天ちゃんの・徒然草子
地震・2

天羽[司法行政卿]孔明

 今回のテーマは、『地震』の2回目です。
 なんとか今回も、怒りのエッセイにならないようにするつもりです。
 さて、関西大震災から<はや2ヶ月がたとうとしております。世間では日々の忙しさにかまけて、徐々に地震の報道が少なくなり、TVなどでもコメディ番組がふえ、コマーシャルも、公共広告機構のポイステ禁止や、海を汚すなっていうのから、ごくごく普通のものへと代ってきました。
 でもね、あの地震での被害は、今も出ているんですよね・・・。

 先日、仕事で淡路島まで行って来たんですが、神戸の酷さもさる事ながら淡路島もたいがい酷いですね。
 仕事関係の人の中にも、家が全壊し、被災している方がいるのですが、2月頃に話を聞いた時には、「とりあえず生きていてよかった。本当に、命あってのもの種だ。これからまた、0から始めればいいんだ」って言ってたんです。それが、先日逢って話をしていると、「本当はOじゃなくってマイナスだったんだ」なんて言うんです。借金ばかりが残って、商品は灰になり、従業員もやむなく解雇したんだそうです。その人は、もしもあの時自分が亡くなっていれば、その生命保険で会社も従業員もなんとかなったのに・・・と、嘆いておられました。その話を聞いていたぼくは、なんと答えたらいいのかが解らずに、安直に励ます事が出来なかったのです。
 でも、それでもやっぱり、生きていりゃこそ。なんだと思います。
 被災地の避難所では、本当にこんな人が沢山いるんですよね・・・。

 地震報道の事を書きましょう。
 我が家でもそうなんですが、地震直後はやはりTVのNHKを点けました。
 神戸で被害が大きいと解った段階で、ラジオのAM神戸(旧・ラジオ関西)に周波数を合せました。
 その後、あちらこちらのラジオ局やTV局の地震報道を見たり聞いたりしたのですが、全体的に、TVの方はだめですね・・・。聞いていて腹の立つ報道が殆どで、その事を書くと、怒りのエッセイになるのは必至です。特にAというニュース番組のメインキャスターは最低でした。TVに向って、思わず蹴りをいれそうになってしまいました。
 だいたいあんな・・・、って書くと、ほら、簡単に怒りのエッセイになるでしょ。
 もちろんTVだって、ましな所はありました。神戸に本局のある『サンテレビ』
っていうUHF局です。ここは地元の放送局だけあって、地味ながらもよく頑張っていました。でも、ここだって東京からネットが流れてくるとだめでした。
 まぁそれに比べれば、ラジオ報道は断然良かったですね。特に、先に書いたAM神戸は、放送中に震災にあい、局そのものが半壊し、今も仮設放送局にて放送しているぐらいですから、他所の局が神戸市内の状況を伝えられない中で、確実に現場の状況を実況しておりました。またここでは、生きている人同士の連絡に使って下さいと、まるで伝言板のような役割をしておりました。
 ラジオ局に関しては、他の局もなかなかいい放送をしていました。
 でもねぇ、思うんですよ。もしもこの地震が関西でなければ、先に書いた放送局だって、結局他所と同様の報道しかできない事でしょう。現に高感度ラジオを使って、他府県のラジオ放送を聞いていたら、TVの腹の立つ報道とほとんど変らなかったのですから。まっ、それが現実でしょうか・・・。
 色んな放送のなかで一番してほしかったのは、死者の名前を羅列する事よりも、生きている人の名前の方を、手当りしだいでも構わないので教えてほしかったと思います。こんな事を思っているのは、ぼくだけなんでしようか・・・。

 そうそう、先月号の『こうしゅうでんわ』の中で甲州先生が書いていた、Sという会社のブロック工法の住宅ですが、先月の中ごろ東大阪にあるモデルハウスの展示場へ行ったら、そのS社の住宅が立っていました。で、当然中に入ったのですが、そのモデルハウスの中には、かの《地震に強い》と書かれた新聞の切抜きが貼ってあり、そこにいた営業マンも、しきりにその事を誇示しておりました。いゃー、人間何でも商売に結びつける物だと感心してしまいました、はい。

 という所で、今回はここまで。次回のテーマも、ひつこく「地震」です。
 では、また・・・。

 大友柳太郎主演の「丹下左膳」のビデオを見ながら・・・。

1995.03.06, AM,01:02,



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