超科学が使える世界ならともかく、リスクマネジメントやコスト計算まで含むハードな構築によって支えられた航空宇宙軍史において、遥かに安定した環境である外側の衛星の開発を優先しているのは当然だといえましょう。
それでは近未来における木星本星周辺の開拓はハードな考証からするとナンセンスかというと決してそうではない、とわたしは思っているのですが、それもまた、次回以降のテーマです。今回はもっと簡単に結論の出せるテーマに絞りましょう。
ヘリウム3はどこから?
ずいぶん前に、木星大気の資源開発は、ヘリウム3(以下He3)の調達という側面から必要では?……という話を林[艦政本部開発部長]氏としたことがあります。
林氏の考証に見られますように、コストよりも推力や加速度を追及すべき航宙における燃料としては、He3は不可欠で、またその反応における問題点も、今号の林氏の論考にみられるように、クリアできるようです。
ところがHe3は、衛星の地表氷から直接調達することはできません。カリストエクスプレスにもガニメデのそれにも、He3は積載されていないと考えられます。
だとするとHe3は一体どこから調達されているのか?
結論から云えば、He3は木星大気に依存しなくても得られると考えられます。そしてその主力は重水素から二次的に得られたものであると思われます。
順を追って論述してみましょう。
まず、現状におかるHe3の調達手段について。He3自体の地球上での商業的採取は、現在行なわれていないようです。普通のHe自体ごく高価で希少なものですが、その中のHe3の比率と云うのがまたあまりにも低いからです。
ところで、He3は普通のHeと組合せたクライオポンプをつくると、絶対0度に限りなく近い極低温を生みだすことができ、極低温研究には欠かせない物質なのです。ではどうやって得ているのかというと、リチウムに中性子を照射してトリチウム(三重水素)にし、その自然放射線崩壊によってなのだそうです。カナダあたりの原子力発電公社がトン当り数百万ドルくらいで供給しているとか。
で、現在注目されているのが、月の表土(レゴリス)からの採取です。
月の表土の微粒子は太陽風中のHe3をキャッチするのにちょうどよいサイズだとかで、質量にしてその十%(ホンマかいな)がHe3なのだとか。月の表土の固体成分はそのまま溶融して建築材料にしたり酸素や金属を取りだしたり、それ自体もまた資源ですので、生産コストはかなり下げることができる可能性があります。初期の月開発の(地球への)輸出品として、けっこう有望視されているようです。この関連記事を最初読んだ時は、21世紀初頭じゃあHe3反応はまだ実用化できそうにないはずなのにおかしいなぁと思っていたのですが、どうやら極低温冷媒としての需要をとりあえずはあてこんでのコスト試算だったようでした。
ところで航空宇宙軍史では、月表土からのHe3採取についてはまったく触れられていません。また、月からの採取が供給の主力であれば、少なくともHe3については禁輸に悩むことはなかったはずです。
だとすると、航空宇宙軍史では別の供給源が主力であったと考えた方がより辻妻があいます。(コストからして月表土からの採取もあったと考えるのが自然ですが)
他の調達手段とは何か。それは、D−D反応……重水素同士の核融合反応です。
重水素同士を核融合させると、2種の反応がほぼ五十%ずつの確率で起こります。
D+D→He3+N
D+D→T+H
そして生じたTは、D−Dよりも反応条件の低いDーT反応をも同時に起こすと思われます。
D+T→He4+中性子
このように、He3はD−D反応のいわば燃えかすから回収できます。また、反応制御によってはTをもできるだけ取りだすようにもできるでしょう。Tはそれ自体、核融合燃料ですが、放置すれば半減期12年でHe3になります。
また、地球上では比較的安価なリチウムに中性子をあてても、Tが生じます。
Li+N→T+He4
重水素が比較的安価に入手できるのなら、これらの反応によるものこそもっとも合理的といえるのではないでしょうか。He3は熱核反応の<燃えかす>として生じるわけですから、プラントの動力はそれでことごとくまかなってお釣りがくるでしょう。また、通常のD−D反応炉でも、コストが見合うならば、He3の回収は副次的に行なわれるかもしれません。行なわれるかどうかはあくまでコストの問題ということになるでしょう。
航空宇宙軍史ではこのような反応によって、重水素を主要原料に、それ以外の核融合物質も生産されているらしいことが、前記「どん亀部隊」に記されています。『……ヘリウム3も三重水素も、回収された重水素から、操車場内のプラントで、需要に従って生産される。
(「操車場」は水星軌道付近にある航空宇宙軍の重水素加工コンビナートのこと)
とはいえ、航空宇宙軍史で、<水星操車場>以外でHe3の調達が行なわれていないとまではかかれていません(少なくとも外惑星連合は自前で変換プラントを持っていたはずです)。また、ひとたび航空宇宙軍史を離れて考証するならば、He3の調達は、いままでに記述したあらゆる調達手段に木星や土星大気からの直接採取をも加えたメニューから、その時代その世界の技術とコストに応じて選択されることになるでしょう。
He3は、近未来太陽系社会をハードに構築するに際し、興味深い鍵となる物質と考えられるのではないでしょうか。