リトル比良

中野[日本以外全部沈没]浩三

小松在住の文士が天気図をみてうなっておられた頃、筆者は天気予報をみて頭を抱え込んでいた。二週間続けての台風の為、群馬県は土合迄のチケットを二度払い戻したからだ。土合ときいて何処の山へ行こうとしていたのか分かる人には分かるのだが。そして農繁期、稲刈りの季節。収穫が終われば九州のくじゅう山(久住または九重)へ行くつもりでチケットを購入。しかし二百数十年ぶりに山が火を噴いて入山禁止。遠くの百名山なんて俗っぽい登り方をしてはいけないという啓示だろうか?近所の山でお茶をにごす。最近、全てのものから見離されているような気がする。
 さて、タイトルにあるリトル比良だが、これは滋賀県の琵琶湖西岸にある比良山系の北東部、千メートルにも満たない小ピークの集合体の総称である。規模が小さく、北比良のような派手さもない為に人気がいまいちだが、その分、風情ある静かなハイキングが楽しめる(ものも言いようだ)。
 日本中の警察官が大阪に集まり、引っ掛け橋から浮浪者が落され天からは消火器が降ってきた頃、のんびりと静寂求めて紅葉綺麗な晩秋の日帰り縦走に出かけた。

 JR湖西線、近江高島で下車した。比良駅までは晴れていたのだが、北小松からはどんよりとした曇空になり、なんとなく憂鬱な気分。音羽まで十五分程のアプローチ。この地を訪れるのは、出向先で現場測量して以来の三年ぶりになる。リトル比良最北のピーク、岳山(五六五メートル)の登山口を地元の人に確認すると、「山の中腹にあった観音堂を麓に降ろした」と聞きもせん事まで長々と説明しだす。麓にある神社の前を通過して雑木の樹林帯に入る。岳山は古くから地元の山岳信仰があるだけに道がしっかりと整備されていて、参詣道の両サイドにはビニール紐が張ってあり道標まであるため迷う事はない。風化花崗岩の砂利道を行く。道標によれば、この坂を白坂と呼ばれているらしい。
 見晴らしのよい岩場で少し休息をする。どんよりと曇っていて眺望は望めない。暫く登ると石段に出て、フラット整地された広場に出た。これが麓に降ろした岳観音堂跡地である。周囲には瓦や柱といった瓦礫が積まれたままになっていて、復興途上の嘗ての神戸って感じだろうか(神戸の人御免なさい)。跡地の裏側にある急なコースを行くとまた見晴らしの良い岩場に出る。ここに来た途端、いきなり青空になり、さんさんと日が照っている。汗ばんだ躰に涼風が心地良い。標高四百メートル程なのだが、白銀に輝く雲海がまぶしい。琵琶湖は雲海に沈んで見えないが、対岸の鈴鹿山脈のスカイラインが拝めた。鳥越峰やその山頂直下にある関西電力のマイクロウェーブ反射板が二基建っているのがみえる。
 なだらかな登り降りを行くと標高五六五メートルの岳山山頂に着く。雑木に邪魔されて見晴らしはまるでない。石窟の中に御地蔵様が祭ってあった。ここから鳥越峰には鳥越と呼ばれるコルに一旦降りる。コルの手前の雑木の間から鳥越峰山頂手前にある巨大なオオム岩がみえる。
 コルからは暫くジグザグの登りとなってオオム岩に着く。遭難碑がある。岩場には三人のパーティーが陣取っていた。挨拶をして眺望を楽しむ。雲一つない青空に紅葉に色付いた奥比良の峰々や、安曇川や鴨川のデルタ地帯、眼下の鹿ヶ瀬の家並みが見事。リトル比良随一の、いつまでも眺めていたい素晴らしい展望だ
った。
 ここから五〇メートル程登ると七〇二メートルの鳥越峰の頂上だが、縦走路は山頂をトラバースするようについている為、縦走路を少し外れる。ザックをデポ
