前回予告した通り、今回は狐のお話しです。
唐突ですが、日本の妖怪には、何通りかの出生の秘密があります。たとえばそれは、自然現象が具現化したものであったり、また、命をもたない物が長い年月をへて、命を持つようになった物であったり、あるいは、人や動物が年をとって魔力や妖力をもったものであったり、はたまた、神の眷属や神そのものであったり、さらには、大陸(中国)や、諸外国から渡ってきたものであったりします。
さて、今回テーマにする狐は、基本的には神の眷属なわけですが、“金毛・九尾の狐”のように、大陸から渡って来たものもいます。
この“金毛・九尾の狐”は、大陸から渡って来た妖怪だけあって、その妖力は、数ある日本の妖怪の中にあっても、十指に数えられているようです。またそれだけに、日本はもとより、中国の数々の書物にも登場しています。なかでも有名な所では、殷の紂王の妲妃や、周の幽王の后襃姉、さらには日本の鳥羽院の寵姫玉藻前など、すべてこの“金毛・九尾の狐”であると言われています。
結局この“金毛・九尾の狐”も、弓の名人といわれる上総介広常と、三浦介義純の二人に那須野ヶ原で射殺されるのですが、その場で殺生石という石になり、強烈な毒気を吹出し、近くを通りかかった生き物をすべて殺したのだそうです。大変困った、時の天皇は、高僧・玄翁和尚に石の魔力封じを命令し、ようやくその毒気がおさまったといいますから、その妖力のもすごさがわかってもらえると思います。
まぁなんですね、ここまでものすごい狐の妖怪はほかにはいませんが、それでも、かなりの妖力をもった狐の話しが、数多くの書物にのこっています。そう言えば、落語や歌舞伎の中にも化け狐の登場する話しがいくつかあります。歌舞伎の方で有名なのは、《義経千本桜》の源九朗狐(狐忠信)と、《芦屋道満大内鑑》に登場する葛の葉ではないでしょうか。(これは単に、ぼく一人の好みという説もありますがね・・・)
さて、葛の葉の方の話しをひとつ・・・。
この葛の葉は、みなさんも御存知の通り、あの陰陽博士・阿部晴明の母親です。この歌舞伎の中でも子供の晴明が登場するので、晴明ファンの方は、ぜひ一度ご覧になることをおすすめします。また、この歌舞伎の中の見せ場のひとつに、葛の葉が、子供の晴明を両手にかかえ、障子にケレン書きにて別れの一首をのこす所があります。これが有名な『恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信田の森の 恨み葛の葉』という句です。
実はこの歌舞伎のパロディののような話しが落語のほうにありまして、こちらの演目は《天神山》といいます。当然のように、この落語の中でも狐は一首のこして子別れするのですが、こちらの方は『恋しくば 尋ね来てみよ 南なる 天神山の 森のなかまで』となっています。また、《義経千本桜》のパロディも落語にはあり、こちらには、猫の忠信が登場します。これら、落語と歌舞伎の関係や、阿部晴明の事ももっと書きたいのですが、それを書くと、激しく脱線してしまいますので、いずれ又の機会にするとしましょう。
話しをすこしもどしまして、狐とは対象的な妖怪としては、狸がいます。狐がずる賢いのに比べ、狸のほうは、とちらかというとその容姿も手伝ってか、どこか一本抜けた、とぼけた感じがあります。
化け狸の話しでもっとも有名なのは、やはり、なんといっても“文福茶釜”ではないでしょうか。
狐はよく人を騙すといいますが、その手口はなかなか巧妙で、まるで催眠術にでもかけられたようになります。それにくらべて狸の方は、主に、“一つ目小僧”や“見越入道”、“お歯黒べったり”や“からかさお化け”などに化けて、ただただひとを驚かすことに専念しているみたいです。
今回は、小京都といわれる、倉敷です。
日本中に小京都といわれる所は数多くありますが、この倉敷は、おそらくその中では、もっとも小さな所ではないでしょうか。見どころは、狭い範囲の「美観地区」と、その中にあるいくつかの美術館ぐらいですからね。
とわいえぼくは、それら美術館、とりわけ「大原美術館」が好きで、わりとよくこの倉敷に行くのです。と言うのも、この美術館に展示してある“ジョルジュ・デ・キリコ”の絵を見るのが楽しみなものですから・・・。
さて、そんな倉敷での美味しいお店は、アジア料理と紅茶の店『伽奈泥庵』。なんでもここのマスターは、以前、インドを放浪していたことがあるんだそうです。
と、ここまで書いて思い出したのですが、実は、大阪の上町台地の所に、まったく同じような店があるんです。もちろん、店の名前や当て字もいっしょなんですよね・・・。この二つの店には、なにか関係があるんでしょうか? 両方の店に今度行ったら、聞いてみることにしよう・・・。