雲仙山

中野[日本以外全部沈没]浩三

 六甲山地ですさまじい自然破壊を見せつけられすっかり嫌気がさした筆者は、近くに手ごろなハイキングコースはないかと捜してみた。アプローチが短く、比較的自然が残っていて、水場があり、それでいて展望がよく、日帰りの出来るそんな雪山。あった。鈴鹿山脈最北端に位置する霊仙(りょうぜん)山がそれ。
 本当は鈴鹿山脈を四、五日かけて縦走するための偵察も兼ねようかとのスケベ心があったのだが、鈴鹿の地図を引っ張り出してみると週末ハイカーである筆者にはとても出来そうにないとわかった。北・南アルプス(勿論日本の)のように一般道(バリエーションルートは除く)がはっきりとしているのならともかく、迷い込んだら抜け出せそうにもないからだ。逆に言えばそれだけ自然が残っている。

 三月八日快晴。七時四分新大阪発東海道新幹線こだま四〇二号に乗車。七時四五分に米原着。米原から東海道本線に乗り換えて三駅目の柏原で下車。すぐ北に伊吹山が見えるが、頂上付近に僅かに雪が積もっているのが見える程度である。伊吹山であの程度の積雪ならば、標高が三〇〇メートルも低い霊仙山では積雪は期待出来そうもないと思った。新幹線の窓から見えた比良には結構積雪はあったのだが(比良へ行けばよかった)。
 八時二〇分にJR柏原駅から「霊仙山登山口」と書かれた標識にしたがってまっすぐ南へスタートした。国道二一号線を横断して三、四〇〇メートル進み名神高速道路のガード下をくぐって、養鶏場を右に見て小さな沢に沿って緩やかな登りの林道を行く。はじめのうちは名神高速道路の喧噪が耳障りだが、一時間近く歩くとそのような喧噪もどこへやら、森がすべてを吸い込んだように聞こえなくなり、かわって野鳥の鳴き声が聞こえてくる。神戸の裏山とえらい違い。水場にはスチールカップが置いてあった。ここから少し登りがきつくなる。九時三〇分に一合目に着いた。ここには二本の大きな樹齢何百年かの杉がある。倒木に腰を降ろしてキットカット(マッキントッシュのチョコレート)を食べ、テルモスから珈琲を注いで飲む。雪山ハイキングを想定して一二本ツァッケのシュタイクアイゼン、ロングスパッツ、ワカン、ピッケル、ウインドヤッケ、ハーネス、細引きまで用意して雪がまったくない。装備のほとんどが無駄になったような気がする。ディパックで来てもよかったかもしれない。なんて思っていたら、男二人女二人の四人パーティが登ってきた。角型スコップを持っていたので何をするのかを聞くと、イグールを作ろうと思って持ってきたらしい。頂上には行かずにただの雪上ハイキングだそうだ。彼らが行った後にまた一人ハイカーが登ってきた。一五分の休息の後出発する。一〇時五分、二合目に着いた。展望がよく真北に伊吹山が見える。一般道に僅かに残雪がある程度である。一〇時一五分、三合目を通過。先ほどの四人パーティを追い越す。一〇時二五分、四合目に着いた。この四合目には黄色い四角の鉄製箱型の避難小屋がある。見ていると貨物列車のコンテナを思い出す。多分ヘリコプターで運び上げたのだろう。中を覗くと床までありなかなか丈夫そうな立派な避難小屋である。ザックを降ろして休憩していると先ほどの四人連れに追いつかれた。
 上からハイカーが一人降りてきたので上の情報を聞く。五合目から上には雪が結構残っているが、ラッセルされていて歩きやすいらしい。シュタイクアイゼンもワカンもいらないが、ピッケルぐらいはいるとのこと。四人連れが先行した。
 道がぬかるんでいる。地図を見るとこの尾根道がちょうど岐阜県と滋賀県の県境だ。岐阜県側に入り込んだら西日本百低山のタイトルを降ろさなきゃならない。題して「中部日本週末ハイキング」。
 冗談はさておき、五合目まで来ると本当にかなり雪が残っている。水場があるらしいが何処にあるのか分からない。五〇センチほど雪が積もっているが程よくクラストされていて歩きやすい。六合目で先行していた四人パーティが雪を切り出して鋸で整形してイグールを作っていた。スコップが無駄にならなくてよかったね。
 しばらく見物した後に出発。トレースやテープをたどっていたが笹薮の中に消えている。仕方がないので薮漕ぎをする。二〇メートルも薮漕ぎをするとまた一般道へ出た。七合目を少し登ったところに「伝説、ママコ穴」と書かれた標識があったが、どのような伝説かは不明。一般道からはずれるがそこはスケベな筆者、穴があったら覗いてみたい。さっそく一般道からはずれ、石灰岩に囲まれたママコ穴を目指した。登っている最中にズボッと腰まで雪の中にはまりこんでしまった。抜け出すのに苦労する。やっぱり一般道からはずれたらワカンは要るかもしれない。穴を覗くと垂直に切り込んでいて中が暗くてよく分からない。マグライトで照らしてみるがビームが届かない。細引きも二〇メートルしかないし、出られなくなると困るので穴に入るのはやめた。酸欠、あるいは有毒ガスが発生している可能性もあるし。(帰宅してママコ穴について調べてみた。継子穴=石灰岩に囲まれた深さ二〇メートル程、直径三メートルの風穴で、昔に継子を捨てた伝説があるらしい。なんと恐ろしい伝説なのだろう)三〇分程度のロスタイムである。八合目から五〇〇メートル登ると九合目に着く。一二時三〇分、キットカットを食べ水を飲む。後ろの笹薮がガサガサと音がするので振り向くと何かがいるみたいだ。何かが薮をやって来る。熊?!と思うと恐くなった。積雪期に出る熊は腹を空かせて冬眠から起きてきた熊だ。ピッケルを両手で握りしめて防戦の構え。こんなものでも気休めぐらいにはなる。笹薮から出てきたのは一般道を踏み外した一人のハイカーだった。「ちわー」人騒がせな。
