曽爾高原・古光山・後古光山

中野[日本以外全部沈没]浩三

 そにこうげん・こごやま・うしろこごやま、と読む。
 三重県の名張から南へ青蓮寺川を遡った奈良県と三重県の県境付近一帯を曽爾高原が展開している。室生寺赤目青山国定公園に属し、関西では古くからハイキングのメッカとして有名。義務教育の遠足で行ったことがある人も多いかもしれない。
 山脈が走っている訳でもなく、火山特有の独立峰のような山がいくつもある。火山と言っても、先史時代のはるか昔に活動はおさまっている。降り積もった火山灰が変性作用で安山岩の見事な柱状節理の岩壁が随所に見ることができる。
 景観が中国の広西壮族自治区にある桂林郊外に似ているらしい(残念ながら唯の読書知識です。深く追求しないでください)。のどかな、モッコリとした「まんが日本昔ばなし」に登場する山を思わせる。
 この柱状節理の岩壁を関西のクライマーが見逃すはずはなかった。希少なクラックのゲレンデとしても有名。番外コラムのEXバージョンでも取り上げたことがあるが、今回はハイキング。ただし、アップダウンが激しいため、一般向きではない。

 手違いで(寝過ごして)「葛」のバス停で下車してしまった。太良路まで徒歩で引返す。十一月も中旬だというのにやたらと蒸し暑い。その上やたらとガスっている。左側に兜岳と鎧岳がそびえているが、頂点付近はガスの為に見えなかった。
 鎧だの兜だのといかめしい名前がついているが、鎧岳の東斜面が安山岩の柱状節理の絶壁となっていて、それが鎧の縅に似ているとのことだが、なるほどと思う。
 機会が有れば、これらの山も取り上げてみたいが、後の楽しみに取っておこう。太良路のバス停には樹齢数百年の杉の大木が立っている。青蓮寺川の二つ架かっている橋の上流側を渡って、アスファルト舗装された道路を曽爾高原目指して歩く。
 村外れまで来ると林道分岐を示す看板がたっている。右に、つまり林道に折れて歩きだす。コンクリート舗装さえた立派な林道で、両サイドには、切り出して樹皮を剥いだ杉がきれいに積まれていた。
 トボトボと歩いていると背後に人の気配がした。単独のハイカーだった。話を聞くと神戸からやって来たとのこと。亀山から倶留尊山へ行くと言うので、暫一緒に歩く。旅は道連れ・・・といったわけではないが、喋りながら歩いていた。
 「会社員なら、行きたい所は一人で行くしかない」ということで意見が一致した。つまり、他人の都合なんか気にしていたら、行きたいところにはいつまでたっても行けない。付き合いで行くのではなくて、好奇心だから。
 フカタワへの分岐があったのでそこで別れる。
 分岐から暫く歩くと、林道終点と地図にはあるが、実際は林道はまだ続いている。道標もない。不親切だ。一寸、分かりにくいけども南に向かって登坂道がついている。谷に沿って徐々に勾配がきつくなって来る。その勾配を登りきったところがフカタワと呼ばれる古光山と後古光山のコルで、南に登れば古光山、北に登れば後古光山である。
 薄暗い杉林の中にフカタワを示す看板があるが、アホでも分かる。
 ここにザックをデポって(さすがにカメラだけは盗難を恐れて手放さなかったが)身軽になって古光山に歩きだす。地図には「危険印」がついていて一般向きではないとなっているが、物好きというか、好奇心というか、行ってしまう。
 杉林を抜けた途端に急登の熊笹の藪漕ぎとなる。東南側の斜面は崖になっていてスリルがある。露岩には頼りないロープがフィックスされているが、テンションをかけるには不安がある。最後は木の根、草の根にしがみついて慎重に登る。降りるときはもっと恐いだろう。
 頂上に着くと、九五三メートルを示す一等三角点と各ハイキングクラブの標識がぶら下っている。標識の一つを裏返してみると何年何月に登頂したとか「天気晴朗なれど視界不良」とか自慢たらしく書かれていた。気持ちはわかるけどね。
 確かにドンヨリとした曇空で現在もガスっていて二、三キロしか視界はない。雑木林の中に頂上があるので、南と北に僅かに展望が開けているに過ぎない。苦労して登った割りには展望が悪いとなれば、確かに一般向けでないだろう。
 南側の展望はガスの中にモコリモコリと山のシルエットが浮かんでいるが山名までは特定できない。北側はフカタワを挟んで後古光山がモッコリとそそり立っている。「まんが日本昔ばなし」に登場する山を思わせるようなモッコリとした感じ。
 今度はあの急登を降りるのかと思うと、なんだか気が重い。やっぱり恐かった。足を滑らせて落ちそうになるのを、木にしがみついて事なきを得た。鶴亀鶴亀。
 フカタワに戻って、ザックからチョコレートを取りだして休息。
 地図によると、これから登る後古光山にも「危険印」がついているが、今度は登りだけなので気にすることもないだろう。
 ザックを担いで歩きだす。まもなく、南斜面の明るい安山岩の露岩地帯に出るが、頑丈そうなロープが三本もフィックスされており安心できる。あまり岩にへばりつかないように、コーナー気味の所はステミングでたち込む。
 八九二メートルの後古光山の頂上に出るが、古光山と比べて展望は良いが、今日は視界が悪い。やっぱりハイキングクラブの看板がぶら下っている。
 「esbit]で珈琲を沸して、パンを取りだして、ここに昼食にする。「esbit」って、知らなかったけども第二次世界大戦にNSDAP(国家社会主義ドイツ労働党)の兵士も使っていたというドイツ陸軍の伝統的なストーブらしい。良いものは時代を越えて残るものだ。
 北側に二本ボソ、さらにその向こう側に倶留尊(くろそ)山が見える。北側から人の話し声が聞える。暫くすると「こっちが頂上や」と後続に向かって叫んでいる。彼ら、少し下ったところで昼食をとっていた。
 反対側から登って来たらしい。北側のルートの情報を聞くとたいしたくだりはないとの事。彼らはこれから古光山へ行くので、情報を聞かれる。
 たいした下りでもなかったが、枝道があって迷った末に東側斜面に降りてしまった。強引な藪漕ぎの末に工事中の林道に出てしまった。コースを外した。切土法面が崩れている。仕方なしに林道を歩いて長尾峠に出た。
 ここから亀山に出て、倶留尊山に足を延ばしてみるつもりだった。しかし、地図にはない枝道が多く、道標も皆無に近いために、進んでは引き返し、迷った末に、またコースを外して木製階段の防火線に出てしまった。
 これだけ立派な階段を整備するくらいならば、道標の一つも整備してほしいものだ。雑木林を抜けると、一面にススキの斜面が亀山の頂上から倶留尊山の頂上まで一面に続いている。まるで奈良の若草山だ。近くに駐車場があり、ハイカーよりも、アベックや家族連れがビジネスシューズを履いて、頂上まで列をなしている。和服を着てゾウリを履いたバアさんが階段を降りて来るのをみて嫌気がした。倶留尊山に登るには、五百円を支払わなければならないと聞いてますます嫌気がした。
 一時間もあれば登れるが、ひどく場違いな気がする。視界も悪いし今日はこのまま帰ろう。

踏査 平成六年十一月十三日

曽爾高原・古光山・後古光山



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