葛城山、岩橋山、二上山

中野[日本以外全部沈没]浩三

 さて、前回は遠くへ行き過ぎた。それで銭も体力も気力も時間も使い果たしてしまい、まぁ、手頃なところダイトレ(ダイヤモンドトレイル、略してダイトレ、DT、大阪府と奈良県で整備されたハイキングコースで起点は奈良県香芝町の屯鶴峰(どんずるぼう)から大阪府和泉市の岩湧山までの尾根伝いに総延長約四六キロ、幅員一〜二メートルは確保してある。金剛山をダイヤモンドに引っ掛けて命名したのだろう。DTの中間点位に大阪府の最高峰の金剛山がある)の北1/3を歩くことにした(まるで中高年の山歩き)。
 二月九日、五時三〇分に家を出る。真っ暗。近鉄大阪線の尺土(しゃくど)で乗り換えて近鉄御所(ごせ)に着いたのが七時一五分。デイパックに登山靴を履いたハイカーがチラホラしている。勿論筆者もデイパックである。粉雪が舞っている。そして葛城山(かつらぎさん)山頂はガスっていて見えない。多分雪が降っているのだろう。ロープウェイの登山口までのバスはまだ来そうにもないし、ただ待っているのも寒いだけで嫌だし、たいした距離もないので歩くことにした。
 歩き出して五分ほどすると前をハイキング姿の爺さんが歩いていたので声をかける「ちわー、何処らまで?」「ああ、電車に居たはった人やな。金剛山まで行こか思ってなぁ、あんた何処まで行きはんねん」「このまま葛城山登ってダイトレ歩いて屯鶴峰に降りようかと」だべりながら歩く。六地蔵で別れた。山開で畑仕事をしている地元の人に道を聞いた。と言うのは地図に載っているコースは数年前の集中豪雨で数箇所にわたって寸断され、新しいコースが完成したとの情報があったからである。「先週はえらい雪が降ってなぁ、ぎょうさんの人やった。兄ちゃんやったら一時間もあったら頂上に行けるやろ」などと言いながら親切に教えてくれた。ロープウェイの登山口に着くと山頂の売店の顔見知りのオバちゃんがロープウェイで出勤するところだった。「今日はあんた一人か?」「そう、ここから登ろうかと思って」
 ロープウェイを尻目に登り出す。五分も歩くと櫛羅(くじら)の滝に出る。由緒書きによると、弘法大師(空海)が命名したとなっている。滝の下流はしっかりと護岸工事がされていて、どこか都市公園を思わせる。しばらく登ると二の滝、別名、行者の滝に出る。地図で見ると丁度海抜五〇〇メートル付近だ。そこからは大きく東へ巻いた、よく整備された道があり、薄っすらと雪が積もっている。ショートカットしようかと思ったが、倒木が多いのでやめた。雪の上に真新しいトレースがくっきりと着いている。やがて女の子の二人連れに逢った。軽アイゼンを装着しているところだった。御丁寧にロングスパッツまで履いている。この程度の雪なら、表面が凍結している訳でもないのに、アイゼンなんて歩きにくくなるだけで必要ないだろうに。
 「お先」と言って彼女達を追い越してよく整備の行き届いた一般道を歩く。たいした勾配もなく、またブッシュ漕ぎくらいは覚悟していただけに拍子抜けである。婿洗いの池に着いた。ここまで来れば頂上まではあと少しである。木製階段を登るとロープウェイの山頂駅がすぐ近くにありスノーボードや、でかい鍋を担いだ家族連れや町内会の子供会なんかの一行でいっぱいである。
 葛城山の名の由来は日本書記の神話のなかに、手足の長い土蜘蛛のような古代人が住んでいて暴れ回り葛の蔦で編んだ網で捕らえたことから金剛山も含めてこのあたりの山系一帯を葛城山と呼ばれていたらしい。
 売店、食堂、国民宿舎などを通り抜けて、粉雪の舞う葛城山山頂に着いたのが九時半頃だったと思う。いつもならば、九六九・七メートルの山頂からは東に奈良盆地や大峯山脈、南に金剛山、西に大阪平野や大阪湾、北に続く稜線が見えて、三六〇度のパノラマが楽しめるのだが、残念ながらガスっていて何も見えない。三aほどの積雪の中をスノーボードで遊んでいる家族連れが目につく。何度か葛城山には登ったが、雪の日は初めて。樹氷が綺麗だった。家族連れには手頃なハイキングコースだろう。歩いて登るのが嫌な人はロープウェイを使えばよいだろう。
 写真を撮って(筆者は、チョークバックの中にカメラを入れて、手袋やネックアップに包んで持ち歩いている。直ぐに取り出せて結構便利。良いアイデアでしょ)暫く遊んで、焚火にあたりチーズを食べスタートしたのが一〇時半。ビジターセンターの裏に回り込んで、標識に従い階段を降りる。
 ここからは勝手知ったるダイトレである。ダイトレ名物木製階段を歩きだして五分ほどすると一人の爺さんと擦れ違った。三時間で當麻寺(たいまでら)から登って来たらしい。いつも思うのだが、ダイトレを歩いている中高年はなんと健脚なのだろう。筆者のような若僧ごとき、とてもついて行けない。このルート、よく整備されているが家族連れが歩いていることは希である。では、どのような人が歩いているかと言えば、子供に手がかからなくなって時間と元気を持て余した中高年が圧倒的に多い。その他、中高生のワンゲル部員が団体さんで耐寒訓練をやって奮闘しているぐらいだ。
