石鎚山

中野[日本以外全部沈没]浩三

四国愛媛県の最高峰、と言うより加賀白山以西では西日本最高峰にあたる。それでも標高一九八二メートルしかなく、残念ながら二〇〇〇メートルはない。
 十三世紀程以前に役ノ小角(または、役ノ行者:現存する資料では世界最古のクライマー)によって開山され、山岳宗教のメッカとしてやたら有名になっている。そして、石鎚山といえば「鎖場」と言われるぐらい「鎖場」が名物だ。
 つい最近まで、深田久弥の「日本百名山」なんて中高年の登山バイブルだと思って、ほとんど意識していなかったのだが、NHK−BSで放送された「日本百名山」のビデオテープを人様の御妻女殿より入手。観ているうちについムラムラっと百名山頂上付近の石を集めて(国立公園の石を取るのは違法行為である)、屋敷の片隅にケルンでも積んで悦に耽ってみるのも一興かと思い、百名山のピークハントを始めた。何年かかるか、いや、全て登れるかどうかも疑問なのだが。
 さて、「日本百名山」九十四番峰、石鎚山から堂ガ森にかけて縦走するつもりで、テントを担いで意気揚々出発した筆者であったが・・・

 愛媛県、伊予西条からバスで約一時間、そこからロープウェイを使い、高低差八三九メートルの山頂成就(じょうじゅう)駅まで運ばれる。時間があればロープウェイは使いたくないが、時間のないサラリーマンにとって半日短縮出来るのならば使ってしまう。
 かなりガスっているが、ガスの切れ間から周囲の山々を見渡すと、近畿や中国の低山とは違い、険しい四国の鋭峰群が印象的だ。
 ロープウェイを降りると、成就社(じょうじゅうしゃ)までスキーゲレンデになっていて、リフトが運行されている。歩いたところで二〇分の距離だ。リフト右手の立派な広い道を歩くと、原生林の中に所々に青や紫色の野生の紫陽花が咲き乱れていて美しい。
 一五分も登り道を歩くと、数軒の旅館や売店があり、立派な鳥居をくぐると石鎚神社中宮成就社がある。どこか都会の神社のようで、いささか場違いのような気もする。山行の無事を祈願して先を急ぐ。
 樹林帯の中のだらだらとした下りが続く。まもなく鳥居が現われる。この鳥居、石鎚山に登れない人の為に、この鳥居まで来ると、石鎚山に参拝したことになるらしい。
 降りきった所に小屋がある。小屋といっても無人の休息小屋で、雨露を凌げる程度の物だが。
 ここから八丁坂と呼ばれる登り道になる。道は木製階段で立派に整備されている。木製階段を作ってくれた人には申し訳ないのだが、歩幅が制限されて歩き辛い。
 木製階段を作るのは、道を整備する為よりも、表土流失の保護である。
 空身に近い参拝者やハイカーを追い越して行く。やがて、「試し鎖」と呼ばれる鎖場が現われる。この鎖場は迂回路もあるが、話の種と思い登ってみることにする。ところが、緩やかな勾配にもかかわらず、水がにじみ出してやたらと滑る。鎖場終点まで二度滑った。
 終点まで着くとそこは唯の岩峰。ガスっていなければ、素晴らしい展望が期待できるのであろうが、周囲だけが観えるのみだった。降りるときは、反対側につけられた鎖場を降りることになる。この「試し鎖」は岩峰を登るためだけに設置されていたのだった。降り終点付近にはスタンスはなかった。迂回路を進んだほうが速い。 「試し鎖」と迂回路が合流するあたりに、売店があった。ウーロン茶を飲んだ。一本三百五十円だった。歩荷の苦労を考えれば妥当な金額だろう。
 木製階段を登って、暫く進むと、樹林帯を抜けて見晴らしがよくなる。この辺りが地図によると「夜明峠」と呼ばれるところだ。「一の鎖」があって、その手前に売店がある。とにかくこのコースは表参道の為に、道はきれいに整備されているし、売店はあるし、小屋もあるので、雨具と御銭さえ持っていれば水筒さえ必要はない。 ウーロン茶を飲んでいると「凄い装備やな、何キロあるのん」とお姉ちゃんばかりの集団に話し掛けられる。「十七、八キロ、頂上から堂ガ森へ縦走しょうと思って、テントも入ってんねん」「鎖場、登るのたいへんやで」「女の子の尻について行こと思って」冗談で言ったつもりだったが、「やる気出る?」「うん」「張り切って、後からついといで」と言われたので、遠慮なくついて行くことにした。山だからこんなふざけた会話が成立する。下界では変態だ。
 しかし、途中まで来ると彼女達なかなか進まない「ギャー、恐ー。下見たらあかんでー」声が引きつっていた。下を見たところでたいしたこともなく、肩を叩いて「先行かせてもらうわ」「好きにしてー」遠慮なく追い越した。鎖がなくても登れるように思える。
 「試し鎖」「一ノ鎖」「二ノ鎖」「三ノ鎖」とあるが全てに巻道(迂回路)がついている。
 「二ノ鎖小屋」で縦走路を聞くと知らないとの事だった。「二ノ鎖」、「三ノ鎖」は距離が長いので迂回路をとった。危ない所は鉄板の橋が掛けられてあった。
 弥山に到着したのは、丁度お昼だった。登山者やハイカー、中学生の林間でごった返していた。参拝はここを石鎚山としているが、南東方向に一〇分程、痩せ尾根の岩稜を歩いた「天狗岳」と呼ばれるピークが一九八二メートルの最高峰で、ここ「弥山」よりも二〇メートル程高い。ガスの切れ間から「堂ガ森」への縦走路が笹原の中に一九二一メートル峰をトラバースするようについていて、「西ノ冠岳」から稜線上に延びているのが見える。誰も歩いていない笹原の美しい縦走路だった。本来ならば、この時点でおかしいと気付くべきだった。雲行きが悪い。この分では急がなければ夕立が確実に来る。
 頂上の売店でコークを買ってパンを食べ、五分で昼食を済せ、出発。売店の従業員に聞いても、周りの人に聞いても縦走路の入口は分からないと言う。捜しながら降りる。道標があるあるはずなのだが遂に分からなかった。
 仕方なしに来た道を引き返す。「試し鎖」を通過した辺りで雨が降って来た。ザックから雨具を取り出して着込む。雷が紫色に周囲を染め上げ、もの凄い音がする。今頃、稜線上の縦走路を歩いていると、雷撃を喰らってロクっていたかもしれない。 降りきった休息小屋には、雨具を持たないハイカーが五〇人程いて、鈴なりに立って雨宿りをしていた。雨具ぐらい常識じゃないか。
 ロープウェイを使って、降りる頃には雨は上がっていた。雨上がりの深緑がなんとも生き生きとして美しい。
 バス停留所で時刻表を見ると五〇分待たなければならない。隣の食堂でウドンを食べる。店のオヤジさんにバスを待つ間、縦走路が見つからなかった事を話すと、
 「今月に入ってすぐに集中豪雨があったやろ」
 「うん、石鎚山の山頂直下で崖崩れがあったって、ニュースで言ってた」
 「その崖崩れで縦走路も崩れて、現在、通行止めになってる」
 「・・・・・・・・・」

平成七年七月二十九日

石鎚山



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