別に手抜きではないし、冗談でもない。摩耶山の山名を聞いて楽しい思い出のある人外協の隊員もいれば,くらい過去を思い出す隊員も数多くいることだろう。勿論、全く関りの無い隊員だって。しかし筆者は数年前の
UNI***1
の楽しい思い出や暗い過去を蒸し返そうといった、そんな動機で取上げるのではない。ただ『単独行』の加藤文太郎に憬れて六甲山地を全山縦走してみたかっただけである。しかし、軟弱な筆者には加藤文太郎のように56キロのコースを8時間で歩く体力も根性も気力もテクニックも知識も当然持合わせてはいない。だから新神戸から宝塚までのコースを取った。
昨年末の平日に休暇が取れた。7時00分、新大阪発のひかり133号に乗車。14分後には新神戸に着いた。アプローチが無いので助かる。逆にいえばそれだけ都市が間近にあるということだ。
さっそく地図を頼りに摩耶山を目指してあるきだす。住宅地を過ぎ、踏み跡程度の斜面を登りだす。やがて踏み跡は跡絶えヤブ漕ぎを始めた。六甲山の一般道でヤブ漕ぎなんておかしい。一般道からはみだしているのではないかと思いつつ1時間のリングワンデルングの果てに出発点に戻っていた。自動販売機に麦酒を入れていた酒屋のオヤジさんに地図を出して道を聞く。
「すんません、学校林道から天狗道を通って摩耶山に出たいんですけど」
「六甲は初めてか?」と聞かれて
「ええ、確かこの辺やと思うんですけど」と言って地図を示すと
「まぁ待ちなはれ、あんたこの地図間違っているで」と言って親切に道を教えてくれた。よくあることだ
(^_^;)。
気を取り直して登りなおす。住宅地を通り抜けて雷声寺というお寺の裏庭からハイキングコースを示す標識がある。標識にしたがってしばらく行くと、253メートルの小ピークに着く。そこで腰をおろしてひと休みする。普段ならば、淡路島が見えるのだろうけれど、霧で神戸港の輪郭が幽かに見える程度である。そこから600メートル東北に進むと、そこには尾根を通る学校林道と谷を通る旧摩耶道との分岐がある。学校林道を選んだのは尾根道で見晴しが良いと思ったからだ。しばらく登ると、見晴しの良いピークに関西電力の送電鉄塔が4基並んでいる。ここが435メートルピークである。そして地図によるとここから先が瀬戸内海国定公園になる。真北に摩耶山山頂に林立するアンテナ群れが見える。靴紐を締め直して、ポケットからチョコレートを取出して食べる。水を飲んで出発。
すこし降りてまた登って登り切った処に標識が立っている。ここからの登り道が天狗道で、降り道が稲妻坂と呼ばれているらしい。天狗道を登って行くとまもなく鎖場に出る。一寸した岩場ではあるが、たいした勾配でもなく危険な場所でもないが、雨天時にはスリップするかもしれない。
10時30分に摩耶山の山頂に着いた。NHKのパラボラアンテナがあり、フェンスに掛かっている温度計を見ると10度であった。暑いわけだ。山頂の様子はSUN−TVのアンテナやら売店、摩耶ロープウェイの駅なんかがある。昭和の末期の
***CON1 のときとたいして変っていない。売店で水筒に水を補給してきれいにアスファルト舗装された摩耶ドライブウェイを歩きだす。昔懐かしい国民宿舎『摩耶ロッジ』の自動販売機でウーロン茶を買って飲む。120円也。
六甲全山縦走の標識に従ってぬかるんだ行きのアコニー坂を行く。10分も歩くとまた摩耶ドライブウェイに出てしまう。暫くアスファルト道路を歩くとまだ縦走路。縦走路が過ぎるとまたアスファルトの車道である。交通量も結構ある。それも縦走路といってもコンクリートで固められていたり、石階段であったり、手摺まであったり嫌になる。
縦走中、コースを誤って遭難したり、キレットや雪庇を踏みはずしたり、雷にうたれた、突風にふかれた、とか疲労凍死やなんかで死んだのなら、諦めもつくかもしれない(つかないと思う)。だが六甲のこの縦走路ではこれらの可能性はありえない。しかし、クルマにひかれて死んだりしたら笑い者である(クマならもっと笑い者であろう)。こちらの方が遥かに可能性は高い。これをネタに『六甲山死の彷徨』なんて誰か書かないかなぁ・・・筒井康隆じゃあるまいし、駄目か(^_^;)