 思ったよりも時間がかかるし疲れる。陽の当たらない斜面を歩いていると雪がカチカチにクラストされてるが、ピッケルがあれば何とかなる。「霧に注意」と書かれた標識がある。一二時五〇分に米原避難小屋に到着。この避難小屋は外から見ると丸太でできた屋根のとんがったお伽噺に出てきそうなメルヘンチックな小屋であるが、中は床がなく土間である。桶に水が張ってあったがカチカチに凍りついていた。
 写真を撮る。熊と間違えたハイカーがいたのでシャッターを切ってもらった。ここからは中霊仙(北峰、あるいは経塚山との別名がある)まで目と鼻の先である。結構ハイカーが登っているのが見える。五分も歩くと中霊仙に着いた。東側斜面に腰を降ろして昼食にした。南に霊仙山の山頂とそこから東側に三角点がある最高点がよく見える。頂上付近一体はカルスト台地で、笹薮か石灰岩特有のカーレンフェルトやドリーネがいたるところに点在していてのどかな感じがする。この辺り(鈴鹿山脈)までくると名古屋から来た人が多い。鈴鹿山脈は近代になってからは名古屋の人間が盛んに登ってきた山だから当然。養老山地を見ながらこの程度の山ならば一日あれば縦走出来そうな気がする。名古屋人が道がないのでやめろと言う(国土地理院の地図では道がある)。そう言う彼はかつて勝手知ったるこの山でガスのため集団でリングワンデルグをやったらしい。遭難事故を起こさなかったのがなによりである。
 時計を見ると一三時五〇分である。霊仙山までは一旦笹薮を降って少し登ったところを右に行く。夏ならば笹薮が生い茂っているのだろうが、今は雪で覆われているためにキックステップで楽に登ることができる。標高一〇八三・五メートルの山頂に着いた。真北に伊吹山が独立峰のように見える。その向こうに美濃の真っ白な山々が、東側は養老山地、そして濃尾平野がその向こうに広がっている。見える町並みは大垣市だろう。南は鈴鹿山脈の山並がはてしなく続いている。西の眼下には対IBM戦に備えて列島防衛軍の湖底要塞の建造が急ピッチで進められて・・・いるはずもないか。琵琶湖、その向こうに比良山地が雪を被っている。雲一つなくやわらかな日差しに春を感じる。一〇九八メートルの最高点には東へ六、七〇〇メートル程。ところがこれが薮漕ぎをしなければならない。上に向かって薮漕ぎをしていると最高点に着いた。枯れ木にエビノシッポがビッシリと付着していたので採って食べる。冷たくて美味しい。
 ここから西南尾根を通って下山するつもりだったが、薮に覆われていてルートが分からないので引き返す。北東側斜面を雪に埋まりながら勝手にトラバースして、中霊仙を経て八合目と九合目の間のコルまで結果的にはピストンした。ここから谷山谷を降りる。雪の積もった谷底を三〇分程降りた所でいきなり水が吹き出している。水場である。ここからは雪がないのでピッケルをザックにしまう。水筒に水を補給して靴紐を締め直しチーズを食べて休息していると、上からゾロゾロと二、三〇人の団体さんが降りてきた。先行する。石灰岩がゴロゴロする急な谷底を歩いていると、ちょっとしたバリエーションルートみたい。本当は一般道なのだが。やがて落差七メートルと三メートルの二段の漆ヶ滝にでる。夏の日照りが続いても枯れることがないらしい。しばらくは川が続いたが、やがて水はなくなり石灰岩がゴロゴロとした河原が続く。石灰岩質だから水が地下に吸収されてしまうのだろうか。一七時〇〇分に屏風岩に着いた。水場からここまで団体さんと抜きつ抜かれつだった。ここから先は車でも侵入できる道路がある。なんとなく団体さんと行動を共にする。安治川のハイキングクラブのメンバー達だった。低山ハイキングから雪山縦走、ロッククライミングまで幅広くやっているらしい。七〇歳の爺さんまで混じっていた。近頃の年寄りは元気がよい。長靴を履いた者までいた。上丹生のバス停に着いたが後四五分も待たなければいけない。JR醒ヶ井駅まで約三キロ。歩いたところで三〇分とかからない。皆でワラワラワラと歩く。二五分で駅に着いた。筆者にはこの位のこの季節が程よい山行だった(夏の鈴鹿は笹の勢いが強く薮漕ぎがたいへんなうえ、蛭がいっぱい出る)。十分に楽しんだ一日だった。
 米原から新幹線こだま四四五号に乗車して「琵琶湖要塞一九九七」の四冊目を読みながら帰阪する。
 甲州画報四六号の天羽[司法行政卿]孔明隊員(いつ役職名を変えた?)の記事を読んでみて思った。雪女ってゾッとするほど凄い美人なのだろう。雪山で雪女に抱かれて永眠してみるのも一興かと(雪男ならパス)。逢ってみたい。出てきたらお酌ぐらいはしてほしい。

霊仙山



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