今年は平安建都千二百年ということで、一度くらいは京都の山を取り上げるのも一興かと思う。そんな訳で入稿が年内に間に合えば幸いである。
京都大原三千院より直線距離で真北へ約一〇キロ。比良山系の裏側、京滋府県境と書けば大凡の位置は理解していただけると思う。
海抜九七一・五メートルの皆子山と呼ばれるこの山は、国土地理院発行の二〇万分之一の地図でさえ山名はおろか、標高すら記載されておらず、五万分之一の地図でようやく登場する。知名度としては一般には殆ど皆無に近いマイナーな、何の特徴もない、ごく普通の京都の北山に過ぎないと思われるが、関西のピークハンターには根強い人気がある。実は、この山こそ京都府の最高峰。
何やこんな山。標高差もたいしたことあらへんし、歩行時間かて短いし、半日で終わりやんか。楽勝楽勝。などと思うと、どえらい目に合う。スターグレイド三つは伊達ではない。
京阪、京都の出町柳駅から一日に二便しかない京都バスで、国道三六七号線を真直、北へ一時間も乗ると「平」に着く。この国道三六七号線は敦賀街道と呼ばれ、昔は鯖街道とも呼ばれていた。若狭から京の都まで、海産物や生活物資を輸送した重要な産業道路でもあった。
平で下車すると小雨が降っているが、雨具を取り出すまでもない。ストレッチをやって出発。琵琶湖に注ぐ安曇(あど)川源流に沿って林道を遡る。山の中腹より上はガスっていて見えないが、植林された北山杉は見事である。これが、春先になると花粉症の要因と考えると呑気なことも言ってられない。
三〇分程歩くと寺谷の登山口がある。皆子山に登には、南から登る寺谷と北から登るツボクリ谷のコースがあるが、どちらも沢コースとなり整備された登山道があるわけではない。しかし、特別に沢登りのテクニックが必要なわけでもない。
防虫スプレーを体中にふりかける。安曇川の河原の岩を利用して立派な木の橋がかけられていた。橋を渡るといきなりロープがかかっている。植林された杉林を寺谷の流れに沿って暫く遡ると、右手に手入れされていない汚い小屋があった。薄暗い杉林を進み、沢を何度か渡ると看板のようなものがあったが、はげていて何が書かれているのかよく分からない。
腰をおろして地図を見て小休止していると、後ろからブーンと、ものすごい羽音がする。何であるかピンと来た。振り向かないよう、息を殺して動かずにじっとする。刺激してはいけない。暫く飛び回っていたが、目の前を一匹の大きなスズメ蜂が飛んで行った。警戒していたのだろう。危ない危ない。
右側にコースを取って進むと、五メートル程の木の梯子があった。登ってみると、はげた道標があり、注意して読むと「皆子山へは下って沢を渡れ」と書かれてあった。どうせなら、梯子の下に書いて欲しかった。
引換えして沢を渡り、沢沿いに付けられた目印のテープや紐を頼りに注意深く進む。沢沿いのコースと巻道のコースの分岐に出たが、親切な道標がなければ見落としていたかも知れない。
沢沿いのコースを取って遡て行くが、やたらと滑る。ツルッと。苔が生えていて、小雨が降ったり止んだりで、濡れているのでなおさらである。沢のなかも岩の性質なのか油断できない。ちょっと油断するとすぐに滑って転んでしまう。何度も滑って転んで、尻餅をついてズボンは泥んこ。沢を何度も渡っているので軽山靴もズボンもビショ濡れ。
途中でコースを見失い、沢から外れてしまった。道に迷う。強引に薮漕ぎをしていて、目印のテープや紐が途切れているのでコースから外れたと気がついた。コースから外れたら、外れたところまで引き返すのが鉄則。四〇分のロスタイム。
コースに戻って遡ると、左手に白い巨岩が居座っている。苔が生えて汚い岩だ。
谷筋を忠実に遡って行くと、やがて水は枯れて斜面を木や草の根につかまりながら登る。木が揺れる度に、葉についた水滴が落ちてくる。屋久島での石楠花の薮漕ぎを思いだした。斜面を上り詰めると京滋府県境の稜線に出る。北山名物の胸まである笹薮。注意しないと本当に迷ってしまう。笹薮をかき分けて、稜線に沿って北側にコースを取るとすぐに開けた広場に出る。ここが京都府の最高峰、九七一・五メートルの皆子山山頂。京都府の最高峰を示す看板がいくつか掲げられている。
こんな僻地が京都市の左京区というのだから京都市も広いものだわ。
東側に展望が開けているが、ガスっていて何も見えない。一面、真っ白。
三等三角点に腰を降ろしてパンを食べる。今、この瞬間、京都府で一番高いところを一人で陣取っているのかと思うと、愉快ではないか。
お山の大将気分も長くは続かなかった。北側、つまりツボクリ谷から二〇名程のハイカーがゾロゾロと登って来た。バスの中にいたハイカー達だ。
「着いた着いた。三角点は何処や」なんて言われれば、退かない訳には行かない。ハイカー達が三等三角点の写真を撮りだし、食事の用意をはじめた。
三角点も拝んだことだし、ガスっているうえに雨も降ったり止んだりで、登って来た寺谷を戻って下山する。今度は迷うことはなかったが、滑りまくった。
皮肉なことに、寺谷の登山口に着くと晴れ渡っている。
平のバス停留所には一四時に着いた。江若バスが湖西線の堅田まであるが、二時間待たなければならない。濡れた衣類を着干し(着たまま乾かすこと)しながらバスを待つが寒い。ザックから、出たばかりの谷甲州の「凍樹の森」を取り出して読み出すが、気持ちまで寒くなるので、すぐに読むのをやめた。この人の小説って寒い話が多いような気がする。(まだ全部読んでませんが、差別用語って「露助」のことですか?コーシューせんせ、ごめんなさい)
先ほどのハイカー達が集まって来た。バスに乗り、駅に着くまで話し込む。
「一人で来るような山やないでしょ」言われてしまった。冬、鈴鹿の霊仙山でも、奥比良でも同じようなことを言われた。低山を嘗めているわけではない。
「そうかも知れない。でも、ザックを開けて装備を見れば笑うよ」
「何が入っているの?」
「カサとカッパ(ゴアテックスのセパレーツ)」
「うん、それは理解できる」
「続いて、食料三食分にコッフェル、ガスストーブ(暖房用のストーブではなく、調理用のコンロのこと)、ガスランタン、ヘッドランプ、シュラフカバー、ツェルト(底割れ式の簡易テント)、ハーネスに細引き二〇メートル、トイレットペーパ
ー(これは本来の用途以外に用途豊富)にバンテージ(絆創膏)、ハードカバーの新刊本が一冊、その他、小物がごちゃごちゃ」
これだけの装備を三五リットルの小さなザックに詰めている。防水は完璧。
「クライマーか。完璧やな」笑われはしなかった。尤もだと言った感じ。普通は隊長が装備していればよいものだ。場所にもよるけれども、単独でハイキングするならば、ハードカバーは兎も角、これだけの装備、常識ではなかろうか?
踏査 平成六年一〇月三〇日