11時30分に三国池の手前で昼食にした。ここに至るまでに出会ったハイカーは三人連れに会っただけ。平日だから当り前か。ベンチに腰を掛けてディバッグの底からペチャンコにつぶれたサンドイッチを取出して食べる。テルモスから珈琲を注いで地図を見ながら飲む。目の前に車道が走っていて、バイクがステップを削りながらコーナーリングしている。トレーラーやら観光バスが通過していく。ペチャンコのサンドイッチを食べながら地図を見て、これから先もこの調子ならケーブルカーを使って降りてやろうと考えていた。摩耶山から六甲山まではこの調子が続きそうである。はっきり言って、ここはハイヒールを履いた女の子をナビシートに積んだアッシー君が来るような処である。一時間の休息の後出発する。縦走路の途中には、住宅地があり、郵便局あり、ピカピカのホテルあり、小学校、ドライブイン、ゴミの山、徐行の道路標識、テニスコートまである。すっかり自棄を起した筆者は自動販売機で缶麦酒を買って呑みながらふらふらと飲酒縦走をやっていた。飲酒縦走事故のもと。何やねんこんなとこ、ハイヒール履いた姉チャンでも歩けるやんけ。ほんまに。来るんやなかった。何が国定公園や、こんなもんが国定公園やったら淀川の河川敷かて立派な国定公園になるやんけ、ブツブツ。等と訳の分からんことをぼやきながら歩いていると声を掛けられた。ハイカーだった。ひよどり越から来たらしい。何処まで行くのだと聞かれたのでつい宝塚までと言ってしまった。彼も宝塚まで行くらしい。「ほな、さいなら」と言って追い越していった。せっかくだから宝塚まで歩くことにする。
信じられない。ゴルフ場のど真ん中を縦走路が走っている。なんやらハスキーと言う目の青い露助のワン公を連れた家族連れに道を確認する。間違いないようである。これではゴルファーにとっても、ハイカーにとっても悲惨だろう。それもこれも、皆、明治時代に神戸に駐留していたイギリス人が悪い。15時に931.3メートルの六甲山のピークに着いた。ここにはフェンスで囲まれた巨大なアメリカ軍のパラボラアンテナが設置されている。こんなのばっかり。もう嫌。加藤文太郎も草葉の陰で嘆いていることだろう。ケルンを思わせるような(と言うよりNHKの『アインシュタイン・ロマン』に出てきたトリニティサイトの碑みたい)六甲山最高峰の碑が建っている。
しばし休息の後、写真を撮って出発。10分も歩くと東六甲縦走路が始る。宝塚まで13キロ、2時間50分との標識がある。やっとまともな一般道にでた。さぁ気合を入れて行こか。天気予報では天気が下り坂とのこと。急いで宝塚まで降りたほうがよいだろう。よく整備された物静かで落ちついた一般道である。開発されつくした六甲山頂付近とはえらい違い。気に入った。実に良い。道は一本きり、迷うことはない。そのうえにゴミが落ちていない。ほとんどといってもよいぐらいに道は平坦である。但し、この東六甲縦走路は樹林帯であるために展望は、あまり期待できない。時間があるときに、のんびり散策するのにはちょうどよいだろう。
大平山から少し進むと急な下り坂があるが、距離も短くロープも張ってあるので危険はない。そこを降りきったところが大谷乗り越えで、車道が横切っている。そのまま一時間近く歩くと塩尾寺に着く。そこからはアスファルトで舗装された勾配のある下り坂をいっきに宝塚まで降りる。途中塩尾寺の休憩所で水を飲んで休憩していると、ジョギングしていた爺さんがいた。何処から来たと聞かれたので、摩耶から、と答えていろいろ話し込んでいた。昔は六甲も奥の深い山だったらしい。そこら中に水場があり、水筒など要らなかったという。車に気をつけながら歩くのは嘆かわしいと。彼のお勧めのコースは、宝塚から東六甲縦走路を歩き、六甲山のピークを踏んで、一軒茶屋までピストンしてそのまま、魚屋(ととや)道を降って有馬温泉に浸かって買えるルート。有馬温泉からバスも頻繁に出ているらしい。なるほど、その方がいいかもしれない。
地図によると、水無山、大平山、岩原山、岩倉山、のピークを踏んでいるのだが、気がついたのは大平山だけだった。地図の読解力の無さを反省する。
なお開発されつくしているのは六甲山の山頂付近で(だと思う)あり、バリエーションルートや、ロッククライミングの練習場のような岩場もあり、ルートによってはファミリーハイキングから熟練者までけっこう楽しめるコースがあるようである。たまたま、筆者の歩いたハイキングコースが最悪だったと思いたい。
17時40分に阪急宝塚駅に到着。遊園地や歌劇団なんかで有名なあの宝塚。コースタイムを30分短縮できた。
急行に乗車して出版されたばかりの甲州さんの『激突上海市街戦』を読みながら大阪に帰る。
次回、鈴鹿山脈前衛峰。少しはシリアスできるかも。