天ちゃんの・徒然草子
月・1

天羽[司法行政卿]孔明

『月づきに 月みる月はおおけれど 月みる月はこの月の月』なんてね。
 こんにちは、天ちゃんです。

 実は今回まず最初に、みなさんにあやまらなくてはなりません。と言うのも、前回の最後の所で、『次回は釣りです』って予告をしたのに、今回はぼくの都合で“釣り”から“月”に変更させてもらいました。一字違いで大違いとはこの事でせうか?
 まぁ、テーマが変更になったって、前回の予告を憶えている人の方が少ないでしょうけどね……。

 さてさて、突然テーマを“月”に変更したのには、もちろん理由があります。
 ははーん、この間の皆既月食に触発されたんだなって考えた人、正解です。わたくし、はっきり言ってミーハーなんです・・・。
 たしか以前にも書いた事があると思うけど、自然が織りなすショーって、大好きなんですよ、ぼく。カミナリとか、台風とか、地震とか、大風とか、雨とかね・・・。
 今ぼくがもっとも心待ちにしている地球規模のショーは、一九九九年七月の、“地球最後の日”って奴です。この日の話しをすると長くなるので、いずれまた書くという事で、話しをもどしますね。
 ぼくの数ある趣味のひとつに、こういった自然のショーを見ながらお酒を呑む、というのがあります。これって、すごくお酒が美味しくなるんですよ。
 で、今回もまた、屋根に昇って皆既月食を見ながらお酒を呑んでました。
 悲しい事に今回の皆既月食は、すこし曇り空だったため、最初から最後までを、ずうっと見続けるというわけにはいかなかったのですが、それはそれでまた、風と雲の動きを見ながらってのもなかなかおつなもんだったですね。
 八時すぎから欠け始め、十時すぎにふたたび満月になるまでの約二時間。ウォークマンで『新世界紀行』のサウンドトラツクを聞きながらバーボンを呑む。はっきり言って、《至福の時》とは、こういう時間の事をいうのではないかと思います。(相方の麻衣子さんは、あきれてましたけどね・・・)

 今回この皆既月食を見ながら屋根の上でつらつら考えていたんですが、“月”って、やっぱり、すごく神秘的なんですよね。世界中に数多く存在する、“月”にまつわる伝説や伝承のほとんどが、“月”を神聖視している理由が実によくわかります。
 月の周期と女性の周期と潮の満ち引きの関係や、人の、いや、生命の生き死にの関係にさえも、月は大きく関わっています。
 西洋の『狼男伝説』なんかも、そういった“月”そのものの持つ陰の魔力が生み出した話しだったように記憶しています。
 日本国内にだって、『かぐや姫』を筆頭に、多くの作品がありますよね。
 『かぐや姫』といえば、中国の古典の中には、その原型になったと思われる作品があったはずです。
 最近のテレビアニメの『セーラームーン』ってのも、月の使者だったんじゃないでしょうか(なんだか月光仮面みたいですが、実はぼく、まだこのアニメを一度も見たことないのでよくわかんないですよね・・・)。そう言えばひと昔前の実写アニメ『好き好き魔女先生』の主人公は、かぐや姫だったんじゃなかったかな。うん。
 物語だけではなく、月の出てくる歌も多いですよね。《ムーンライトセレナーデ》や、《ムーン・リバー》なんて曲が、ぼくは好きなんです。
 アポロ11号が月に初めて人類をつれていった時、ぼくはまだ子供だったのですが、テレビにかじりついて見守っていたっけ・・・。
 あの時、アームストロング船長(?)が言った、「地球は青かった」って台詞にも感動したけれど、それよりも、「この一歩は小さな一歩だけど、人類にとっての大きな一歩である」って台詞のほうに、より感動してましたよ。ぼくは・・・。
 余談になりますが(って、これは余談ばかりの文章なんだけどね)、今になってあのテレビ放送はやらせで、本当の月の映像ではなく、アメリカにあるどこかの場所で撮影してたんだよ。なんて事をまことしやかに語っている人達が数多くいるらしいです。そういえばそんな映画もありましたよね。『カプリコン1』だったかな。
 ぼくとしてはあの事件がやらせだったかどうかよりも、いま、大阪から見上げている空のなかにほとんど星がみえない事のほうがよっぽと重大だし、さみしい事なんですよね。このまま行けば、月さえも見えなくなるんじゃないだろうかってね・・・。
 次の皆既月食は四年後らしいんだけど、その時まだ月が見えていたなら、息子のガっちゃんと一緒に観察して、“天”の話しでもしようかしらん。

 というわけで今回はここまで。次回のテーマは、こんどこそ『釣り』にします。
ではまた・・・。

 ケニー・ドリュー・トリオの『ムーンリット・デザート(月の砂漠)』を聞きながら・・・。

1993.06.09, AM,05:15,



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