やぁ、みなさんこんにちは。お元気してましたか? なんて・・・、いつもこの原稿を書く時に悩む事がひとつあります。それは、どんな書き出しで始めるかと言う事なんですよね。とりあえず出だしがうまく書けるとそのあともつらつらと書けるんだけど、出だしで詰ってしまうと、あとはグチョグチョになってしまうのです。はてさて今回は、こんな出だしになりましたが、いかがあいなります事やら・・・。
なにはともあれ『天狗』のお話しです。
さて『天狗』と書いて、“てんぐ”と読む訳ですが、実は、始めて日本書紀に登場した時は、これを“あまつきつね”と読んだそうです。ほかにも、“てん・く”などと読む事もあります。また、『天狗神』と書けば、これを“あまのざこ”と読んだりする事もあるようです。
これらはすべて、《天を駆ける『狗』》ということなのですが、では、この『狗』とはなんなんでしょうか? って、まあそんなに難しく考えなくってもいいのですが、いわゆる“いぬ”や“きつね”の事なんですよね。で、つまり、先に書いたように《天の獣》。早い話しが、前回書いた“龍”と同じく《神獣》と言う事になるわけです。それがいつの頃からか「赤ら顔で鼻が高く、一本歯の高下駄をはき、右手に羽団扇、左手に金剛杖をもった山伏姿の大男」として語られるようになったのです。
一般には、室町時代の頃からそのような姿として語られるようになったと言われていますが、実際には、もっと古くからそういう姿で書物に登場しているようです。
ちなみに、それ以前の『天狗』の姿は、先に書いたような《神獣》以外に、ただの大男であったり、逆に、童子姿であったりと、その姿にさだまったものは無く、むしろ無形の山の神(グヒン)として語られていたようです。
伝説に出てくる『天狗』の中でもっとも有名なものは、やはりなんといっても牛若丸(源義経)の話しに登場する『鞍馬山の天狗』ではないでしょうか。もっとも、ぼくとしては、【天狗裁き】という落語に登場する『天狗』のほうが好きなんですけどね。
他にも、『天狗』の登場する話しは沢山あるのですが、前回の『蛇』や『龍』同様、善悪両面を合わせもっているため、山の神として人々に善行をなす話しと、山中にて怪異をなす話しの二種類があります。もっとも、昔話の中には、【彦一話】のように、ただの竹筒を遠眼鏡と言われてだまされ、まんまと彦一に隠れ蓑と羽団扇を取られてしまうと言うような、こっけいな笑い話のネタにされている事もあるようですけどね。
ところで『天狗』には、『烏天狗』と言う眷属がいるのですが、この『烏天狗』は、その名の通り、烏に神通力を持たせたものなので、『天狗』ほどではないにしても、けっこう昔話の中などで活躍をしているようです。また、この『烏天狗』の事を、毒蛇を食べ、魔を打ち破ると言われる『怪鳥・迦楼羅』と同一視する事もあるようです。
しかしなんですね。この『天狗』が妖怪かそうでないかわ議論の別れるところだと思うのですが、もしもちゃんと妖怪の一種とするならば、おそらく一番有名な妖怪と言うことになるのではないでしょうか。ぼくとしてはやっぱり、妖怪であるとしたいのですがね・・・。
この『天狗』と同じぐらいに有名な妖怪(?)としては、『鬼』があげられるのではないでしょうか。もっともぼくは、少々この『鬼』が怖いため、あまりこの『鬼』の話はしたくないんですよね。だからこの連載では、『鬼』と『○○○○(ちゃんと名前を書くのも怖い)』の話しには触れないつもりです。いやはやなんともおはずかしい・・。
最後になりましたが、『天狗』の鼻って、どうしてあんなにながいんでしょうかね? もしも知っている方がおられたら、ぼくに教えてもらえませんか。いくら手持ちの資料をひっくり返しても書いていないんですよ、はい。
とまぁ、語れども尽きない『天狗』の話しはひとまずここらでおいておくとして、次回は、『諸外国の妖怪』について書いてみようと思います。
ではまた、来月お逢いいたしましょう・・・。
今回のうまいもん巡りは、ぼくの大好きな町、京都です。
京都料理というのは、どちらかというと味や量よりも、むしろ目で味わう事に重点をおいている店が多く、安くてうまくてボリュームがあるというような店はほとんどありません。そんななかで、伏見稲荷の参道沿いに店を構える焼き鳥屋の老舗(焼き鳥屋にまで老舗がある所がいかにも京都らしいのですが・・・)の『祢ざめ屋』さんは、きっと満足してもらえると思います。ぼくも、初詣でに伏見稲荷へ行ったときは、かならずといっていいほどこの店に立寄るようにしています。
京都といえば「湯どうふ屋」と「お茶づけ屋(って、こんな店はほとんどないのですが)」しか無いと思っているそこのあなた。一度この店に来てみてくださいませませ。