 単調な道を歩いていると眠たくなってきた。考えてみれば昨夜は四時間しか眠っていない。岩橋山に着いたら昼食にしよう。ガスも晴れてきたことだし。樹林の切れ間から奈良盆地にポコポコと畝傍山、耳成山、天香具山といった万葉集に登場する大和三山が見える。
 急階段を降り、そろそろ関西電力の送電鉄塔が見えるはずなのだが、と思っていたら鉄塔が出てきた。ここが標高五八〇メートルの岩橋峠である。きっちりとベンチまである。左に行けば平石に出れる。前進すれば岩橋山である。今回のコースでは距離は短いがこの登りが一番きつい。登りきったところが標高六五八・七メートルの岩橋山でベンチもあるが見晴らしはまるでない。ここで昼食にするつもりであったが、お昼前なので平石峠で昼食をとることにする。歩いていると何だか疲れがでてきた。この疲れ方には覚えがある。原因も分かっているし、解決手段も分かっている。シャリバテ(車で言えばガスケツ、エネルギー補給もしないで調子に乗って休まずに歩いているとバテてしまう。これをシャリバテと言う)である。
 平石峠に着いたのは一二時頃だった。荷物が軽いとペースも速い。ベンチも三つ並んでいる。先客がいた。珍しく学生さんだった。話を聞いてみると大学でワンゲルをやっていて、今日は一人で葛城山まで行くところだと言う。筆者とは逆コースだ。
 エスビットで珈琲を沸かしパンを食べていると平石から数台のモトクロスバイクがバリバリと派手な音を立ててやってきて、ダイトレを北へ登っていく。ハイキングスタイルもかわったものだと感心している場合ではない。暴走族でないのは見れば分かるが、都会の雑踏を嫌ってやって来たハイカーにとっては迷惑だ。コースも荒されるし、バイクが通り過ぎた方向からやって来たオバさん達がひどくご立腹である。当然だろう。一時間ほど休憩してそろそろ寒くなってきたので出発する。コースには轍がくっきりと付いている。ぶち壊しだ。
 ここからは道が入り組んでいてコースを外しそうになるが、コースを示す赤いリボンやペイントが付けられていて、忠実にたどれば三〇分程で国道一六六号線に出る。交通量が多い。ここが竹内峠で大阪府と奈良県の県境の碑が立っている。車に注意して国道を横断し、そのまま真直ぐに岩屋峠を目指す。初めは急な登りだが直ぐに平らな道になる。
 まもなく二上山の雌岳が見えてくる。岩屋峠に着いて標識を見ると今通ってきた道は行き止まりになっている。嘘でしょう。二上山の雌岳に行くジグザグ道を登りきるとそこが標高四七四.二メートルの頂上である。樹木は伐採されていて、都市公園を思わせるような巨大な日時計があり芝生まで植えられている。展望はよく、奈良、大阪が見渡せ、南には縦走して来た稜線が見渡せる。家族連れが多い。馬の背と呼ばれるコルに降りるとトイレがありキジを撃つ。ここから一〇分か一五分程で標高五一七・二メートルの二上山の雄岳の山頂に行けるが、美化協力金として二〇〇円払わなければならない。雄岳山頂には壬申の乱の後、宮廷闘争に敗れ非業の最後を遂げた大津皇子の墓がある。まぁ、何度か行っている処だし、ピストンする気にもなれないし、今回はパス。
 急な木製階段を降りる。採石場があり、道が汚い。汚いというのはゴミが溢れているからだ。採石場を過ぎ、暫く歩くとグランドがあり、草野球をしている。そこを過ぎ、近鉄南大阪線のガード下を潜るとダイトレ起点の標識がある。西に三〇メートル程歩くと屯鶴峰の入口に着く。看板には昭和二六年一一月一日に天然記念物の指定を受けたとある。かつての火山噴火の名残で凝灰岩層の走行傾斜は南北に五〇度ある。確かに真っ白な変った岩が露出していて面白そうなところ。ボルタリングの真似事をやって遊ぶには丁度よい。
 暫く遊んで近鉄大阪線関屋(せきや)を目指す。国道一六五号線に出ると道が分からなくなった。自動販売機でアクエリアスを買って飲んでいると、父娘連れのハイカーがいたので道を聞く。彼らも関屋に行くところだと言うので同行させてもらった。住宅街を抜けて関屋に着いたのは一六時だった。
 尚、今回の概略図で大和葛城山としたのは、大阪近辺には葛城山とう山が他にもいくつかあるから大和葛城山にした。

葛城山、岩橋山、二上山

 ローダンを七冊ためたら、原田[事務局長]晋一隊員に楽しみが出来てええなあ、と言われた。これ以上ためたくないので読み出した。知らなかった。カール・ヘルベルト・シェールが去年の九月一五日で死んでいたなんて。ローダン・シリーズで死んだ作家は確か二人め。合掌。



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