って頂上までピストンしたが、ここもヤブ山の為に眺望がきかない。見張山への道標があるだけだった。ザックを回収して縦走路を進む。途中、花崗岩の巨大な岩がいくつかあった。その岩の一つにどういう訳かツルハシが一つ残置されていた。
 またコルに降りて、次のピークの六八六メートルの岩阿沙利山(いわじゃりやま)へ向う。コースは最近整備したらしく、邪魔な草木が刈り込まれていて歩きやすかった。家族連れと擦れ違う。岩阿沙利山の頂上も鳥越峰同様、ヤブ山でなにも見えなかった。仏岩があるだけだった。ザックを回収すると、背後でチリーン、チリーンと鈴の音がする。先を急いだほうが良いようだ。
 暫くは緩やかな降りだったが、急坂となって足下が危ない。鈴の音の主は七〇過ぎの爺さんだった。この世代の山屋は半端ではない。全世界を相手に大東亜戦争をエンジョイしていた世代だ。寒風峠を越えて釈迦岳まで足を延ばすらしい。
 鵜川(うこがわ)越のコルは地図にはない林道が横切っていた。
 この爺さんには嘉嶺(かね)ヶ岳山頂直下で追い越された。けっ!社会的弱者のお年寄りに道を譲ってやったのだ(ということにしておこう^^;)。
 嘉嶺ヶ岳もやはり縦走路から少し離れている。またザックをデポって頂上迄行くと北側に展望が開けていた。岩阿沙利山の西側斜面に花崗岩がゴロゴロと点在しているのが見える。なんとなく山名の由来が分かったような気がした。
 ザックをデポったところまで戻ると、オバちゃんばかりの七人連れに出くわした。「兄ちゃん、上なんかあるか」「いや、北側に展望があるだけで唯のヤブ山や」「ほな、やめとこか」このオバちゃん達、五、六〇リットル程のザックを背負っているので、テント泊の縦走中かと思ったが、寒風峠から今朝登って来たらしい。ザックの中は着替えとか。まるで女子高生の修学旅行や。
 デジタル腕時計に内蔵された高度計のグラフが山をつくり谷をつくる。嘉嶺ヶ岳を後に、本コース最後の、そして最高峰、七〇三メートルの滝山を目指す。コ
ースは背の高さまであるササに覆われているが、道はしっかりしている為に迷うことはなかった。登り降りを繰り返して滝山の頂上に着く。この頂上も縦走路から外れた展望のない唯のヤブ山だった。
 あとは寒風峠、涼(すずみ)峠を経て、北小松へ降るだけだ。ここ迄はハイペ
ースで飛ばして来た。
 正午前だが昼食をとる。ここで大失敗をやらかした。Esbit(固形アルコ
ール燃料タイプの超小型携帯ストーブ)を入れ忘れた。温かい珈琲を楽しみにしていたのに残念だ。
 しかし本当の失敗は、昨夜寝つけなかったので大沢在昌の「新宿鮫」最新刊を読んでいたら夜更しをしてしまったことだろう。午前四時半に家を出ている。二時間と寝ていない。山屋としては失格であろう。そして昼食で腹が満たされると睡魔が襲って来た。読んだ本が「阪高」の橋梁設計仕様書ならすぐに寝れたのだが。
 眠い中、寒風(かんぷう)峠まで降りた。名前とは裏腹に、うっそうとした樹林帯の中にあるコルだった。ここから涼(すずみ)峠まではオトシと呼ばれる。湿原の中にコースがあるといわれているが、まぁ、湿地と言えば湿地であろう。このまま降っていけば比良山系随一の楊梅滝(やまもものたき)やシシ岩に出る。
 涼峠からは掘割り状のコースを降る。休憩したらそのまま眠ってしまいそうだ。
 滝見台のベンチに腰をおろして、シシ岩や楊梅滝を見ていた。今日はクライマ
ーはいなかった。誰も登っていない。それにしても眠い・・・
 小春日和の午後、猛烈な睡魔に襲われつつ「北小松」目指す。

平成七年十一月一九日

リトル比良



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