那岐山

中野[日本以外全部沈没]浩三

一〇七一ピーク(八合目)を通過してから、かれこれ二時間が経過していた檜の植樹林を抜けて、腰から胸までのラッセルが二時間以上続いている。なのに距離は稼げず、頂上は一向に見えてこない。一四時だというのに、日暮れのように薄暗く、風雪は衰えるどころか、激しさを増していた。重い足取りで、足下ばかりを見ていた。遮る物もなく、横殴りの雪が激しさを増し、視界は一〇メートル前後に落ち込んでいる。
 ラッセルしながら、オーバーヤッケのポケットからサンドイッチを取り出して食べた。シャリシャリとしてサンドイッチの具が凍り付いている。喉にパンがへばりついて呑み込めない。ザックから『六甲のおいしい水』を取り出して流し込むと、喉がチクチクする。見るとシャーベット状に凍り付いていた。凍結しなかったのはザックの中で攪拌されていたためだと思われる。こんなことなら、デルモスでも持ってくるのだった。
 この日、一月十五日、山陰地方から北陸、東北、北海道にかけて、昨日から大雪警報が出されたまま解除されていなかった。
 汗ビッショリで途中からオーバヤッケのフードをはずしたのが大失敗。髪の毛がバリバリに凍り付いて、氷柱が垂れ下がっている。
 腰痛のリハビリだと思い、那岐山なんて、たかが一二〇〇メートル程の山陰地方の山だと嘗めていたことも否定できない。
 パーティならば交代でラッセルできるが、現在はこのきついアルバイトを単独でやるしかない。絶望的なラッセル。進むか戻るか。
 さあどうする。
 迷っていると背後から人が歩いてくる。二十代半ばの兄ちゃんが一人。フードも付けず、頭に雪を積もらせて情けない姿だった。もっとも、人のことが言える立場ではないのだか。この……ラッセル泥棒。
 人に逢うのは嬉しいものだ。挨拶をすると、
 「楽をさせてもらってます。食事されました?」
 「ええ、歩きながら済ませました」
 この状況下で、のんびりと立ち止まって食事をする余裕はない。
 ラッセルを交代したが、駄目だ。十四時二十二分、撤退。下山。
 来週末、天候が安定してから出直そう。いや、出直せなかった。
 二日後の早朝、西側への陸路が寸断された。

