東くだりをするときに、近江盆地を過ぎるあたり、関ヶ原を越える手前で、新幹線の車窓から北側に一際目立つ山がある。それが伊吹山。
古くは、日本武尊命や酒呑童子の伝説を初め、群雄割拠の戦国時代には戦場ともなり、近年では麓のセメント工場や頂上まで延びるドライブウェイや中腹のスキーゲレンデ、ホテル、ハイキング、キャンプ場、測候所、パラパントのフライト基地等々何でもありの、何かと「がさつ」な山である。また、薬草や高山植物の宝庫でもあり、一二〇〇種もの植物が自生するといわれている。
ついでながら、標高一三七七メートルのこの山は、これで深田久弥の「日本百名山」にカウントされているのだから、なんとお手軽な山であろう。
その伊吹山へ登るのは何年ぶりだろうか。今までこのコラムに取り上げなかったのが不思議な気もするが、訳がある。観光客が多く、行きたくなかったからだ。何故行ったのかに就いても訳がある。
車窓から見た伊吹山は、三合目から上はガスっていて見えなかった。三日前に梅雨入りしているから、頂上は土砂降りかもしれない。行けるところまで行ってみよう。そう思って登山口のバス停で下車した。ハイカーがいっぱい。
ストレッチをやって樹林帯の中を登り始めたが、いくらも進まないうちに暑くなったのでシャツを脱いでタンクトップになった。
三合目迄、リフトが運転されているが、ここは週末ハイカーの意地にかけて歩いて登ることにする。一合目に着く迄に二パーティー追い越した。
一合目迄来ると、樹林帯はスッパリと切れて頂上まで草原が広がる。
晴れていれば、直射日光を遮りもがなく、南斜面である為に暑くてダウンする。ガスっているのが却て有難く思える。
前を歩いているパーティーの最後尾を歩いていると「お先にどうぞ」と言われたので、遠慮なく先に行かせてもらう。追い立てられているみたいで嫌なのだろう。
ガスは次第に濃密となり三合目付近まで来ると、視界は五〇メートル程に落ちていた。雰囲気的には子供の頃観ていた、円谷の怪獣でも出てきそうな感じ。ほら、富士山の麓で霧の中から怪獣が出現して、ハイカーが犠牲になるお決まりの怪獣映画の冒頭シーン。この後、地球防衛軍に通報されるんだ。
夏のキャンプシーズンに備えて、草刈機の音がブンブンと聞こえて来る。
先ほどから、トレーニングウェアを着て五〇リットル程のザックを背負った高校生達とよく擦れ違う。大会でもやっているのだろうか?
引率の教員に尋ねてみると、今日が一次予選で、来週に二次予選があるとの事だった。成程、インターハイか。
先を急ごう。チンタラ歩いているパーティーをどんどんと追い抜いて行く。
路傍に目をやると、紫色のアヤメが群生している。いや、カキツバタかも知れない。どうも見分けがつかない。名前も知らない黄色い花も咲き乱れている。植物図鑑でも持参すれば、マニアにとって楽しいかもしれない。
三合目から五合目にかけて、勾配が緩やかになる。
五合目に着いたので少し休息をする。売店備え付けの自動販売機で7UP(清涼飲料水)を買って飲んだ。価格は下界の五割増しだった。
時計を見ると、登り始めてから一時間も経っていない。それにしても、ひどくガスっている。頂上は雨かもしれないと思うと、なんとなく気が重い。下山して来た高校生に頂上の様子を聞くと、以外にも晴れていたとの事だった。現在の状況からは、ちょっと考えられないが、期待してしまう。
二、三分程休息してから登りだす。晴れているときに、ここから頂上を見上げると、壁のよう迫って見える。そして、この辺りから道はジグザグの急坂となる。
ガスがいきなり晴れたのは、丁度七合目辺りだった。
ギラつく初夏の太陽。何処までも続く紺碧の空に、東西へと延びる一条の飛行機雲。眼下に広がる雲海。その中に鈴鹿山脈の峰がポツリと見える。山全体が石灰岩である為に水吐けがよく、樹木が繁茂しない為、森林限界を突破したような、まるで日本アルプスの三〇〇〇メートル峰を行くような錯覚に陥る。何処にいるのか、ウグイスがあちらこちらで鳴いていた。
ハイカーが頂上まで列をなして登って行くのが見える。中には理解に苦しむ格好で登っているのがいる。雪もないのに、ロングスパッツを履いてピッケルを持った中高年のオジさん。何を考えているのか、鈴鹿へ行ったときもこんな人がいた。
うっとうしいから、次々追い抜いて行く。
九合目に来ると、緩やかなスロープになっていて、頂上まで続いている。スロープのお花畑には高山植物保護の為ロープが張られている。
観光客目当ての売店が五軒あるが、閑古鳥が鳴いていた。登山者やハイカーは水や食料や燃料一式を持ち歩いているので、売店に立ち寄ったりはしない。
測候所の隣にある一等三角点に乗っかって、「はいチーズ」カシャッ。一時間五〇分で海抜一三七七メートルの滋賀県最高峰に到達。
琵琶湖や近江盆地は雲海に沈んで見えないが、関ヶ原を挟んだ反対側には、広大な濃尾平野が展開していた。天候に恵まれれば、白山や木曾の御嶽山、槍、恵那山も見えるらしいのだが、何度か登っているが見たことはない。
一一時二〇分、一面タンポポの咲き乱れる草原の中、雲海を見下ろしながらエスビットで珈琲を沸かし昼食にする。大勢のハイカーがいるのだが、有難いことに観光客が一人もいない。聞くところによると、頂上まで延びるドライブウェイが今年の五月に、また崩れたらしい。常日頃からこの山肌を無残に削ったドライブウェイを不愉快に思ていたのだ。売店には申し訳ないが、このまま復旧しないでほしい。
食後、日本武尊像を拝みに行く。日本の武ちゃんの像は誰が作ったのか知らないが、アイヌの伝説に出て来るコロボックルみたいで、なんとも情けない限りだ。
食後の散歩をしていると、足下の石灰岩に目が止まった。フズリナの化石がビッシリと見える。持ち帰ろうかと散々悩み、一時はザックの中に入れたが、二〇キロ近い重量の為に諦めた。死骸で山を作る生物ってどんな生き物だったのだろう(いつぞやみたいに、義無教育の教科書の切り抜きを張り付けたりしない事)。
下山は、登山コースを戻る。「はい御免、はい御免。お先です」と挨拶をしながら、パーティーを追い越して駆け下りた。麓では、パラパントが舞っていた。
途中で知り合ったハイカーに麓から駅まで車で送ってもらう。最近、山に来る度に誰かに借りを作っているような気がする。
五時間のハイキングコースを二時間四〇分で歩いた事になる。今回の山行目的が、夏山に備えてのトレーニング(利尻へ行きたい)だから、こんなものだろう。
平成七年六月十一日