荒島岳

中野[日本以外全部沈没]浩三

今年の夏も散々だった。友人五名で恵那山の登山口まで行ったが、土砂降りの為に中止。利尻は六週間後のチケットすら取れなかった。最悪だったのは盆休みに計画していた東北地方の名峰、鳥海山と月山さえも行けなかったことだ。当日、大阪駅に行くと、夜行寝台特急「日本海」が全面運休していた。駅員に訳を尋ねると、
 「山形県で集中豪雨の為に、羽越線が寸断されています」
 「列車あらへんのか?」
 「いえ、列車はあります。ただ・・・線路がないだけで・・・」
 駅員相手に掛合い漫才をやっている場合ではない。チケットを払い戻し、登れる山を早急に検討する必要がある。今からでは、お盆の帰省ラッシュで北海道は言うに及ばず、東北、九州は無理。関東は訳の分からん宗教団体が暗躍、跳梁し物騒だ。登山道に頂上まで続く行列ができる北アルプスなんて行きたくもないし、南アルプスはアプローチが悪く今からでは時間がなさすぎる。近場しかない。
 俄にクローズアップされたのが、日本百名山八十八番峰の荒島岳である。荒島岳は、福井県大野市にある一五二三メートルの低山だ。深田久弥の日本百名山にカウントされているというだけの理由で取り上げた。福井だからこのコラムに入れてよいのかどうか微妙なところだが、加賀の白山以西ということで許して頂きたい。

 福井で「サンダーバード」1号(JRも凄いネーミングをするものだ)を降り、越美北線に乗り換え勝原(かどはら)で下車。やたらと蒸し暑い。登山口のある銀嶺荘までは、炎天下のアスファルト道の二、三十分程のアプローチだった。
 銀嶺荘のオバちゃんに道を確認すると、
 「これから登るの?」と驚いた表情。
 「何か問題でも?」と聞くと、何でもないと言って裏に回って道を教えてくれた。二基のスキーリフトがある。勝原スキー場の標高差三〇〇メートル以上のガレ場の登り。夏のスキー場ほど無残で見苦しいものはない。
 覚悟を決めて出発した。風はソヨリとも吹かず、照りつける太陽に照り返すガレ場。湿度が高く、汗が蒸発しない。急激な体温の上昇と体力の消耗を食止ることができない。二〇〇メートル程登とバテてしまった。眼下の九頭竜川を見て高度を稼いだことを実感するが、ロケーションを楽しんでいる余裕はない。水を飲んで休息。ザックのチャックに取り付けた温度計を見ると・・・ゲッ、振り切れやがった。
 結局このガレ場を突破するのに一時間もかかってしまった。リフトの終点を過ぎると、ガレ場がようやく終わり山毛欅の原生林になる。先を急ぐ。直射日光が当たらない分少しはましだが、ガレ場で体力を使い果たした感じだ。また水を飲み休息。水不足だ。水を節約しても頂上までもたないだろう。
 ふと時計を見ると正午だった。ここは帽子をとって、戦没者の御冥福を祈るとしよう。
 空身に近い装備にしてはやたらと疲れる。この山には途中に水場はない。一三時に昼食用に持って来たパンを食べる。喉がカラカラに乾いてパン一個を強引に詰め込むのが精一杯だった。涙がでそう。飲料水の残り三分の一。出直すべきか。
 などと考えていると、運よく降りて来たハイカーに水一リットル程分けてもらった。降りるだけだと言って、残っていた水を全部くれたのだった。これで水を節約すれば頂上まで行けるだろう。感謝感激。
 空身に近いので電車の中で読もうと思い、ヨースタイン・ゴルデルの「ソフィーの世界」とJRの大判の時刻表をザックに入れてきたのを本気で後悔した。こんな本を持ち歩くくらいならば、「六甲のおいしい水」二リットルを余分に入れるべきだった。まったくアホな真似をしたものである。
 山毛欅林の単調な登りを歩いていると、背中を何かにかまれた。手を延ばして捕
まえてみると、見たこともない真っ黒な大きな雄のクワガタ虫だった。デパートで買うとなると高い値がするのだろうが、お盆だ。逃がしてやろう。
 虫に刺されるのは嫌なので、防虫スプレーを振りかけて歩きだす。暑い。
 石楠花平に着いたのは十三時二十分頃だったと思う。国土地理院の地図で見るとジャンックションピークのように思えるが、ピークというよりも平な原っぱの様になっている。石楠花があるようには思えなかったが。
 暑い。休息する。荒島岳の頂上はここに来てようやく見ることができた。麓の駅や銀嶺荘からは見えないのだ。数パーティーが休息していた。皆暑い暑いの連発。
 「こんな山、百名山でなければ誰が来るか」とぼやいた筆者に、皆がそうだそうだと同感してくれた。皆、百名山と言うだけの理由で登ったらしい。言い換えればそれだけ深田久弥の「日本百名山」のネームバリューは大きい。
 皆、銀嶺荘に宿泊して、早朝から登りだしているので全員が下山の途中だった。筆者一人が出遅れた感じだ。頂上までは、まだ一時間程かかるらしい。
 炎天下の中、頂上を見上げてうんざりしている筆者に皆が「頑張りや」と声を掛けてくれる。バンダナの汗を絞って出発。
 石楠花平を過ぎると再び山毛欅の原生林となる。少し降るとまた登りとなる。階段やクサリ場があり急登となる。この急坂をモチガ壁と呼ばれているらしい。登りに鎖は必要ないが、下山時には必要となってくる。
 あえぎながら登と山毛欅林が途切れて、再び展望が開けて山頂が見えだす。頂上に設置されたコンクリート製の建設省無線中継所の建物や巨大な電波反射板が建っているのがよく見える。
 最後の力を振り絞って、掘割り状の登山道を登り荒島岳山頂に到着した。一四時三〇分。誰もいなかった。百名山の頂上に誰もいなかったのは初めてだ。無風。灼熱。期待していた三六〇度のパノラマは靄がかかって一〇キロとない。近くにあるはずの霊峰白山すら見えなかった。ただ赤トンボだけがいっぱい飛んでいた。
 草むらの中にある荒島大権現奥ノ院の小さな社に参拝し、一等三角点の側の石をひらいザックに入れる。腹が減っているのだが何も食べる気がしない。よくないのは分かっている。下山時にどうなるかも承知している。でも喉を通らない。
 下山は来た道を引き返す。モチガ壁を滑らないように注意して降りる。急がなければローカル線に乗り遅れる。乗り遅れたら帰阪できない。
 石楠花平を通過して暫くすると予想通りのシャリバテ。ザックからキャンディーを取り出して口に入れる。これで暫くは凌げるはずだ。スキー場上部のガレ場までたどり着いたときにはペットボトルの水は空になっていた。下山には二時間かかったが、電車には十分間に合う。
 今回は本当に疲れた。

 銀嶺荘で湧水を飲み、ペットボトルに補給する。この水は帰阪した翌朝、ドリップ珈琲にして飲んだ。
 銀嶺荘で、おろし蕎麦を食べる。蕎麦は美味しいのだが、おつゆがさっぱりだ。
 蕎麦を食べながら、銀嶺荘のオバちゃんの話を聞くと、スキー場の登りで体力を使い果たして降りてくる人が結構いるそうだ。
 スキー場になるくらいだから、冬ともなればラッセルが大変だろうと思う。
 はたして、深田久弥はどうしてこの山を百名山に選んだのか。地元、福井県から一座選びたかったのだろうか。他にも選びようがあったように思えるのだが、疑問だ。

平成七年八月十五日

荒島山



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