那岐山 四ヶ月後、西側の陸路も復旧し、会社も農作業も一段落して、GWも終盤。さすがに雪山ハイキングは無理だろうが、お花見ハイキングならば(桜ではない。念のため)ベストシーズン。
 ここで那岐山について若干の説明を。
 「なぎせん」「なぎのせん」地元では「なぎさん」と呼ばれるこの山は、氷ノ山後山那岐山国定公園にある岡山県奈義町と鳥取県智頭町にまたがる山で、ヤマケイの読者アンケート調査によれば、岡山県下では最高峰の後山をおさえて、人気ナンバー1に選ばれている。山と渓谷社のアルペンガイドによれば、山名に就いては、その昔、後山と背比べして負けて泣いたので「なきのせん」が「なぎのせん」となった民話や、近くに伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が祭ってあるとかの諸説いろいろあるらしいが、山岳信仰があるのは確かなようである。国土地理院発行の地図によると、標高は三等三角点のあるピークは一二四〇メートルだが、最高峰は五〇〇メートル程東北東へ行った所で、一二五〇メートル程ある。つまり、コルを挟んで、なだらかな二耳峰になっている。
 話を進めよう。岡山県津山市でトイレに行っている間にバスが出発してしまった。ど田舎のこと、次のバスまで一時間も待たなければならない。タクシー代を奮発して菩提寺の分岐点で下車する。奈義町の高円から分岐点までの四、五〇ふんのアプローチが省略できた。
 那岐山の南側の複合扇状地山麓は陸上自衛隊日本原演習場がある。戦車の絵の道路標識が立っているのが珍しかった。
 ここから那岐山の頂上まではA、B、Cの三コースがあるが、前回同様、Cコースをとることにした。林道を少し歩くと「蛇淵ノ滝」の道標があり、降りると滝があるが、無視して林道を行くとB,Cコースの標識があり、林道から登山道へはいる。
 シャツを脱いでタンクトップになる。家族連れのハイカー達を追い抜いていく。植林された杉のハイキングコースを行くと、Bコースの分岐に出るが、尾根に沿ってCコースを進む。間もなく先ほどの林道を横切り、すぐの所に「みどりのコーナー」と呼ばれる所に出る。
 ここは、森林資源の重要度を訴えるパネルが表示されてあり、ベンチも設置されているので、休憩するには都合がよい。チョコレートをかじり、水を飲み、防虫スプレーを振りかけて出発。
 傾斜はまして、ジグザグの道となる。体重を一六キロ絞ったためか、一ヶ月ほどまじめにトレーニングしていたためか、身体が、足取りが軽い(何のことはない、装備が軽量化されているのをラッセルする必要がないからだ)。
 大神岩に出た。一汗かいたので、ここで休息する。
 この岩からの展望が素晴らしく、陸自の演習場や集落、ため池や水田がミニチュアのように楽しめる。真北に目指す頂上があった。大陸から飛ばされてきた黄砂のために霞んで、本来ならば見えるであろう瀬戸内海は見渡せない。
 しばらくくつろいだ後、緩やかな登りを少し進むと、標高一〇七一メートルの八合目につく。植林帯を抜けて、ブナ林を行く。足下に咲き乱れる薄紫色のカタクリの花が感動的に美しい。
 ブナ林を抜けると、足下を笹が覆う。目前には三角点のピークがあり、あちこちでウグイスが鳴いている。四ヶ月前、あと二〜三十メートル前進していれば三角点が踏めたのだが、今更悔やんでも始まらない。現在なら、二十分とかからない距離を二時間以上もラッセルして……過ぎたことだ。
 なだらかな三角点には数十名程がくつろいでいた。主要稜線に沿って縦走路が続いている。雰囲気としては、滋賀県の比良山地にある武奈ヶ岳をグーンと広くしたような感じ。木が生えているのでもなく、開放感があって実に気持ちが良い。
 ここから頂上までは、一旦コルに下りて緩やかな登りとなるが、十分も歩けば到着できる。すぐそこに見えている。
 コルにはしっかりとした避難後屋があった。中を覗いてみると、手入れも行き届いている。冬にシュラフを持ち込んで泊まってみるのも楽しかろう。
 ここで、鳥取県智頭町から上ってきた岡山県の三人のパーティと遭遇する。だべりながら那岐山の頂点を踏んだ。
 なだらかな山頂は三角点と見晴らしはたいして変わらない。黄砂がなければ、大山や氷ノ山、日本海や瀬戸内海まで見えるらしいが、現在は後山が限界だ。
 那岐山山頂には、鳥取県智頭町と岡山県奈義町の両観光協会が建てた、山頂を示す石碑がある。双方で県境の那岐山を奪い合っているようで面白い。
 ファミリーハイキングの家族連れが目立つ。時計を見ると、なんだ、まだ昼前ではないか。少し早いが昼食にする。
 すっかりお馴染みとなったドイツ陸軍御用達のストーブ『エスピット』で珈琲を沸かそうとすると(もっとも、燃料は同じ固形のスイスメタだが)、周りのオチビ達が寄ってくる。母親らしい女性が、オチビ達が本格的な登山用具を見るのが珍しいのだと言う。フィールドは何処だとかいろいろと聞かれる。
 サンドイッチを食べようとすると、犬が物欲しそうにジッと見ている。半分ほどやると、一呑みにしてまたこちらを見る。結局この犬は筆者の一番高い二二〇円のツナサンドまる一個と一四〇円のコロッケパンを半分食べ、飲料水を半分飲まれてしまった。これ以上もらえないと分かると、別のハイカーのところへ行ってしまった。
 残ったコロッケパン半分と一〇〇円のアンパン、それに珈琲が昼食になった。
 食べ物の恨みはこれくらいにして、岡山県の三人のパーティから興味深い情報を仕入れた。
 今回の山行きのテーマであるお花見ハイキング。
 彼らが登ってきたコースに石楠花が満開だったとのこと。コースを聞くと、下山予定コースから外れている。那岐駅への最短コースを予定していたのだが、これだと登山口から那岐駅まで七キロ、時間にして一時間二十分程のアスファルト道路を歩かなければならない。
 しかし、スケベ心が優先した。一度、三角点まで戻ってから西仙コースを下る。ありがたいことに地図までもらった。
 「途中、クサリ場が三カ所あるけん、気いつけて行きんさい」
 忠告感謝、彼らは登山口に車を置いてあるために東仙コースから下山するらしい。
 三角点から風穴と書かれた所から北へ向かって、西仙コースを下りだす。しばらくは草原を歩くが、ドウダン並木と呼ばれるあたりから自然林が茂りだす。
 道はしっかりとしているため迷うことはない。このまま真っ直ぐ下りていけばよい。
 男女四人のパーティとすれ違う。下山中なので道を譲る。山では登りが優先になるために、下りは道を譲るのが礼儀だ。
 石楠花のことを聞くと、満開で感動しながら登ってきたとのことだった。徐々に下りがきつくなる。まもなく馬の背小屋にでる。
 この小屋、智頭町が管理しているのかどうかはしらないが、これも手入れが行き届いたきれいな避難後や(だと思う)だった。ザックを降ろして小休止。
 小屋の道標が左に尾根コース、右に渓流コースと分かれている。石楠花を見るには尾根コースである。樹林帯を少し歩くと石楠花の峰だ。
 赤い石楠花が満開に咲き乱れて美しい。この石楠花が見れるのならば、遠回りするだけの価値はある。咲き乱れる石楠花のトンネルを下る。
 石楠花を過ぎると、急坂となりクサリ場がある。木の根や幹や枝に捕まりながらでも大丈夫だが、楽をしたいためにあると使ってしまう。
 下っていき、細流を渉るとゴーロ橋に出る。一スパンしかないが、アスファルト舗装された立派な橋梁である。河原のゴーロからこの橋の名前がついたものと思われる。
 那岐はゴルフ場やキャンプ場や観光施設がないたえに、川の水が澄んでいて気持ちが良い。顔を洗って裸足になって、足を清流で冷やして休憩。那岐山は良い山だ。機械があればもう一度訪れてみたい。今度は縦走してみよう。
 いつまでも休憩していたかったが、そうもいかない。これからアスファルト道路を七キロ歩かなければならない。
 三十分程歩いてJR因美線の踏切を渡る。なんと、単線。二時間に一本という超ローカル線だった。
 那岐駅を目指して歩いていると、目の前で乗用車が停車した。山頂で会った岡山県のパーティだった。那岐駅まで乗せてやると言うので、お言葉に甘えることにした。嬉しいことに、乗車させてやろうと筆者を捜していたらしい。おかげで、智頭駅からGWの臨時増発された特急「はくと」に乗車でき、三時間後には大阪に帰れる離れ業までできたのだから、いくら感謝しても足りないことはないだろう。
 那岐駅で降ろしてもらい、去り行く車に向かって深々と頭を下げる筆者であった。
 有り難うございました。  

踏査 平成七年一月十五日、五月六日



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