天ちゃんの・捜妖記
      

天羽[司法行政卿]孔明

 今はむかしの話。って、そう、江戸の終りごろの事かな……。
 京の東山のはずれにある長屋に、准応という一人の売れない絵書きが住んでいました。年齢は二十三・四歳。一人者で、ちょいとばっかし絵がうまいって事以外にとりたてて特筆するべき点が無いっていう、いたって平凡な奴だったんです。
 でも、そんな准応にだって、ちゃんと夢がありました。それは、写楽や北斎のように有名な絵書きになりたいという、まっ、なんていうか、絵書きなら当然といえるような夢だったんですよ。
 売れない絵書きとはいへ、もちろん仕事はありました。たとえば、瓦版屋の挿絵を書いたり、人の集まる所へ出かけて行って似顔絵を描いたり……、そんなふうにして日銭を稼いでいたみたいです。
 ごくごく稀ではありましたが、祇園のお茶屋に呼ばれ、そこで舞妓さんの似顔絵を描くなんていう事もありました。そんな日はちょいと実入りがいいもんだから、好きなお酒をいつもより大目に飲めるのが楽しみだったようです。
 さて、そんなある日……。久しぶりに祇園の中村屋というお茶屋のお座敷によばれ、二・三枚程も似顔絵を描いた帰りの事。
 懐が少しばかり暖かくなったので、東山五条にある行きつけの小さな飲み屋で一杯ひっかけて、ほろよい気分で塩小路橋のたもとに差しかかった時、そこにひっそりとたたずむように立っていた一人の女に声をかけられました。
「もし、あんた……。絵書きさんでしょ?」
「ええ、そうですが……」
 答えたものの、しかし、五月それもまだ肌寒いような夜中に、こんな寂しい橋のたもとに立っているような女がまともであるはずがなく、恐らくは孤狸妖怪の類に違いないと考え、かかわりになるのを恐れて足早やにその場から遠ざかろうとしました。
「ちょっと、待っておくれやす……」
 その声に、つい振り向いて、目と目があったその瞬間。まるで蛇ににらまれた蛙のように、もう、その場から動く事ができなくなってしまったのです。
 その女は、年の頃なら三十路前後。薄紅色の着物に黒っぽい帯をしめた、なんとも妖艶な美女でした。
「実は、ここでわたしの絵姿を描いてほしいんどす。お代金は、ほら、ここに……」
 そう言ってその女が差し出したお金は、三両もあったのです。
 恐ろしかったのは事実なのですが、それでも、そのお金の額と、あまりにも妖艶なその姿を自分の絵筆にとどめておきたいという絵描き根性につられてつい承知してしまったのでした。
 幸い紙も絵の具もその場にたっぷり持っていたので、さっそく月あかりだけをたよりに、まるで取りつかれたようにその場で女の立ち姿を描きはじめたのです。
 ところが、何枚描いても女は絵が気に入らないらしく、「もう一枚、あと一枚……」と言ってくるのです。
 やがてしらじらと東の空が明るくなってきた頃、
「明日の夜、もう一度この場所で……」
 女はそれだけの事を言うと、准応の手に約束の三両を握るらせて、その場を去って行きました。
 あとに残った准応は、全身にびっしょりと汗をかき、ハアハアと肩で息をしながらその場に座り込んでしまいました。
 それでもなんとか落着くと、あたりに描き散らかした紙を拾い集め、ほうほうの体で長屋へ帰り、そのままゴロリと寝てしまったのです。
 目が覚めたのは、その日の夕方でした。けだるい体に鞭うって井戸端へと行き、顔を数回洗って、ようやく前夜の事が思いだされたのです。
 懐には、確かに三両がはいっていたので、やはり夢ではなかったのです。ところが、数枚は描いたはずの女の絵が、一枚もみあたりませんでした。というか、描いたはずの絵が、紙の上からすべて消えていたのです。
 やはり物の化だったのでしょうか……。でも、准応には、もうそんな事はどうでもよくなっていました。とにかく、狂おしいほどひたすらに、あの女の絵を描きとめておきたかったのです。そうする事が自分の使命であるように思われてしかたがなかったのも事実です。
 結局その日も昨夜の場所へ行き、そこでその女の絵を描き続けたのです。でも、やはり女はそれらの絵が気に入らず、その日も朝帰りとなったのでした。
 そんな日が数日続きました・・・。
 さすがに異様な准応の姿と行動に、何人かの長屋の連中も気にしだし、さりげなく訳を聞こうとしたのですが、准応は、一切答える事はなかったのです。
 そしてそれから三日目の昼過ぎ、准応は長屋の一室でこと切れていたのです。
 その時准応の手には、一枚の絵が握られていたのです。
 そこに描かれてあったのは、裾に般若の柄の入った薄紅色の着物を着、髑髏の柄を薄く織込んだ黒っぽい帯をしめた女が、右肩越しに振り向き、口許に艶然とした笑みを浮かべ、それでいて目はその絵を見ている者に挑みかかってきそうな程鬼気迫るものがあるという、妖艶な女の立ち姿だったのです。
 まさしくそれは、あの塩小路橋のたもとにたたずんでいた女、そのものだったのです。
 実は先日その絵を、京都の河原町にある古本屋で見つけてきたのです。で、その絵をもとにこんな話しをでっちあげたのですが、どうも妙な事に、今回の題名なんですが、何度書いても「     」と、空白になってしまうんですよね……。なんなんでしょうか?
 さて、気を取りなおして次回は、「蛇と龍」です。
 では、また来月……。
 どっとはらい……。


 付録 天ちゃんの、全国うまいもん巡り

 なお、今回は、本文が何時もより長くなってしまったので、『全国うまいもん巡り』は休ませてもらいます。けっして、さぼっている訳ではないのであしからず。



back index next